第二話 相豆院の因縁Ⅱ
「はー……ちゃん?」
ぽかんとした表情の遥は何度かまばたきをし、それが自分のあだ名だとわかった瞬間顔中を真っ赤にさせて首を横に振った。
「バッ、バッカじゃねーの?! 何がはーちゃんだよ、ぶっ殺すぞ!」
「おーおー。遥が照れて暴れてる。思春期だねぇ、ウブだねぇ?」
「冬馬ぁ! おまえもぶっ殺すかんな!」
「あはは。むりむり、身の程を知りなよ。俺はおじいちゃんだけど元組員だからな? 遥なんか簡単にひねり潰しちゃうよ」
遥はうっと言葉を詰まらせて、そして再びアリアを睨む。遥にその名前をつけた張本人は「ひぇっ」と声を上げ、慌てて炬の後ろに隠れた。
「そもそもおまえ、炬さんのなんなんだよ! おれよりも年下で、女のくせに! 生意気だ!」
「わ、私はかがりんの家来だもん! 〝おまえ〟でもないもん! 綿之瀬有愛だもん!」
「うそだっ! おまえみてーなチビでヘナチョコなやつなんか、あの炬さんが相手にするワケねーだろ!」
「するもん! かがりんは私のこと大好きだもん! ずーっとずーっと一緒だもん!」
炬を挟んでバチバチと睨み合う二人は、何が着火剤だったのか急にいがみ合い始めた。仕事で喧嘩慣れしている炬は喧嘩とも呼べないそれをどうしていいかわからずに眺め、やがて愁晴に視線を向けてすべてを投げる。
愁晴は何が嬉しかったのか二年前のようにニコニコと笑い、口論を続ける二人の間に無理矢理割って入った。
「ストップや、二人とも。炬が困っとるやろ?」
「しゅーくん……!」
「愁晴さん……!」
不満げに見上げてくる、炬や愁晴にとってはまだまだ子供な二人の頭をぽんぽんと撫でて愁晴は膝を折る。
二人と同じ目線になった愁晴は、炬が思っている以上に子供慣れしており──先ほど本人が言っていた養護施設出身という話が、やけに現実味を帯びて炬に襲いかかってきた。
「あんな、遥。アリアは俺の大事な大事な妹なんや。せやから傷つけんのはこの俺が絶対に許さへんし、俺やなくても黙っとる奴らはどこにもおらん。ま、少なくともお前よりは俺もアリアも強いし、当然炬から信頼もされとる。アリアはお前が思うとるよりえらい子なんやで」
「それはマジだぜ、遥。こいつら、二年前俺に勝ったんだ。……あれ? そういえばあの時、もう一人子供がいたような……」
「それは涙やな。俺の義弟でアリアの義兄の」
「あぁ、アレもお前らの兄弟か。アレはアレでくどくどくどくどめんどくさかったよな」
遥は唇を強く結び、ちらっと炬を見上げる。
「か、炬さん。……おれのこと、嫌いになった?」
そして怯えるように──いや、怯えているのは炬ではなく別の何かのように見えるが──震え、顔を青ざめさせた。
怯えるという感情を長く知らなかった炬だったが、二十歳になり妖怪という存在を初めて知った。そして、生まれて初めて怯えとは何かを知った。
「……別に」
遥は何に怯えているのだろう。
遥のことは好きでも嫌いでもどちらでもない。愁晴に対してもそう思っているのだから、遥が怯える必要はまったくない。
「べ、べつに……?」
「そのまんまの意味や」
深読みしようとする遥にあっさりと答え、愁晴は呆れたように炬を見上げる。こんな時でもどうしようもないやっちゃなぁ、そう話しかけられている気がした。
愁晴は改めて遥を見──
「遥、何もかもお前の意思やで? 俺らはチームでもなんでもない、ただ一緒におるだけの集まりや。そん中に入るも入らんもお前の自由。親んとこ抜け出して警察に保護されるんのも、結局はお前の自由や」
──かつて炬が愁晴にしたように、愁晴はそのまま遥へと告げた。そして腰を上げ、「冬馬、お前のモンは後回しやからな」と釘を刺す。
「はいはい、わかったわかった。それにしてもほんと、この町の子供は可哀想だな」
「はぁっ?! 何がだよ!」
「別に深い意味はねーよ。ただ、この町は子供にとって生きにくいなって思っただけ」
睦見は笑い、再び先頭を歩いた。追いつく為に走った愁晴が隣を並び、慌てて遥が彼らの隣を歩く。
いつものように雑居ビル地区を抜けると、昼間にも関わらず駅前は賑わっていた。見渡せば全身赤い服を着た店員がケーキを売っており、それを凝視していると同じく赤い服を着た店員にティッシュを押しつけられる。
生まれて初めて見る異様な光景に炬は呆然とし、去年二人で勝手に楽しんでいたアリアと愁晴はそんな炬に慣れていたのか楽しそうに笑っていた。
「もうちょい奥の方行くか。デパートは駅に直結しとるしなぁ」
「……へぇ。閉鎖的かと思ったら、ここはここで意外と発展してるんだな」
「お前、陽陰町をなんやと思うてんねん」
「何って、そりゃあ電車に乗れないとどこにも行けないド田舎さ。山に囲まれてて過疎ってのるかと思えばそこそこ人もいるし……この辺なんかはちょっと東京っぽいよな」
興味深そうに辺りを見回し、この国の首都の名前を口に出して睦見は頷く。何度か外に出たことがある炬だからこそ知っているが、この町の外に存在している世界は確かにどこまでも広がっていた。
山は遠くに聳えており、道は遥か遠くまで続き、空は高く広がっている。その代わり、陽陰町と違って何もない。
さらにさらに遠くまで行けば山は削れて人工物が埋め尽くす。〝何か〟はあっても空気は不味い。同意を求められた愁晴は辟易とし──
「首都なんか知らんわ」
──と、投げやりに言った。
「あれ? でもお前って町外出身だろ? 関西出身なら東京くらい行ったことあるのかと思ってたけど」
「なんでやねん。あらへんよ、町外半分町内半分や」
それを黙って聞いていた炬は眉間に皺を寄せ、「かがりん?」とアリアに顔を覗き込まれてやめる。
「なんでもねぇよ」
ただ、炬の記憶の中にいる愁晴は、町外半分町内半分という言葉通りの青年ではなかった。
二年前、高校三年の秋という中途半端な時期に転校してきた愁晴は、この町のことを知っているようで知らなかった。言うなれば、知識として知っていただけの青年だった。
知識として《十八名家》炎竜神家の名前を知っていたが、その恐ろしさは赤子と同じくらい何も知らず。町内半分という割りには、なんの恐れもなく炬にひっつき回っては厄介事に絡まれていた。
「ほら、見えてきたで」
顔を上げると、デパートの食品エリアにしょっちゅう顔を出している愁晴が誰よりも慣れた様子で店内をつき進んでいた。
隣を歩いていたはずなのに、いつの間にか自分よりも先を歩いている愁晴は今も変わらず。二年前はしょっちゅう振り返って自分の様子を見ていたが、今はまったく振り返らなかった。
「遥、服はどないするん? 何が好みなん?」
「えっ、いや……よくわかんねぇよ、好みとか」
アリアに対して滲み出ていた強気な遥はどこに行ったのか、遥は困ったように眉を下げて俯いた。おろおろと辺りを見回し、やがて怖くなったのか愁晴の服の裾を握り締める。
それは、アリアよりも年上──つまり、中学三年生のはずの遥の精神年齢の幼さを現していた。常に強者に怯え、だからこそ強さに憧れた遥の弱さだった。
「なら俺がチョイスしてやろうか?」
「……ちゃんとやってくれるなら」
「当然。子供とはいえ俺や炬の隣を歩くんだから、それなりに身なりは整えてもらわないとな」
遥は睦見のその言葉で安心したのか、ほっと息を吐いて愁晴から手を離した。
「お前、俺らん中でいっちゃんセンス良さそうやもんなぁ。良かったな、遥」
「おう! なぁなぁ、どんなのどんなの?!」
急に明るくなり、周りをちょこまかと動き回る遥を止め、睦見はぺろりと舌を舐める。
「う〜ん。お前、昨日よりかは綺麗になったけど、俺に比べたら全然カッコよくはないからなぁ」
「かっ……?!」
「そうだろ? 俺、炬、愁晴、お前。ほらな? 劣ってる」
睦見は自分から順々に指を差し、「アリアは可愛い可愛い俺らのお姫様だからな」と片目を瞑る。ずっと炬に引っついていたアリアは頬を染め、本気で照れたのかさらに炬に引っついて口を固く閉ざした。
「ふっ、ふざけんな! やっぱ冬馬はぶっ殺す!」
「落ち着きぃや遥。冬馬の言うことをいちいち鵜呑みにしとったらキリないやろ。それにお前は化けるタイプやから安心しぃ」
「ほんとか?! よっしゃ! 早く化けてやるぜ!」
遥は無邪気にはしゃいでいるが、愁晴も冬馬と同じく適当なことを言うタイプだと炬は知っている。
ここにはろくな大人がいねぇなとぼんやり思い、アリアを半ば引きずりながら三人の後をだらだらと追った。
「かがりん……」
不意に、腰に腕を回していたアリアが炬にだけ聞こえるような音量で名前を呼んだ。
「……クリスマスプレゼントくれるって、ほんと?」
返事を視線で受け取ったアリアは呟くようにそう言って、そっと炬を見上げる。
二年前までじゃじゃ馬娘そのものだったアリアは、いつの間に大人しくなったのだろう。僅かに恥ずかしそうにしながらそう尋ねたアリアは、子供だが子供ではなく──上手く表現できないが、少女と女性の間をさ迷う年頃の中学生だった。
「あぁ」
それだけしか言う必要はないと思ったが──
「何がいいんだ?」
──炬だっていつまでも塞ぎ込んでいるわけにはいかない。
「…………あのね、かがりんが私にあげたいものがいいな」
「は?」
「かがりんが私の為に選んでくれたものなら、なんだっていいよ。だから、その……遅くなってもいいよ! 私もかがりんへのプレゼント考えとくから!」
顔を真っ赤にさせながら、綿之瀬家の名前を持ちながらも養護施設で暮らしている少女は言った。去年、仕事がありクリスマスとは無縁の汚れた一日を過ごした炬に言った。
「お前、愁晴が何言ったのか聞いてなかったのか?」
「え? しゅーくんが?」
「俺もお前も、物を選ぶセンスがねぇんだよ」
アリアはびっくりとした表情をし、次の瞬間見馴れたあの笑顔を見せた。いつだって、睦見と遥が来る直前まで見せていた笑顔でおかしそうに腹を抱えていた。
「別にいーじゃんっ! 私、かがりんが選んだ物が欲しいもん。しゅーくんや、はーちゃんや、とーくんに選ばせた物はヤだよ?」
「物好きだな、お前」
「あははっ、そんなの昔からじゃん。だって、かがりんの傍にいたいって思う女の子なんて──私くらい、だよね?」
確かめるように、アリアの蒼目が炬を捉えた。睦見と同じように、宝石のように光る瞳で炬を見つめてアリアははにかんだ。
「……ん?」
刹那、前方から聞こえてきた愁晴の声が途絶えた。睦見と遥は変わらず喋り、動きを止めた愁晴に釣られてようやく口を閉ざす。
アリアと揃って愁晴の視線を辿ると、アミューズメントエリアの入口付近で見覚えのある子供三人が何者かに絡まれていた。
「っあ!」
びくんっと、アリアが肩を上げる。当然と言えば当然か、そこにいた三人のうちの二人はアリアの中学の入学式で見た子供だった。
「ヌイ! さっくん! いららん!」
今日も三人と同じ柊命中学校の制服を着ているアリアは、慌てて走り出していく。
それも当然と言えば当然か、三人に絡んでいたのは昨日遥を追い回していた相豆院家の部下──《風神組》の一員の、如月宗太だった。




