終章 世界のアルフィーネⅠ
一夜明けて《十八名家》と《カラス隊》、そして《コネコ隊》とティアナたちが行ったのは町の安全確認だった。妖怪を警戒していたわけではなく、戦闘中に何度も大きく揺れたこの町の建物はすべて安全な状態に戻っているのか、道路に異常はないのか、土砂崩れが起きそうになっている場所はないのか、一つ一つ確認しなければ町民を地上には戻せないという千秋の判断だった。
それに三日ほど費やして、町民が戻ってからは町民の様子を確認する日々が続く。彼らがいつも通りの日常に戻る為には、陽陰町の重要機関を牛耳っている《十八名家》が誰よりも先に日常に戻らなければいけない。それを行っていたのは私服姿の《カラス隊》と子供であるが故に誰からも警戒されない《コネコ隊》のみだった。
ティアナたちは町が完全に戻らなければ国には帰らないと言っており、三月に入ってもまだ傍にいてくれている。
町のすべてが一年前と変わらない日常に戻れたことを確認できた日にアリアと乾と朔那と衣良が訪れたのは、百妖家の別宅付近にある墓地だった。
アリアは一度だけここを訪れたことがある。
「あった」
立ち止まったのは、六年前と同じ場所──綿之瀬家の墓の前だった。
「……おじちゃん、こまっちゃん」
誰にとっても十年は長い。十年後なんて考えたことはなかったが、誰一人として欠けることなく生きることができると当たり前のように思っていた。ベラやオリバーが亡くなっても、五道や小町たちが亡くなっても、炬や愁晴まで亡くなるとは思わなかった。
「……あこりん、きーくん、エッちゃん、かがりん、しゅーくん」
一人一人の名前を呼ぶ。先代エビス以外の全員が、この場所に眠っていた。
「……終わったよ」
炬や愁晴にとっても百鬼夜行は他人事ではなかった。二人は六年前に奇跡的に生き残った命だった、二年前に──あんな形で命を落とさなければ今日も傍にいてくれたかもしれないのに。しゃがんで頭を膝に擦りつけて、ずっとずっとあの日のことを考える。ただ、そのことがバレてしまったらまた朔那が自分を責めてしまうかもしれないからすぐに止めた。
「アリア、花」
乾から手渡された献花を置くべき場所に供える。二人で並んで手を合わせ、五道と小町を悼む。
「おじちゃん、こまっちゃん、真と星乃のことなんだけどね」
ここにはただの墓参りに来たのではない。十年前に養護施設に関わっていた死者たちに伝えたいことが数多くあったのだ。
「人工半妖じゃなくなったの」
彼らが最終的に望んでいたであろう人間と妖怪の争いの終焉と、真と星乃の大きな変化、そしてこれからの話を彼らはどのような想いで聞いてくれるのだろう。
「少なくともおじちゃんは、真が死ぬかもしれないってこと……知ってたよね」
五道は恭哉の父親である玄石を利用して、人工半妖になる薬が完成されていることを確認した。男が人工半妖になれば死ぬことを知った。
「お前、《十八名家》じゃない人間の〝クローン人間〟を造ってただろ」
乾のその話は知らない。乾が〝お前〟と呼ぶのは小町ではなく五道だから──小町は関わってなかったのだろうか。
「それで人間が人工半妖になる可能性がないことを確認した。玄石で《十八名家》の男が人工半妖になる可能性がないことを確認した。……私で《十八名家》の女が人工半妖になれたことを確認して、アリアで《十八名家》の〝クローン人間〟でも人工半妖になれることを確認した」
五道は最初からすべてを知っていたわけではない。誰かの──自分と同じ〝クローン人間〟が亡くなったのはたまたまで、玄石が亡くなったのもたまたまで、乾とアリアが生き残ったのもたまたまだった。そう言っているように聞こえた。
「だからお前はアイラと星乃が人工半妖になれることを知っていた。けど、真は私らと同じように〝賭けた〟んだろ」
そして、真が生き残ったのもたまたまだった。
「お前は賭けに勝った。私らはお前らの願い通り、戦いに勝った。けど、お前らが〝悪魔〟だったことに変わりはないよ」
乾は優しい声を出さない。アリアも、それを知ってしまったら──多くの犠牲の上に自分たちがいて、自分たちも犠牲になっていたかもしれない事実を知ったら、笑えそうにない。
「私とアリアとアイラは、これからも人工半妖でい続ける。亡くなった奴らの命を無駄にはしない、お前らの夢をなかったことにはしない。だから、お前らも地獄で罪を償い続けろ」
乾はそれだけを吐いて綿之瀬家の墓の前から去る。向かったのは相豆院家の墓の前で、乾はそこにも持ってきた献花を供えて手を合わせた。
「……六年前の百鬼夜行で力を失った土地神様がね、この前の戦いで力を取り戻したらしくて、桜を贈ってくれたんだよ」
乾は言葉不足だ。アリアは乾の言葉を継いで、五道と小町、そしてできれば亜子に届くように伝える。
「その桜は妖怪の瘴気を消す桜でね? 妖怪が触ったら瘴気を吸い取られて自我を保つことができるんだけど、半妖は瘴気がないから半妖が触ったら妖力を吸い取られちゃうんだって。歌七星さんがそれに触って強くなった妖力を抑えたらしいんだけど、それを聞いたふうふうが『真も触れ』って言って、真が触ったら妖力が消えたんだ」
風はずっと真を助ける為に研究をしていた。自分の研究で真を助けることができなくて苦しそうだったが、真が生きていてくれるならそれでいいと素で言ってくれる人だ。五道と小町は悪魔だったかもしれないが、風を見ていると、いつだって目の前のことに一生懸命な人たちだったのかもしれないと思えてくる。
生まれてきた時代が違えば、五道と小町は風になれただろう。風は五道と小町になっただろう。五道と小町は悪魔になりたくてなったのではない。今日という結果を見ると悪魔にならざるを得ない人たちだったと思うから──彼らも許されないことをしたと理解していても、恨むことはできなかった。
「だから、星乃も人工半妖でい続けることを辞めたの。桜があるから陰陽師の力も半妖の力ももう要らなくなると思うけど……私たちはどうしても捨てられなくて。だって、この力はもう私たちの一部なんだもん。麻露さんたちみたいに生まれた時から持ってた力じゃないけど、その力がない私は私じゃないと思うから」
純血の半妖たちの性格はそれぞれの妖怪の力に対応しているような気がする。
座敷童子の人工半妖のアリアは人々を癒す為ならばなんでもしたいと思っていて。サトリの人工半妖の乾はサトリの力がある上で乾という人間の人格があって。
『だからわたし、みんなとゴドウさんの名誉のために戦いたい。どんな目的があったとしても、生かしてくれたから……誰かから死んでほしいって思われるような生き方を、わたしはもう、したくない』
アイラは今でもそれ以外の生き方を選べないから、手放せない。
「私、みんながくれたものと一緒にこれからも生きるから──」
笑えそうにない。それでも、ニコニコと笑って世界を救うのがアリアの生き方だからこれからもそういう風に生きていく。
「──これからも、見守ってて」
死者に祈った。生まれた場所がこの土地ではないアリアは、土地神様には祈れなかった。
振り返ると、ずっと黙って立っていた朔那が視界に入る。衣良もそこにいると思っていたが、衣良は他の墓に献花を供えて手を合わせていた。
「あいつ、全部の墓にあぁやって花供えて手ぇ合わせてんだよ」
「えっ?」
「あいつに罪はないのにな」
「あ……」
そうだ。六年前の百鬼夜行を起こしたのは阿狐家の祖である天狐で、天狐はずっと衣良の伯母の頼に化けていたから──衣良自身もずっと頼の傍にいたから、例え罪滅ぼしにはならなくてもそうせずにはいられないのだろう。
「…………」
衣良が罪悪感を抱いているならばアリアは全力で「衣良は悪くない」と告げるが、その行いを否定する気にはならなかった。
「アリア」
「何?」
「あっち行くぞ」
「え、なんで」
「乾も衣良も一人にした方がいいだろ」
「あ、そっか。そうかも」
乾も、衣良も、この場で眠る者たちに言いたいことがたくさんある。《十八名家》として生まれて幼少期を過ごしたことがないアリアと朔那にはわからない想いだって山ほどあるはずだ。
アリアは先を行く朔那の後を追いかける。ここは百妖家の別宅と同じく山の中にぽつんと建っている墓地だ。少しだけ歩いても緑豊かな陽陰町の自然がアリアたちを囲んでいる。
「春だねぇ」
そう声を漏らしたのは、気温だけが理由ではない。数多くの春の花が辺りに咲いていたからだった。
「だな」
朔那は花の方へと近づいていく。十年──離れていた期間があるにしてもほとんどずっと朔那の傍にいたアリアからすると、朔那のその行動はかなり意外なものだった。
「朔那って花好きだっけ?」
「お前が好きだろ」
「え? うん、私は好きだけど」
だからここまで連れてきたのだろうか。
「あの時地震が来て言えなかったんだけどさ」
そう言われてふと思い出す。そうだ、あの時朔那は何かを言おうとしている途中で──
「俺たち、結婚しないか?」
──そんな話をされるなんて微塵も考えていなかったから、頭の中が真っ白になる。
朔那はアリアの返事を急かさなかった。ただじっとアリアを見つめているその青い双眸はアリアを待っているわけでもない。出逢ってから一時でも感じることができただろうかと思うほどの平和を噛み締めているようだった。
「わ、私でいいの?」
声が震える。本当はこんなことを言いたくない。本当は、朔那にはもっと相応しい人がいると言わなければならないのに。
「俺は今でも俺でいいのかって思ってるけどな」
「だって私〝クローン人間〟だよ?! 人工半妖のままだし! 《十八名家》だし! 血はクォーターだし、十年前にたまたま生き残っただけの……とにかく普通の人間じゃないんだよ?!」
選んでくれたから、嬉しくて涙が溢れる。
「おかしいよ! 〝さっくん〟おかしい! 間違ってるよ!」
「合ってるよ。俺は十年前にお前の笑顔に救われて、六年前にお前と炬さんに命を貰った。ずっと前からお前しか見てねぇよ」
人々を癒す為ならばなんでもしたい。そう思うのは一度〝兵器〟の烙印を押されたからだ。〝クローン人間〟で、人工半妖で、《十八名家》で、陽陰町では珍しい異国の血を引く自分だから──この町ではどうやったって普通に生きることができない。普通に生きていくはずだった朔那に変わらぬ愛を誓えても、夫婦関係には、そう簡単にはなれないと思っていたのに。朔那は言葉一つで簡単にアリアが無意識に築いていた心の壁を乗り越えてくる。
「──十年前からアリアのことが好きだった」
始まりはいつだったのだろう。瞳を閉じて思い出す。
『だっせっ』
あぁ、そうだ。朔那だ。すべては朔那が投げてきたあの一言から始まった。
朔那がアリアに救われたと言うのなら、あれはきっと朔那からの助けを求める声だったのだ。その声に気づけて良かったと思う。
「私も、大好き」
いつからだったのかはわからない。ただ、いつからなんてどうでも良くなってしまうほどに、これまでも──そしてこれからも、朔那と共に生きていく。




