第四話 エンカウンター・オブ・フレイムⅠ
黄昏時が始まる。それでもアリアは、辛抱強く駅前で人を待っていた。
「……なぁ、炬」
「あ?」
待ち人の声が聞こえてきて、アリアは勢いよく振り返る。噴水を挟んだ向こう側にいたのは、陽陰学園の制服を着た炬と愁晴だった。
「かが……」
「昨日会った子の話なんやけど」
「……ッ!」
アリアは向けていた足を止め、咄嗟に噴水の影に隠れる。炬は愁晴の方を見ずに「誰だよ」と眉間に皺を寄せたが、「あぁ、あのガキか」と思い出した。
「ガキ呼ばわりすんなや。アリアやアリア」
愁晴はニコニコと笑い、炬との距離を詰める。
「えらいよな、炬を見ても怖がらへんなんて」
「偉くねぇだろ」
「あぁ、方言や方言。すごいよなぁーって話や」
炬はふと視線を上げた。そして、肯定も否定もせずに僅かに口角を上げて笑った。
「それで、炬はどう思うたん?」
「どうって?」
「アリアのこと。家来にしたいか?」
いつの間にか愁晴は笑顔を消していた。アリアはほんの少し出していた頭を引っ込めて、見つからないように身を縮める。
(したいって言ってしたいって言ってしたいって言ってしたいって言って……!)
「別に」
「なんで第三の答えを出すねん」
ただ、アリアの願いは届かなかった。
「俺はしたいかしたくないかを聞いてんねんけど?」
「なら、今は考えたくねぇ」
「……まぁ、確かにそうやな。もう少しキツくアリアに言うとくかぁ」
愁晴は視線を伏せて息を吐いた。アリアは雑居ビル地区へと向かう二人の背中を眺めていたが、しばらくして一歩ずつ歩き出す。
「かがりん!」
思い切って声をかける。だが、炬はアリアを一瞥せずに駅前を通り過ぎていった。
「あれ、無視?!」
慌てて炬の後を追いかけると、脇の下に腕を入れてきた愁晴に抱き上げられる。
「アリア、危険やって昨日も言うたやろ? 炬の傍におったら誰に何されるかわからへん。頼むからもう諦めなや」
「なんで? 私はかがりんの傍にいたいの!」
迷いを振り切って、アリアは言えなかった言いたいことを愁晴にぶつけた。
「えぇ〜……。アリアが自分で考えて行動したことはええことやけど、ここまで頑固なのはちょっと予想外やわ……」
愁晴は困ったように眉を下げ、理由を言わないまま仕方なくアリアを下ろした。
「それに、そう言うしゅーくんだってかがりんの傍にいるじゃん!」
「俺はええの。俺は炬の〝特別〟やから」
誇らしそうに胸を張ったのは一瞬で、愁晴は炬の「違う」の一言でニコニコ笑顔を凍らせた。
「なんで?! なんでなん?! 炬は俺のことなんとも思うとらんの?!」
「ああ」
「酷いわぁ! 俺にあないなことをしといて!」
「何もしてねぇよ」
炬は振り向きもせずに雑居ビル地区の方へと歩いていく。陽陰学園の制服を着ていても、炬の背中は高校生らしさを感じさせない大人びたそれだった。
「ねぇしゅーくん」
「ん? なんや、アリア」
「しゅーくんはかがりんに嫌われてるの?」
「そんなわけない…………と思いたいけどなぁ」
愁晴はまた困ったように笑い、先を行く炬を追いかける。その後を当然のようにアリアも追いかけるが、雑居ビル地区に入る手前で炬が振り返った。
「おい」
そう短く呼んだのは、愁晴ではなくアリアだった。
「なぁに?」
「俺と一緒にいると、てめぇの親が心配するだろ」
「しないよ」
少し迷ったが即答する。
アリアに死んでほしくないと願った母親は、心配を通り越して怒るかもしれない。それでも、あの人にはもう二度と会えない。そんな母親のことを思い続けることはできなかった。
「ね? しゅーくん」
「んー……。まぁ、少なくとも保護者代わりのあの人は心配せんやろなぁ」
「ほら!」
ドヤ顔で炬を見上げると、炬はまた眉間に深い皺を寄せた。
「なんで心配しねぇんだよ」
「外出許可が出てるもん!」
「外出許可? それだけで心配しねぇって断言できるのか?」
一つずつ紐解くように、炬はじりじりとアリアに詰め寄る。質問攻めに戸惑うが、それほど自分に興味を抱いてくれたことが嬉しくて──アリアは自然と笑みを零した。
そんなアリアの心情を知ってか知らずか、自分を守るようにして愁晴が咄嗟に間に入る。愁晴のことを知っているわけではないが、守りたいという気持ちは本物だ。瞬間にそう感じてまた笑う、自分はとても幸せ者だと。
「せやから炬、お前の気持ちもわかるけどそれ以上は勘弁したってや。その辺の話は俺らにとってちょこーっとだけデリケートやねん」
「お前はキツく言うんじゃなかったのかよ」
「あはははは……。俺、思うとった以上にアリアに甘いなぁ。ちょお待って、話しするか……」
「あれ? アリアじゃん!」
視線を移すと、そこにはイチゴクレープを片手に持った桐也と涙がいた。炬と愁晴とはほんの少しデザインが違う陽陰学園中等部の制服を着用しており、二人はアリアを視界に入れて目を見開いている。
「なんでアリアが施設の外にいるんだ?! あぁでも、食堂の人もいるし平気なのか……?!」
「桐也、沈黙を要求です。アリア、何故ここに……」
「きーくん、るいるい!」
数日ぶりに会った桐也と涙は、戸惑った瞳のまま駆け寄るアリアを片手ずつ抱き止めた。涙はアリアを見下ろし、無表情のままこう告げる。
「アリア、この時間帯は危険です。施設への帰還を要求です」
「時間帯?」
愁晴に何度もこの辺りは危険だと言われていたが、時間帯が危険だとは一度も言われなかった。アリアが訳がわからずに首を傾げると、涙は茜色の空を指差す。
釣られてアリアが顔を上げると、気づかなかったが白い布が何枚も漂っていた。
「黄昏時です。この時間に一番妖怪が出現、です」
「そうなの?!」
「知らなかったのか?! まぁでも、あんまり外に出ないんじゃ仕方ないかもなぁ〜」
「ちなみにあそこにもいます」
今度は首を回す。視線を止めた雑居ビルの屋上では、通常よりも五倍くらいの大きさの犬が辺りを見回していた。
「ひぇっ?!」
「あれが一反木綿で、あれが犬神です。前にもアリアが見たように、これから日が暮れるまで増加です。朝日が昇るまで妖怪は一向に消滅しません」
「そんなっ、どうしようしゅーく…………あれ?」
振り返ると、いるはずだった炬と愁晴がいなかった。
「しゅーくん?! かがりん?!」
帰宅途中の会社員が増えていく。普通なら人ごみに消えていったのかと思うが、相手は《十八名家》の炬と何故か妖怪が見える愁晴だ。不安だけが募っていく。
「ど、どうしよう!」
「うーん? パッと見どこにもいないから帰ったんじゃないか?」
「妖怪の仕業なら俺が気づきます。だから安心です、アリア」
「でも……」
炬も愁晴も、自分を遠ざけたがっていた。だからアリアが桐也と涙に気をとられている隙に逃げたのかもしれない。
「……でも、なんかモヤモヤするの! きーくん、るいるい、お願いっ! 一緒に来てくれる?!」
桐也と涙は顔を見合わせた。
「お願いっ! 一生のお願いだから!」
アリアが慌てて懇願すると、その勢いに押されて桐也が思わず頷く。
「わ、わかった! いいよなナミダちゃん!」
「アリアは俺の夢を叶えてくれます。だから、俺はアリアの願いを叶えます。あと桐也、俺の名前はルイです。ナミダではないです」
「細かいことはどうでもいーんだよ! で?! どこに行くんだアリア!」
「俺たちはどこまでもアリアのお供です」
「《ハリボテの家》!」
叫んだアリアは、雑居ビル地区へと足を踏み入れた。桐也も涙も躊躇うことなくアリアの後を追いかける。
燃え尽きた雑居ビルを通り過ぎ、奥へ奥へと進んで見えてきた《ハリボテの家》は──何故か昨日よりも錆びれて見えた。
「あれ!」
「意外と近いな! よっしゃ、食堂の人ー! あと炬さーん! いるなら返事をしてくれー!」
階段を駆け下りようとして、アリアは足を止める。どこからどう見ても、炬が取りつけたはずのあの扉が真っ二つに割れて壊れていた。
「かがりん?! しゅーくん?!」
中に飛び込むと、相も変わらず《ハリボテの家》には何もない。
「なんだこれ……! 蹴破ったのか?!」
「物騒です。──馳せ参じたまえ、エビス」
振り返る。涙の手から離れた札は光を放ってエビスとなり、桑茶色のぱっつん前髪から覗く瞳と目が合った。
「エッちゃん!」
「えっちゃん? 主、こちらの方はあの時の……」
「アリアです。エビス、ここは物騒です。俺たちを守護してください」
「承知致しました」
エビスは涙に一礼し、すぐさま神経を研ぎ澄ませた。式神のエビスに全信頼を寄せている涙は安心したように息を吐き、アリアに視線を移す。
「どうですか? アリア」
「あのね……ここ、昨日来た時はこんなにボロボロじゃなかったの」
アリアはもう一度《ハリボテの家》を見回した。
四五階までありそうな高い天井は何も変わらず、壁には小さな跡が無数につけられている。アリアが一歩足を出すと、瞬間に床が抜け落ちた。
「っぎゃ!」
「アリア!」
「大丈夫か?!」
桐也と涙に支えられ、アリアはゆっくりと足を抜く。その床は腐っているわけではなかった。よく見ると、無数の傷がつけられているのだ。
「どうして……? ッ、きーくんるいるい! どっちか携帯貸して!」
「俺持ってる! ほら、アリア!」
「きーくんありがと! …………、使い方教えて!」
「いや、番号教えてくれたら俺かけるぞ?!」
「じゃあこれ! ここにかけて!」
アリアは常にポケットに入れていた名刺を桐也に差し出した。桐也は「おうっ!」と名刺を裏返し、炬のように眉間に皺を寄せる。
「ん……? っとぉ、これ吹雪さんのケー番だ! ヤバいどうしようナミダちゃん!」
「かけてください。あと、俺の名前はルイです」
「わかったナミダちゃん!」
「桐也、わざとですか?」
桐也は瞬時に携帯に指を滑らせてアリアに手渡した。受け取ったアリアは愁晴の見よう見まねで口に携帯を寄せる。
「違う! アリア、持ち方ちょっと違う!」
「わかった!」
「それも違う! こう!」
「二人とも、ボケてる場合ではないです」
桐也に持ち方を矯正された途端、プツッと音質が変わった。
『はい、雪之原です。どちら様でしょうか』
「ふぶりん! 私! アリア!」
『……アリア? 何かあったのですか?!』
「《ハリボテの家》がボロボロにされてて、かがりんとしゅーくんがいないの! どうすればいい!?」
『ボロボロに……? わかりました、急行します。アリアはそこで待っていてください』
「わかっ……」
「主!」
「……ッ?!」
アリアの声を遮ったのはエビスだ。エビスは緊迫した声色で主の涙を呼び、一気に緊張感が走る。
「何者かが複数人こちらに向っています! 裏口からお逃げください!」
エビスは真正面の戸口を指差して、何故か日本刀を抜刀した。
「ふっ、ふぶりん待って! 危ないからやっぱり来ちゃダメ!」
『なら早くそこから逃げて! それと、絶対に通話は切らないこと!』
「うん!」
アリアは裏口の扉を開け、外に出た。正面口とは違い裏路地になっている通路はゴミで溢れている。
「アリア、俺について来い!」
「来ます! 主も出てください!」
足音がアリアの耳にも複数聞こえた。これは階段を駆け下りる音だ。本当にすぐ傍まで誰かが来ている。
意味を成さない扉を蹴った音、そして、ボスと思われる声──。
「現場百回! この地区を張っていればまたここに来ると思っていたぜ、炎竜神!」
「そのような方はここにはおりません!」
エビスが答える。瞬間に《ハリボテの家》を出た涙は相手を確認して扉を閉めた。
「るいるい?! エッちゃんは?!」
桐也の真後ろを走っていたアリアは一瞬足を止めそうになるが、追いつく涙に流されて走る。
「エビスは俺の式神です。俺が逃げればエビスも逃亡完了です。アリア、裏路地は妖怪の発生率も高いです、警戒です」
「あぁもう、なんかよくわかんねぇけどあっちもこっちも敵だらけだな?!」
「きーくん、るいるい……! ごめんね……!」
「気にすんな! 向こうが炎竜神家を探してるってことは、《十八名家》案件だ! な、ナミダちゃん!」
「あれは町のブラックリストに載った、外部の組の人間です。あと、俺の名前は……」
声が消える。雷のような轟音が、この地区に鳴り響いていた。




