第五話 ワールドエンドⅤ
「さぁっくぅ〜ん!」
「来るな」
「久しぶり〜っ!」
精一杯駆け出せば駆け出すほど、肌に感じる生暖かい風。冷えた空気を纏っていたあの日から、もう半年が経過していた。
朔那にぶつかるようにして抱きつくと、朔那は嫌そうに顔を歪めながらアリアを振り払おうとする。それでもアリアが離れないとわかると、抵抗の色をガラス玉のような青目に強めた。
「離れろ」
「今日くらい我慢しろ、南雲」
「そうだよ、さっくんは嬉しくないの?! 私たち今日から同じ学校に通うんだよ?!」
「……チッ、んなの誰も頼んでねぇよ。つか、お前らほんとバカじゃねぇーの? マジでこんなとこに来やがって」
朔那は離れないアリアを無視し、ちらりと周囲に視線を送る。
柊命中学校の昇降口に張り出されたクラス表はたったの一枚。そしてその周りに集まってくる生徒は決して行儀の良さそうな外見はしていない。そうじゃないのは多分、朔那と同じ境遇の人間なのだろう。
「バカじゃねぇよ、バカ」
乾はふんと鼻を鳴らした。
「バカだろ。お前らの保護者、来てねぇじゃねぇか」
「うーん、別にここじゃなくても来ないと思うよ? 忙しい人だもん」
「…………忙しい、ね」
朔那は納得したかのような表情で、力を抜いたアリアを引き剥がした。
「そう言うお前の保護者は? 来てるのか?」
「……来てねぇよ」
朔那は一人でクラス表の前に行き、残されたアリアと乾は顔を合わせる。
お互いが着用しているのは亜子が作った服ではなく、鈍色のブレザーとスカートを合わせた真新しい柊命の制服だった。
「同じクラスだといいねっ」
「いや、どう見ても一クラスしかねぇだろ。大体は陽陰学園に行くんだし」
なら、あのクラス表で確認できるのはクラスメイトの名前と自分の番号だけなのか。
「新入生はこちらに集まってくださーい!」
高い声の持ち主は、真面目そうな雰囲気をした女性教師だった。青い長髪を一つに纏め、きびきびとした動作で新入生に呼びかけている。
「いよいよだね、ヌイ! さっくん!」
「「…………くだらねぇ」」
その声は、アリアの隣とクラス表の前から聞こえた。
「はもった!」
「真似してんじゃねぇよ、南雲!」
「してねぇ」
朔那の下へと詰め寄り、眉間に皺を寄せた乾は朔那を睨む。アリアはそんな二人を見比べ、ほんの少し胸がざわつくのを感じながら唸った。
「うー。ヌイ、さっくん! どうでもいいから早く行こうよ!」
「「どうでもよくねぇよ!」」
「またはもったぁー!」
乾と朔那は同時に舌打ちをし、お互いに背中を向け合いそっぽを向く。仲間外れにされるのは嫌だが、二人が喧嘩するのも見てられなくてアリアは二人の腕に無邪気に抱きついた。
*
「ねー、本当に大丈夫ー?」
おっかなびっくりとした様子で乾と朔那の後ろを歩くアリアは、何度目かわからない問いかけをした。
「さぁ?」
「別にバレてもいいけどな」
「えー?! なんで?! だって、入学式抜け出して来たんだよ?!」
普段ならアリアが二人を引っ張るというのに、アリアが二人の後ろを歩くのはそれが原因だった。
二人がいなくなることに気づき、体育館を飛び出すと二人は並んでグラウンドの傍を歩いていた。慌てて追いかけても逃げることはせず、二人は自由気ままに闊歩している。
「じゃあついて来なきゃ良かったじゃん」
「むっ?! それは嫌!」
「……なんでだよ」
入学式に興味を持たない二人は、呆れた表情で振り返った。どこまでも似ている二人に一抹の寂しさを覚えながら、アリアは息を吸い込む。
「──私は! 三人一緒がいいの!」
新しい自分の居場所にいた、一人ぼっちの乾の。行きたい場所で偶然出逢った、独りぼっちの朔那の。
傍にいて、一緒にいて、いつまでも遊んでいたい。
「……え、えっと。何? その顔……」
「……いや、なんか……アリアらしいな……」
「……めんどくせぇ」
「南雲?」
「んだよ。お前らほんと、バカじゃねぇーの」
「バカって言った方がバカだぞバカ」
「うるせぇバカ」
「バーカバーカ」
口ではそう言いつつも、満更でもなさそうなその表情をアリアはゆっくりと信じて。半年ほど前に言えなかった言葉を、今言いたいと強く思って。
「──ヌイ! さっくん! 絶対にいなくならないでね!」
陽炎のように消えた両親を想った。
風が吹いて、歴乱として視界に入っていた桜の花びらがいたずらに舞う。花びらで二人の表情が隠された。それでもアリアは、ただひたすらに二人の言葉を待っていた。
「……そんなの、当たり前でしょ?」
「……いなくなるつもりはねぇよ」
心が満ちる。優しい二人のことが好きだと思った。
「……うんっ! ありがとう!」
その返答が泣きたくなるほど嬉しくて、また風が吹いた。その時、あの日からずっと見てきた夕日のようなオレンジ色の髪を見た気がした。
「……?」
「どうした? アリア」
「ちょっとトイレ!」
「は? っあ、ちょっと!」
アリアは正門の方へと真っ直ぐに走った。
その名をもうずっと呼んでいないような感覚に陥ってしまう。それでも呼びたくて、アリアは泣きそうになるのを堪えてもっと走った。
「かがりんっ!」
「っあ、アリア!?」
今朝も会って、制服姿を褒めてくれた愁晴が目を見開く。その隣でぼんやりと立っていたのは、半年ぶりに会う炬だった。
二人とも私服姿で、正門前からほんの少し中に入る。その手前で足を止め、アリアは夢じゃないのを確認してから二人を見上げた。
「なんでここにおるんとはあえて聞かんわ、アリア。入学おめでとな」
「かがりん……」
「ありゃ、なんや炬しか見えてへんのか」
愁晴は苦笑し、「そりゃ炬は久しぶりやもんなぁ」と一歩後ろに下がる。
「…………」
アリアと対面する形になった炬もアリアを見下ろし、二人は見つめ合うようにして黙りこくった。
「かがりん……あの!」
アリアは口をもごもごと動かし、我慢できなくなって正面から炬を抱き締めた。
半年前のあの日、パトカーで警察署に任意同行されて以来、炬はアリアの前に姿を現さなくなっていた。……いや、アリアがいくら町内を探しても炬はおらず、同じクラスの愁晴も炬に会えずじまいだったのだ。
「会いたかった! ずっと、どこにいたの?!」
「…………町外にいた」
それは、絞り出したかのような声だった。
朔那とは違い、引き剥がそうとしない炬はどことなく煙草の匂いがする。アリアは顔を上げ、自分をまだ見下ろしていた炬を見つめた。
「睦見を送り込んだ暴力団を潰してたんやって。水くさいっちゃあ水くさいけど、さすがに俺らはそこまで手伝えへんからなぁ」
今はニコニコ笑顔の愁晴でも、炬がいなくなってからの彼はどこか沈んでいた。そしてそのまま何もせずに、昔と変わらず施設の運営を手伝って生活している。
「あのね、かがりん。私、かがりんとしゅーくんに言いたいことがあったの」
炬は無表情のまま黙考し、「……家来の件か?」と尋ねる。
「ううん、違うよ。卒業おめでとうって伝えたかったの!」
この春に陽陰学園を卒業した炬と愁晴は、あまりにも予想外な言葉だったようで目を見開いた。
「あはは。改めて言われると照れるわぁ。な? 炬」
「……あぁ」
「あぁ、やないやろ? 炬も炬でまだアリアに言うとらんことあるやん」
炬の背中を小突く愁晴はニヤニヤと笑い、炬はそれを邪険そうに払う。
「アリア」
「ん?」
「……入学おめでとう」
「ッ?! …………うんっ、ありがとう! かがりん大好きっ!」
離されないように、回していた腕を強める。それでもアリアの力は高が知れていて、炬はなんでもないような表情でアリアの好きなようにさせておいた。
「いやー、炬もやるなぁ。アリアのハートがっしり掴んどるやん」
「掴んでねぇよ。目ぇかっぽじってよく見ろ」
「あははっ、かがりん好きー!」
冗談交じりに笑っていると、「あ」という愁晴の声でアリアは振り返る。そこには若干冷めた目をして炬を睨む乾と、驚き過ぎて声を出すことを忘れた朔那がいた。
「ヌイ、さっくん!」
「おっ、おま……そいつを誰だと……!」
「かがりんだよ? それくらい知ってるもん」
唖然とした朔那に、面白くなさそうな表情をしていた乾がおかしそうに笑う。
「っあ、炬! 貴方、うちの生徒に手を出さないでちょうだい! 何をしにここに来たの?!」
そして奥の体育館から大股で歩いてきたのは、新入生に呼びかけていた青色の髪の女性教師だった。
「わぁ〜お。あの見た目、どう見ても首御千家の人やんけ。あの一族の人見るんは初めてやけど、捕まったらめんどいことになりそうやしもう行こか?」
「そうだな。あれはネチネチネチネチうるせぇ奴だ」
初めてアリアの体を離そうとする炬に、アリアは一瞬だけ嫌な予感がして真っ先に声を上げた。
「もう行っちゃうの?」
「あぁ」
「待って、もう何も言わずにどこかに行かない?」
「行かねぇ」
「約束する?」
「約束だ」
アリアはちらりと愁晴を見、彼が強く頷いたのを確認して炬を離した。炬はすぐさま体を回転させ、愁晴と共に学校前の道路を全力疾走で逃げていく。
そのあまり決まらない後ろ姿を眺めながら、アリアはそっと自分の体を抱き締めた。
こうすると、じんわりとだが今でも炬の温もりを感じる。
どうして生まれたのかわからなくて、どうして陽陰町に来たのかもわからなくて、どうして昔の記憶がないのかもわからなくて。
無理矢理望まない力を持たされて、それでも傍にいる人を守りたくて、その為に誰よりも強くなりたくて、一番強い炬の下へと転がり込んで、この自分の力を必要としてくれて──そうやってようやく感じた、生きていると思える温もり。
強さとは何か。それは今になってもわからない。それでも、炬の傍にいることで何かが掴めそうな気がしていた。
わからないことだらけで、記憶を失った最初の頃は人の温もりさえ知らなかった。それでも求めて、たくさんの義兄弟ができて、そして、今は違う。
──心の炎は、どこにいても温かい。
心の底から、温もりだけは知っていると断言できた。




