第五話 ワールドエンドⅣ
「……お姉ちゃん」
アリアは自分とほぼ同じ目線になった密を呼ぶ。密は眉間に深い皺を刻み込み──
「私は、貴方の姉じゃない」
──ほんの少しだけ俯いた。
「じゃあ、〝ひーちゃん〟?」
「私は、《紅炎組》の組長。そんな相手に、どうして貴方はそんな呼び方ができるの?」
「だって、かがりんのお姉ちゃんでしょ?」
「……従姉弟」
密が訂正すると、真後ろで倒れていた恵が声を漏らした。
「恵、平気?」
一切彼女の方を見もせずに、密が尋ねる。密や炬は化け物並にタフだったが、二人には遥かに劣るものの恵も恵でタフだった。
「……姉貴、姉貴の方こそ平気? 痛くない?」
「平気。あと、私は今日から《紅炎組》の組長だから。姉貴は禁止」
「っえ、うそぉ!」
「ほんと」
大きく起き上がった恵は、密の正面に回り込んで膝をつく。本当に、さっきまで瀕死の状態だった人間には思えなかった。
「あっ、あれ、じゃあ組ちょ……あの人は何に……?」
「旧頭首」
「ええええ?!」
焼け跡や血痕が生々しく残る中庭に、気持ちの良いくらい大袈裟にひっくり返る恵の姿がちぐはぐで。アリアは違和感を抱きながら口元に人差し指を置いた。
「めぐりん、しーっ」
「『しーっ』じゃねぇ……って、は?! なんで!」
そんな恵の反転世界に突入して来たのは、エリスが連れてきた警察官の集団だった。
「アリア!」
「っあ、ヌイ!」
大人に混じって駆けつけてくる乾は、たいした怪我もなさそうに見える。その後を愁晴や吹雪が追っていた。
乾はアリアを抱き締め、アリアも乾を抱き締め返す。
「無事やったんやな、アリア」
「しゅーくんも! 無事で良かった!」
ニコニコと笑う愁晴は、首を僅かに横に振った。
「俺は戦ってへんもん。さ、後は鴉貴家に任せて俺らは帰るで」
「ちょっと待って。そう言いたいのは山々なんだけど、車が大破しちゃったのよ」
「ええっ?」
驚くアリアに、乾はしょうがないだろ、とでも言いそうな表情で体を離す。
「むしろ車が大破した程度で済んで良かっただろ。集団を指揮してた奴が先に捕まったからか、連中が下っ端だったからかはよくわかんないけど、暴力団にしてはイマイチだったしな」
「えぇ、そうね。車の件に関してはエリスさんに掛け合ってみるから、ちょっと待ってて」
見ればエリスは、同時に中庭に突入して来た別の集団の長らしき人間と共に指揮を執っていた。
「猫鷺家のレスキュー隊か。あいつらがいるならもう終わるだろうな」
乾の言った通り、消防士の彼らは手際良く担架に人を乗せて外に運び出していた。エリスが指揮を執る警察官は、密や恵に事情を聞くなりなんなりしている。
「そういえば、かがりんは?」
「パトカーの中や。そんで署に行って事情聴取やと」
「捕まったの?!」
「なんでそうなるねん」
ニコニコ笑顔のままつっこむ愁晴がなんだか恐ろしかった。
「炎竜神家はほっといてももう大丈夫や。それよりも寒いやろ?」
愁晴は着ていた陽陰学園のブレザーを脱ぎ、アリアの肩にかける。秋の夜は確かに肌寒いが、アリアは首を傾げた。
「寒くないよ?」
ほんの数分前まで業火が包んでいたこの場所にいたアリアは、まだ自分の中に温もりを感じていた。
「子供体温だろ。変に紳士ぶってからぶったな」
「手厳しいなぁ、乾。心が折れそうやわ〜」
「まだ折れないでね。三人とも、エリスさんからパトカーを手配してもらったから、それで帰るわよ」
「パトカーかぁ……。なんかええなぁ、そうと決まればはよ行こうや」
アリアと手を繋いでいた乾は、そのまま手を引っ張りそそくさと立ち去ろうとする。その態度がなんだからしくなくて引っかかったが、アリアは母屋に入る前に足を止めた。
「ひーちゃん! めぐりん!」
「っちょ、バカ!」
二人に視線を向けた密と恵は、去りゆくアリアをなんでもないような表情で見ていたが──
「……乾?」
──傍にいた乾に視線を止めて、僅かに密が目を見開いた。
「え? ヌイのこと知ってるの?」
「違う! 私は綿之瀬乾だ! わかったか?!」
乾は密や恵に大声で怒鳴り、もう一度アリアを引っ張る。
「あ、うん! 二人とも、また会おうねー!」
「会わねぇよ!」
恵が間髪入れずに怒鳴ったが、その表情はほとんど暗闇で見えなかった。
母屋に上がったアリアは通った道を戻り、正面玄関を出る。見渡さなくても赤いパトカーの光が無数に灯っているのがわかり、炎を想起させていた。
*
「アリア! 乾!」
施設に続く坂道に着くと、真っ先に飛び出してきたのが小町だった。
小町は坂道の途中で足を止めたが、途中で止まれずに足を回し続けた桐也が二人に思い切り飛びつく。
「ぐへ!」
「ぐほ!」
当然のように真後ろに体を傾けるアリアと乾は、後ろにいた愁晴に抱き止められて転倒を免れた。
「三人とも無事か! あ〜、死ぬかと思った! 俺生きてるっ!」
「なんで桐也が死ぬねん」
笑いながら、愁晴はアリアと乾越しに桐也の頭を撫でる。人懐っこい桐也だが、これには驚いたようで大袈裟に飛び退いた。
「ちょっ、食堂の人! そんなに歳離れてない男から頭撫でられてもぜんっぜん嬉しくないんだけど?!」
「ん? そうなん? ……あぁ、まぁ確かに俺ら高等部と中等部の制服着とるしなぁ」
基本的なデザインは同じだったが、ズボンが少しだけ違った。緋色のズボンが愁晴で、白いズボンが桐也と涙だ。
「ごめんなぁ。俺、人との距離感の取り方がまだ下手くそやねん。あと、俺の名前は愁晴やから。義弟になるならちゃんと覚えてや?」
「……へ? ぎてい?」
「義理の弟です。桐也」
首を傾げた桐也の側に来たのは、涙と彼の式神のエビスだった。
「桐也は反対なん? 俺らが出てく前、あんだけ可愛ええアリアの愛の告白を聞いとったのに」
『──私は、たくさんの〝かぞく〟に囲まれたいの』
桐也と愁晴に挟まれてぐったりとしていたアリアは、その言葉を聞いて咄嗟に顔を上げる。胸の中に熱い何かが注がれて、いっぱいいっぱいになって目頭が熱くなった。
「キモい言い方してんじゃねぇよ」
「手厳しいこと言わんといてや〜。こもっとったやろ、愛」
「込めてたっ! 込めてたよぅ……っ!」
アリアが半泣き状態のまま答えると、愁晴はまたニコニコと笑っていた。
話の途中で自分自身が飛び出していったから、もう忘れられていると思っていた。それでも誰も忘れていなかったようで、パトカーのランプや月光を頼りに集まってくる。
アリアと乾を中心としてできた輪は、飛び出していく前と何も変わらなかった。
「いや、聞いてたけどさ。義理のなんとか〜って、どうやったらなれるんだよ」
「ふふふ、簡単でーすよぅ。『兄弟になる』っていう契を交わせばもう義兄弟、ですからねぇ?」
「……へ? そんな簡単なのか?」
最後に見た時よりも厚着になった伊吹を抱いたまま、小町と一緒に下りてきた亜子は「ちっちっちっ」と人差し指を振った。
「契はそう簡単じゃないんでーすよぅ?」
「……へ? 難しいのか?」
「難しいの?」
桐也に呼応するように、アリアは不安げな表情で乾の服の裾を握り締めた。乾はアリアに視線を移し、握り締める手に自分のそれを重ねる。
「そりゃあもう。一生、死ぬまで、義兄弟でい続けるんですからねぇ」
「それなら全然問題ないよ! ね、そうだよね?!」
「おう勿論! ……で、ここにいる全員でいいのか? 俺と、ナミダちゃんと、エビスと、愁晴と、亜子と、小町と、乾と、アリア……と、伊吹?」
「ちょっと。その中に戸籍上の姉妹がいることを忘れないで」
「細かいことはいいじゃない、小町さん。伊吹はまだ小さいけれど、だからこそ一緒に育てれば自ずとそのような関係にはなれるはずよ」
「せやな。で、異論がある奴はおるん? 吹雪さんは入らんでええの?」
「ええ。五道さんと同じ立場から貴方たちのことを見ているわ」
「俺は異義なしです」
「貴方様がそう仰るのであれば、私も異義はございません」
「私も! 私もそうだったら嬉しい!」
徐々に拭いさられる不安に舞い上がり、そして、すぐにアリアは突き落とされた。
「……ヌイ?」
乾は、彼女だけは、肯定も否定もしなかった。
「……はぁ、そんな顔しないでよ」
「でも」
「いいよ。アリアの好きにすれば」
乾は本当に嫌がる表情でもなく、かと言って嬉しい表情でもなく、愁晴や桐也が浮かべている〝普通の〟表情だった。
「決まりでーすねぇ」
笑顔の亜子は全員を見回し、最後にアリアで視線を止める。
「ふふふ、嬉しいでーすよぅ。よく考えたら、私だけじゃなくて全員一人っ子ですしねぇ? 兄弟たくさん、幸せたくさん、未来もたくさんなんですねぇ」
「何言ってるのよ、貴方は」
呆れた表情の小町を無視し、亜子は気持ちよさそうに眠る伊吹を抱いたまま施設を指差した。
「愁晴がとった出前も届いていることですしぃ、これから先はそこでするのが一番でーすよぅ」
亜子を先頭に坂道を上る。
赤い赤い落葉を踏み締めて、上りきるとそこには五道がたった一人で待っていた。
「おじちゃん!」
驚いた。
施設から漏れる光を逆光にしている五道の表情は、見えない。
「遅かったね。君たちの為に、わざわざ甘酒を用意して待っていたんだが」
「頼んでねぇよ」
乾はいつものように反発したが、たった一言で済ませて中に入った。慌てて追うと、ロビーを無視してそのまま食堂に入っていく。
甘酒──がなんなのかはよくわからなかったが、今まで気にしていなかった食欲をそそる匂いがした。
「うわっ」
テーブルにはうな重が置かれ、ちょっとしたパーティーになっている。少しいない間に食堂が華やかになったのは、ここに残ったメンバーが即席で飾りつけをしたのだろう。
「さぁアリア、甘酒でーすよぅ」
「ふぇっ?」
「これを飲めばもう兄弟、ですからねぇ」
振り返ると、手際のいい亜子のおかげで全員が甘酒の入った器を手にしていた。
なんだが亜子が一番喜んでいるように見えて、アリアは思わず笑って甘酒を天へと突き上げた。




