第三話 フレイム・オブ・グレンⅤ
赤かった。そして、今まで見たどんな赤よりも綺麗だった。
両親と遭遇した、荒ぶる炎の赤。両親と別れた、迫り来る炎の赤。亜子に傷つけられて、流れた涙の血の赤。
乾と二人で見上げた、鮮やかな夕日の赤。乾と朔那と三人で力を合わせたのは、同じ炎でも静かに燃えていた炎の赤。朔那に会いたくて、乾と共に駆け下りた坂道に散っていた──落ち葉の赤。
あぁ、それと。
いつの日か食べたクレープはイチゴのクレープで。イチゴの赤が印象的で。そしてその日、朔那が初めて〝友達〟だと言ってくれて嬉しくて。
赤にはたくさんの思い出があつた。悲しく、楽しく、美しい思い出。
それでも、目の前に立っている炎竜神炬が魅せた一瞬の赤にはどれもこれも敵わない。それくらい美しかったのだ。
「かがりんってかっこいいね!」
「は?」
気づいた時には、アリアを拘束していた二人組の男性は立ち上がることができないほどの傷を炬によって負われていた。
「かっこいい! かっこいいっ! かっこいいよ!」
やはり自分の勘は間違っていなかった。自分はこの人の、炎竜神炬の家来になるんだ。
王様や王族、その家来になったら殺される。母親はアリアにそう教えていた。それでもアリアは、炎竜神炬の家来になりたかった。
「アオ、大丈夫なん? 怪我は? ごめんなぁ、俺らの戦いに巻き込……」
「あのっ!」
「え、何?! 急にどないしたん?!」
アリアは真っ直ぐな瞳で炬のブラウンの双眸を見上げる。
「──私をかがりんの〝けらい〟にしてくださいっ!」
精一杯に声を出して、炬の双眸の面積が少なくなるのをじっと見つめる。目を細めた炬は面倒くさそうにアリアのことを見下ろしていた。
「…………は?」
ぽかんと給仕の青年が口を開いた。そして慌てて首を横に振り、アリアの両肩を掴む。
「あんな、ダメやでアオ。家来なんて、いくら遊びゆうたって……」
「遊びじゃないもん! それに、私の名前はアオじゃなくてアリア! 綿之瀬有愛だよ!」
「……あっ?!」
ぎょっと、今度は目を見開いた。その理由に気づき、アリアは「あっ」と口を手で塞ぐ。
──名乗ってはいけない、名乗らせてはいけない。
理由はよくわからないが、それが給仕の青年とアリア、乾の間にある取り決めだった。
「ご、ごめんね……?」
「…………あぁ、いや、もうええんよ。もう、そないなことは気にせんといて」
「えっ、どうして?」
「俺の名前は朝霧愁晴。十七歳や。気づいとると思うけど、俺はアリアと同じで町外出身の田舎モンやから仲良くしてな」
愁晴はニコニコ笑顔で微笑んで、アリアに手を差し伸ばす。
「私、綿之瀬有愛! 十一歳!」
嬉しくなったアリアは再度名乗った。愁晴の手を握り、すぐさま離して炬の方へと手を伸ばす。興味がなさそうに男性二人を眺めていた炬は、急に目の前に現れた小さな手を一瞥して眉間に皺を寄せた。
「んだよ」
「私、かがりんの〝けらい〟になりたくて来たの!」
「断る」
「ふぇ?!」
行き場をなくした右手を茫然と眺めながら、アリアはがっくりと肩を落とす。愁晴はそんなアリアに苦笑いを見せながら口を開いた。
「まぁ、そういうことやから。とにかく今日はほんまにごめんな? アリアは日が暮れんうちに施設に戻り。そんでもう二度とこっちに来たらあかんで? 危ないからな」
「やだ! そんなこと言われても私は絶対に諦めないからね!」
「えぇ〜……、そないなこと言われてもなぁ。諦めろしか俺は言えへんで?」
「諦めないからね!」
アリアと愁晴の口論は平行線を辿る一方だった。そして、それを打ち切ったのは愁晴だった。
「アリア、ごめんな。前言撤回や。今日は施設に帰るまで俺の傍から離れたらあかんで?」
「ほんとに?! やったぁー!」
「『やったぁー』やないやろ。ほら炬、ここから逃げるで」
「……ん?」
先ほどの生き生きとした表情はどこに消えたのか、炬は面倒くさそうに愁晴に視線を投げた。
「『ん?』でもないやろ。……黄昏時が深くなりすぎたんや」
「……そうか。なぁ、愁晴」
ぼそっと、炬が愁晴の名を呼んだ。
「なんや、どないしたん炬。ゆっくりしとる暇はないんや、人の話聞いとった?」
「あぁ。本家に連絡して、こいつらを引き取らせろ」
「そんなん自分でやれやー。俺も炬と同じで機械オンチやねんぞ? なぁ? アリア」
「でも、しゅーくんいっぱい電話してるじゃん」
「あれは慣れや慣れ。こっちはスマホやもん」
愁晴はため息をついてアリアの手を握り締めた。「少し走るで? 炬もはよしぃや」と、返事をする暇もなく走り出す。
「わっ!」
「怖いんや?」
「全然!」
「嘘つけ」
風を切りながら振り返ると、炬もオレンジ色の髪を靡かせながらついてきた。目が合って、炬の切れ長の瞳がまた細くなる。
「炬、アリアの前で怖い顔すんなや」
「してねぇ」
「怖くないよ!」
否定すると、炬はさらに皺を寄せた。
「かがりんはかっこいいよ! ね、しゅーくん!」
「あははっ! アリアは怖いもの知らずやなぁ。早速俺らにあだ名つけとるし」
炬は不機嫌そうに見えるが、先頭の愁晴はそうは見えない。そんな愁晴は足を止め、傍にある建物を不意に見上げた。
「ここは?」
「俺らの隠れ家や。炬が買い取ったんやで」
ここも雑居ビルのようだったが、隙間なく建っている他の雑居ビルよりも、見た目があまりにもらしくなかった。
良く言えばシンプル、悪く言えば地味。特徴という特徴もなく、ボロボロの外壁と何も入っていない錆びついた企業看板が虚しさを引き立てていた。
「おいで、アリア」
不自然に取りつけられた扉があったのは、階段を数段下りた先だった。
「なんか変だね」
「やっぱり変なんやって」
「うるせぇ」
炬は不服そうに顔を顰めた。そんな炬が取りつけたらしい扉を開けると、燃え尽きた雑居ビルとは違い何もなかった。
「……え?」
空洞が天井にまで広がっている。
「ようこそアリア。俺らの《ハリボテの家》へ」
愁晴は腕を広げて紹介したが、次の瞬間困ったように眉を下げた。
「言葉通り、ハリボテやからなんもないけどな」
「どうして何もないの?」
「元から隠れ家として作られたモンやからなぁ。余計なものは一切ないねん」
「へぇ〜。しゅーくんはなんでも知ってるんだね」
「まさか。俺もアリアと同じで知らんことばっかりや」
愁晴はニコニコと笑い、無造作に放り投げていた陽陰学園指定の鞄からスマホを取り出した。
「ちょっと待っててな」
そう言って愁晴は隅に移動していく。
その背中を見ていたアリアは、隙間風に身を震わせて炬に寄り添った。
「……おい」
「えへへっ。かがりんってなんだか温かいね」
炬は短く舌打ちをしてアリアから目を逸らす。
朔那の言う通りとても強く。乾の言う通りちょっとバカ。それが炎竜神炬という人なのだとアリアも思った。
「てめぇ、本当に綿之瀬家の人間なのか?」
「うん!」
炬はアリアを一瞥した。
アリアの金色のツインテールに、炬は例のボロボロの指をつっこむ。
「わっ?!」
「お前みたいな奴を俺は知らねぇし、愁晴はお前のことを外の人間つってただろ」
「でも」
「〝かぞく〟なら、愁晴も綿之瀬家になる」
炬は無造作にアリアの髪を梳いた。
炬の言うことは、わかるようでよくわからなかった。
「ならへんよ。俺は最期まで朝霧愁晴や」
「しゅーくん!」
「ごめんな炬。俺ら、ちょっとワケありやねん。あんま口挟まんといてな」
「…………そうか」
指を抜いた炬は息を吐き、それ以上は何も聞いて来なかった。
「アリア、あと少しで日が暮れるからな。施設長には連絡しといたから、そん時に二人で帰ろか」
「うん、わかった!」
アリアは笑って、何もない《ハリボテの家》をじっくりと見回す。外見とは違い小綺麗な内装だったが、今にも崩れそうな脆さがあった。
「ねぇねぇ、どうしてしゅーくんとかがりんが一緒にいるの?」
「俺らクラスメイトやねん。な? 炬」
「あぁ」
「じゃあ、友達?」
「友達や。な? 炬」
「あぁ」
炬は淡々と答えていた。
間違ってはいないのだろうけど、炬と愁晴の間には温度差を感じる。それでも愁晴はニコニコと笑い、炬はそれを許していた。
「炬、そこにいるの?」
許可なく扉を開けたのは、吹雪だった。吹雪はアリアと愁晴を見、「あら」と目を丸くする。
「二人とも、こんなところで何を……」
「友達やねん、俺ら」
「そうなの? だとしたら貴方は友達を見る目がないわね」
「ふぶりんこそ、なんの用でここに来たの?」
吹雪はいい人だが、未だに施設に来た時の衝撃は忘れられない。アリアがおずおずと尋ねると──
「一応プライベートですよ、アリア。ここの建物、建築法違反をしているんです。…………炬、貴方がここの所有者になったのなら、早急に取り壊しなさい。これが最後の勧告よ」
──吹雪はアリアにだけ安心するように微笑んだ。
「…………うるせぇな。どうする気もねぇよ」
「炬、貴方が前の所有者からこの建物を買い取った経緯は聞いているわ。だからこうしてプライベートで来ているのよ?」
「お前、自分のことは棚に上げんだな。自分の仕事場が入っていたビルが燃えたっつーのに」
「それとこれとは話が別だわ。見なさい、今にも崩れそうで危険じゃない」
「崩れたら崩れたでいい」
「炬って、ほんと昔から身勝手ね。貴方、友達ならちゃんと言ってくれる? このままにしていたらどうなるかわかるでしょう?」
急に話を振られた愁晴は、慌てたような口ぶりで頷いた。
「わかりますわかります。うちの炬がどうもすんませんでした。後で言い聞かせますんで、今日のところは勘弁してやってください」
吹雪の背中を押し、愁晴は無理矢理彼女のことを外に出す。
「ちょっと、話はまだ……」
吹雪を締め出す直前にアリアが見上げた空は、黒く染まっていた。
*
「おやすみ」
乾が電気を消し、二段ベッドの上段に上がる。その布団の中に入っていたアリアと目が合った瞬間、乾は訝しそうに目を細めた。
「……何してんの?」
そう尋ねられるとわかっていたが、「だって寒いんだもん」と言うことしかできなかった。
「あまり答えになってない気がするんだけど」
「えぇー! ほら、一人で寝るよりも二人で寝る方が温かい? みたいなのあるでしょ?」
「ま、秋だからね」
「ねぇー。ってことで、前からこうしたいと思ってたから一緒に寝ていーでしょ?」
断られるかもしれない。いくら親しくなったとしても相手はこういうのが苦手そうな乾だ。不安で胃が捩れてしまう。
「…………わかったよ」
だが、乾は長い間悩んだ末に了承した。
「うわーい! ぬくぬくっ!」
「ぬくぬくって……」
「人の温もりってやつだね!」
「……ん、そだね」
人の温もり。
今まで感じたことも、考えたこともなかった。それはきっと乾も同じ──いや、考えたことくらいはあるかもしれない。
「温かい。〝炎〟みたい……」
「…………ん」
だからこそ、アリアはどうしても──何がなんでも、炬の家来になりたかった。死ぬのは絶対に嫌だったが、強くなりたいという思いの方が強かった。
「じゃ、おやすみ!」
「おやすみ。アリア」
乾が笑ったような気がした。ただ、背を向けている乾の顔を見ることはできなかった。




