第五話 ワールドエンドⅢ
燃え盛る炎に囲まれながらも、女性は冷静だった。いや、冷静というにはあまりにもボーッとし過ぎている。寝起きなのか眠た気なブラウンの双眸で辺りを見回し、一つ欠伸を噛み殺した。
「……あら、銃撃戦はもう終わりなの? 騒がしいから起きてきたのに、これじゃあ意味がないじゃない。恵は何をしているの? 早く撃ち落としなさい」
淡々と子供に命令を下すその姿は、アリアが知っている母親像とはとてつもなくかけ離れていた。
「待って組長! そこの下に姉貴がいるんだ! 生き埋めにされてんだよ!」
「……そう、密が。あの子、ようやく二十歳になってくれたのに。……親不孝な子」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! ッ、もういい! あんたは昔っからそうだもんな! 組長でも母親でもねぇんだよこの木偶の坊!」
恵は叫ぶだけ叫び、炬の腕の中をするりと抜けて駆け出した。密が埋まっている場所にも炎の魔の手はかかっており、恵は顔を顰めながらも手を突っ込んで瓦礫をどける。
「……本当に情の厚い子。一体誰に似たの? 炬の方が私の子供みたい」
アリアは呆然と、自分が何もしなくても流れゆく現状を眺めていた。
守ると誓って、いざ炎を前にすると眺めていることしかできなかった。離れた場所にいても、炎の熱は充分に伝わってくる。それに、怯える。
「……あいつら、状況わかってんのかよ」
ぼそっと、敵の組員の一人が呟いた。それを皮切りに黙るアリアと炬の周囲はざわめき出した。
「どうする、今なら組長も跡取りも同時に殺れる」
「バカ、撤退に決ってんだろ」
「撤退してどの面下げて組に帰んだよ」
「そうだ、俺らが殺られちまう」
業火に戦いていた不穏な空気は伝染する。が、行動に移さないだけまだマシだった。
「あの炎、なのか……?」
──炎竜神の一族にのみ継承される、紅蓮の炎を操る力は。
「あれが、炎竜神の現頭首、炎竜神燐火なのか……?」
刹那にアリアは息を呑んだ。恵の手が、燃えている。
「だめっ、そんなのダメッ!」
アリアは駆け出そうとするが、炬がそれを許さなかった。炬にしては珍しく、焦燥した表情で燐火を睨みつけている。
「燐火、娘だろ。助けろよ」
「……この二人に思い入れなんてないわ。あと数年もすれば、後継者が帰ってくるもの。私はその子を待てばいい」
「死ぬぞ」
燐火は視線を炬に流した。
「死んでもいい、そう言ったら?」
この人は、一体なんなのだろう。こんな人間がいるだなんて知らなかった絶望がアリアを蝕んだ。
「俺はもうお前を助けねぇ。自由に生きる」
生きているのか、死んでいるのかもわからない。
「……そう。破滅を選ぶの」
随分と前に生きることに執着しなくなった、そんな印象さえ抱いた。
「ッ!」
もう我慢ができない。体は動く。だから、炬に爪を立ててでも──。
「……それは、困るわ」
燐火の言葉と共に、炎は急速に消失していった。
「……だって、まだあの子が帰ってきてないもの」
「救えんじゃねぇか」
心底胸糞が悪い。炬は声にそれを滲ませて、燐火を侮蔑の瞳で眺めた。燐火はそれを気にする素振りもなく、黒煙が上るどす黒い空を仰ぐ。
「お姉ちゃん!」
余計な力が抜けた炬の腕の中から抜け出し、アリアは足を縺れさせながらも走った。
「来んな、クソガキ。てめぇに何ができる、見てもトラウマになる……だけだぞ……」
「……あら、恵。その手じゃもう二度と撃てないわね」
わかりきっていたことなのに、燐火はそれをまったく考慮していないかのような口調で感想を漏らした。
「ならないよ」
トラウマにも、撃てない手にも。
「させないもん」
アリアは燐火を睨んだ。
「……好きにしなさい。炬、今度は貴方の番よ」
のそりと立ち上がる炬に背を向け、アリアはしゃがみ込んでいた恵を後ろから支える。
見る前から焼け焦げた匂いがした。
見てから、焼けただれた皮膚に顔を顰めた。
「ほら、言っただろ」
恵はそれだけを言葉にして、意識を手放した。アリアは素早く恵の両腕に手を翳し、治癒をかける。幾層もの皮膚が急速に再生していくのを確認した瞬間、アリアはすぐに恵を離した。
手遅れにならない程度の治癒はやった。これで恵の方はひとまず安心していいだろう。だが、問題は未だに姿を見せない密の方だった。
「お姉ちゃん……!」
この瓦礫ごと再生させることができたなら。いや、できるんだ。アリアにはそれが、いとも容易くできるはずなんだ。
「秘密はもう、秘密じゃない」
どこか冷めた目で炬と敵の組員との抗争を眺める燐火が、もう破ってしまった。あれは偶然の炎じゃない。燐火が意図的にやった炎のはずだ。
「いたいのいたいの──」
アリアが大きく息を吸い込むのと、炬が最後の一人を蹴落としたのはほぼ同時だった。
「──とんでいけぇぇぇぇえぇぇえぇえええええ!」
大きく叫べば叫ぶほど、自分の力が増長されていくのがわかる。
黄金色の光が離れを包み込み、軋みながら徐々に徐々に再生されていく。持ち上がる瓦礫の量も徐々に増え、アリアはその下に埋まっていた密を見つけた。
「あっ!」
足がまた絡まった。それでも必死に密に触れた。
恵とは違いたいした火傷ではなかったのが驚きだ。スーツはところどころが解れ、血が滲んでいるが思っていたほど重症ではない。一言で言うと、炬と同じくらい密はタフだった。
「大丈夫?! ねぇ、しっかりして!」
それでも固く瞳を閉ざしている。
このまま目を覚まさなかったらと思うと、ゾッとした感覚がアリアの体中を駆け巡った。
「おい」
炬はアリアを呼んだが、アリアは返事をしなかった。
「……炬、貴方は早く外に出ることね」
燐火はようやく眠気から覚めたようなブラウンの双眸をまばたかせ、アリアに近づく炬を止める。
「組長命令か」
「……えぇ。まだ、私が《紅炎組》の組長よ」
炬は舌打ちをして、のそのそと母屋に戻っていった。意識がある者で残されたのは、アリアと燐火のみ。それでもアリアは燐火に構わず密に治癒をかけ続けた。
「……その力は、何? 貴方、芽童神の子じゃないわよね」
アリアは何も答えなかった。
好きな人だらけに囲まれていたアリアは、嫌いだと思った燐火に何も答えたくなかった。
「……そうよね? だって、あの子の後継者はまだ赤ん坊のはずだもの」
何を言っているのかわからない。
アリアは唇をきつく結び、ある程度回復した密から恵へと手を移した。
「──貴方はだぁれ?」
心臓を握り潰された。そんな感覚がアリアをまた蝕んだ。冷や汗なんて言える量じゃないそれが肌を伝っていく。こんなもの、今まで味わったことがない。
恐る恐る離れの入口に視線を向けると、燐火もアリアを見つめていた。暖かいものであるはずのブラウンの双眸は鋭利に光り、燐火が暴力団の組長なのだと無理矢理にでも認識させている。
「答えなさい」
彼女の中のスイッチが明確に変わった。答えなければ消されてしまう。そう思ったのに体はまったく動かなかった。
紅蓮の炎を内包する燐火の方が、どんな業火よりも恐ろしかった。
「綿之瀬、有愛」
答えたのは、アリアではなく密だった。
「綿之瀬? 密、貴方はそんな嘘を信じたの?」
燐火と同じブラウンの双眸を開き、密は起き上がる。
「何故、嘘だと?」
「見ればわかるもの。この子が乙梅や五道の子供なわけがないわ」
乙梅、とアリアは口内で呟いて思い当たった。
綿之瀬家の現頭首、綿之瀬乙梅。炬にとっての燐火がそうであるように、今のアリアの伯母にあたる人だ。
「でも、嘘はついてない。私にはわかる」
「わかる? 貴方、何様のつもりでそう言っているのかしら。恵と比べたら似ているけれど、貴方も誰に似たのかしらね」
炬の方が良かったわ。燐火は淡々と告げて、ぬるりと動き出した。実子への愛情はなく、生への執着もない。ただ、炬に向ける感情は熱を帯びていた。
「……でも、炬の通った跡は邪魔」
刹那、気を失っている敵組員の体が発火した。
「ひっ?!」
「組長!」
咎めるような密の声も聞かず、燐火は炎を強める。
「そっ、そこまでよ、燐火さん!」
同時に中庭に突入してきたのは、一人の気弱そうな婦警だった。
不慣れなのか、拳銃を構える手は震えている。自分の体の一部のように扱っていた恵とは一回りも年齢が違うと言うのに、なんとも頼りなさそうな女性だった。
「……エリス」
燐火が感情らしい感情を見せたのは、この時が初めてだった。燐火の驚きと共に縮小していく炎を確認し、エリスと呼ばれた婦警はほっと息を吐く。
「……珍しいわね、貴方が現場に出動するのは」
「だ、だって、ね、狙われてるの、り、燐火さんだし、心配だし、父様が」
「……貴方、本当に鴉貴家の現頭首なの? さっさと後継者を生んで、エリカと交代すればいいのよ」
エリカと聞いてアリアが思い出すのは、睦見を連行した婦警だった。
鴉貴家の現頭首で、エリカの姉。
親しげとは言い難いが、旧友のような雰囲気で暴力団の組長と言葉を交わすエリスもまたある意味では大物だった。
「わ、わ、わかってるけど、子供は」
「……蒼生、でしょ。貴方の子供。炬と同い年だから知ってるわ」
燐火は冷めたような口調で告げ、思い詰めたようなエリスに背を向けた。
「……あげるわ。撤退しなさい。それと密、今から貴方が炎竜神の頭首よ」
「り、燐火さん?! それは、どういう」
「……疲れたの。最期まで隠居させてもらうわ」
燐火は完全に修復された離れに引きこもり、鍵をかけた。それが引き金となったのか、呆然としていた密はびくんっと肩を上げ「組長! どういうつもりですか! 組長!」と扉を叩く。
燐火は、なんの返事もしなかった。
「ひ、密ちゃん、多分、い、今の組長は貴方だと思う」
エリスは困ったように眉を下げ、怯えたように全身に火傷を負った敵組員を見回した。自分では対処しきれないと思ったのか、炬のように母屋に戻って姿を消す。
その隙に治癒能力を使おうとしたが、何故か力が入らずにアリアは膝を折った。
「あ、あれ? どうして?」
「能力、使いすぎ」
そして、呆れたように密がアリアの隣に座った。




