第二話 相豆院の因縁Ⅳ
デパートで買い物を終えた翌日は、クリスマスとあってか雑居ビル地区は異様な静けさに包まれていた。代わりに駅前が賑わっているのか、その方向からは様々な気配がする。
炬は相変わらず自室に引きこもっていたが扉は愁晴に蹴破られたせいでかなり脆くなっており──気を抜けば睦見が我が物顔で扉を開けて中に入ってきた。
「なぁお前、まだ寝てんの? さっさと起きろよ、遥がお前が起きてくんのをずっと待ってんだぞ〜?」
「失せろ」
「うわ、機嫌悪っ。お前、クリぼっちだからって機嫌悪くなるようなタマじゃねぇだろ〜」
睦見は肩を竦めて壁に寄りかかる。見れば睦見は昨日買い与えた高級ブランドの服を早速着ており、出かける用もないというのに何故わざわざ動きにくい服装をするのか炬は本気で理解できなかった。そして、起きる気はないから布団を被り直した。
「いやいやいやいや。お前、いつの間にマジな引きこもりになったわけ? ちょっとドン引きっつーか、コレをお前にビビってる奴に見られたら相当イメージダウンするぞ。俺が大好きなお前の威厳がなくなるの、わかってるわけ?」
イメージとか威厳とか、睦見は一体何を言っているのか。布団を引っ張る睦見の攻撃を全力で阻止し、あまりのしつこさに炬はため息をついた。
「今何時だ」
「九時」
「寝るだろ普通」
「いや起きろよ。ガッコーはとっくのとうに始まってるぜ?」
「あいつらが来るわけじゃねぇだろ」
とどめとばかりに布団を引っ張ると、バランスを崩した睦見は一瞬だけベッドに倒れ、脊髄反射並の素早さで慌てて起き上がった。
「あっぶね……! 危うくお前とベッドを一緒にするところだったぜ……!」
「きめぇ」
「誰のせいだと思ってんだ死にやがれクソ野郎」
改修する前から土足で生活していたこともあり、靴を履いたままの睦見は布団の中にいる炬を蹴った。だが、ここまでしてもなんの反応も示さない炬の無関心さに呆れ、唯一関心を示していた話題を突いた。
「つーか、あいつらって愁晴とアリアのことか? アリアはガッコーサボったのかなんなのか知らねぇけど、昨日はこの時間から来てただろ」
「知らねぇよ、昨日が特別だっただけだ。来ねえなら来ねえんだろ」
「ふぅー……ん、お前らってそういうスタンスなのか。ま、それならそれで俺が合わせてやるからいいけど。愁晴が来ないなら、小言を言われる前にちょっくら金借りてくぜ〜」
「……好きにしろよ」
その為だけにわざわざ部屋に侵入してきたのか。呆れて物も言えず適当に答えると、睦見は生返事をしながら炬の財布を持って部屋を出ていった。
しばらくして、扉を律儀にノックしたのは遥だった。
足音と息遣いしか今のところは聞こえないが、こっちの返事を待っているのなら返した方がいいのかもしれない。
「……なんの用だ」
『っあ、炬さん?! あのその、さっき冬馬が炬さんと話してるのが聞こえたから……起きてるかなって思ったんす! 冬馬、さっき一人でどっかに行っちゃったからやることなくて……その、何かやることあったら……』
「ない」
『えっ、即答?! 待って待って、炬さん! おれ、絶対役に立つから! だから何かさせてほしいっす! 炬さぁんっ!』
遥はダンダンッと扉を叩き、二度寝しようとした炬の睡眠を悪意なく妨害する。
炬は面倒くさそうに顔を上げ、仕方なく布団から這い出た。のろのろと歩き、おんぼろな扉を開け──
「うるせえ」
──一言真下に向かってそう言うと、遥は「ひぇっ」と怯えたような声を上げた。
「ごごごごごごめんなさい! え、えと、ごめんなさいっ!」
「二回も謝んな」
そこまで怯えられると、炬も炬でバツが悪くなる。炬は肩を掻きながらため息をつき、遥の頭に撫でるつもりで手を置いた。
「……ッ!」
遥は目を見開き、おっかなびっくりな様子で炬を見上げる。炬はそんな遥の瞳をどうしても見れずに、そっぽを向いたまま階段を下りていった。
「あ、炬さん! 待って! おれも下りるっすから!」
ドタドタと、遥はアリア以上に荒々しく階段を駆け下りて炬の後をついていく。そしてすぐさま簡易キッチンにある冷蔵庫の扉を開け、中からラップに包まれた皿を取り出した。
「はいっ、炬さん! これ、昨日愁晴さんが作ってたやつっす! チンして食えって言ってたから、今からチンす……」
「そのまんまでいい」
「そのまんま? でも炬さん、これめっちゃつめてえけど……」
「いいからさっさと寄越せ」
「っは、はいっす! うわぁ、うわぁ〜! 炬さんめっちゃワイルドっすね〜! やっぱかっこいいっす! 尊敬するっす〜!」
ソファに沈み、炬は差し出された皿を受け取る。確かに冷たく、常人ならば真冬に食べられたものではないが──。
「…………」
ほんの少しだけ待っていると、体の芯が熱くなるのを感じた。
真冬の中、半袖でいても凍えないのではと思うほどに暖かな何かが炬を常に包み込んでいる。炬は遥が差し出したスプーンを受け取り、ラップを剥がしてカレーを口に含んだ。
「…………」
舌の上に乗ったカレーは徐々に温まり、飲み込むと出来たてのカレーと大差ない感覚が染み込んでいく。
「炬さんっ! うまい? うまい?」
「普通」
最近、当たり前だと思っていたこれさえも常人離れしているような気がして、炬はゆっくりと口を閉ざした。
「……ん?」
刹那、慌ただしい足音が《ハリボテの家》の外から聞こえてきた。緊迫した気配は玄関前の階段を駆け下り、勢いよく扉を開けて中に転がり込む。
「かが……は、どうでもええわ! 遥! 無事か?!」
そう叫びながら顔を上げた愁晴は、《ハリボテの家》の内部を焦ったような顔つきで見回した。
「っんん?! うっ、うっす! 遥っす! 遥はここっす!」
「おった! 良かった、無事やな!」
「……ぶじ? ぶ、無事って、どういうことっすか?」
珍しく焦る愁晴に、つき合いが短い遥でさえ本能で危機感を感じ取ったのかおろおろと無意味に辺りを動き回る。
「落ち着け」
愁晴と遥、二人に向けて言うと、愁晴は頷いて息を整えた。
そんな愁晴とは対照的に、遥はまだ何も言われてないというのにこの世の終わりのような顔をして泣きそうになっていた。
「あ、あぁ。せやけどな、落ち着いてられへん内容なんよ」
愁晴は遥を見、勢いで怖がらせたのを後悔したのか、遥の両肩にそっと手を置いた。
「遥、落ち着いて聞きや? 《風神組》の如月が、お前と炬のことを血眼になって探しとるんや」
「えっ……?」
「……はぁ?」
愁晴はちらりと外を見、「ここも張られとった」と声を潜める。
「二人とも、よく聞け。ここは危険や。あいつらは炬の力を警戒してまだ攻めてけえへんけど、遥は一人になったらあかん。絶対に炬から離れんなや?」
遥はこくこくと頷き、そのまま俯いた。
「…………やっぱり、おれのせいで……。かっ、炬さんっ!」
遥は切羽詰まった声色で炬のことを呼び──
「……ぁ……う、……」
──何かを言おうとして、口を噤んだ。
「……ごめん、なさい」
「遥が謝ることやない。これはこっちにも問題があるんや」
「どういうことだ」
愁晴は遥の両肩に手を置いたまま、「昨日のことをもう忘れたんか」と呆れた顔でつっこんだ。
「如月は昔、乾の付き人をやっとったんや。その乾がある日を境に行方不明になってな、如月はずっと乾の行方を探しとったんやと。そんで昨日、如月はようやく乾を見つけた。そこに俺らが居合わせた。……そんでな、俺とアリアが絡んだせいで、お前と乾にも関係があると思われたんよ。乾の失踪の理由は、お前にあるってな」
「なんでだ」
「俺とアリアがお前とつるんどるからや。そんで、運が悪いことに遥も。遥がお前とおったから、自分のお嬢と若をいじめた主犯はお前やって思われたんやろ」
そう言って、愁晴は「せやからただの偶然や。お前が気にやむことやない」と、遥に向かってようやくニコニコ笑顔を向けた。
「……むちゃくちゃだな」
「せやなぁ。苦しい理屈やけど、気ぃでも狂っとったんやろ。二年も大事な姫さんを探しとったんやからなぁ」
「…………」
それでも、遥の表情は晴れなかった。
「……おれ、うちに帰る」
「なんやて?」
「だって、迷惑だろ? おれ、炬さんに憧れてたし、助けてほしかったけど、やっぱり迷惑はかけたくない。自分でやったことは自分でなんとかするから……うちに、帰る」
ぎゅうっと遥が握り締めたのは、自分の腕だった。
そこに生々しい痣があることを炬だけは知っている。腕だけではなく全身につけられた傷と痣は、親からの虐待によるものだと本人が銭湯で語っていた。
「帰れねぇだろ」
炬を初めて見た時、実の親には怯えている。それが炬には不思議でならなかった。
「悪いけど、それは認めんで。お前の家もここと同じく張られてんねん」
「えっ」
「それにもう言うたけど、半分は俺らのせいでもあるんや。昨日、俺らがデパートであいつらを見かけんかったら、お前は見逃されたままやったんや。あいつらに目ぇつけられることはなかったんや」
愁晴は愁晴なりに考え、あの時の自分の配慮のなさを責めているのだろう。遥には感づかれないようにしているが、炬には筒抜けだった。
「せやから、その責任はとらなあかん。な? 炬」
何もしなかった自分が何故責任をとるのかと思ったが──これが、社会なのだ。炬は何度目かわからないため息をつき「…………そうだな」と、頷いて同意した。
「でもっ」
それでも遠慮する遥は、子供だというせいもあるのか口を開く度に言うことが変わっていた。
その時その時の感情に流されやすい、〝自分〟を持たない少年に炬は珍しく苛立ち──
「男だろ。一度言ったことは撤回すんじゃねぇよ」
──言い切って、カレーを目の前の長テーブルに置いた。
「てっかい? おれ、なんにも……」
「『死にたくねぇ』っつっただろーが」
それは、炬と遥に共通する唯一のものだった。
「ッ!」
「いいから黙ってここにいろ」
それだけが、遥が炬にそれを言わせるに値する思いだった。
「は、はいっす! 炬さん!」
遥は大粒の涙を零し、愁晴の傍でわんわんと泣きじゃくる。
愁晴は、溺愛するアリアとたった一つしか違わない遥に微笑みかけ、頭を撫でた。




