第三話 フレイム・オブ・グレンⅢ
正面玄関から堂々と外に出て、アリアと乾は駆け出していく。長すぎる坂道を駆け下りながら、日に日に増えていく真っ赤な落ち葉を二人で踏む。
赤いトンネルを抜けた先の世界には、青い青い空が二人のことを待っていた。
「さぁっくーん!」
アリアが大声で名を呼ぶと、今日も公園のブランコにぽつんと座っていた朔那がびくっと両肩を上げる。そして恐る恐る顔を上げ、駆け寄って来るアリアをじっと眺める。その青目に見つめられたアリアは昨日の火事を思い出して速度を落とし──次第に歩幅を緩めていった。
「……さっくん」
なんて尋ねよう。さっきまで幸せな気持ちでいっぱいだったのに、急に尋ねるのが怖くなって口を噤む。大丈夫だと思っていても、どうしようと心の底では拭い切れない不安が沈殿している。
アリアが何も言えないでいると、そんな彼女に疑問を抱いた朔那が訝しそうに見上げてきた。
「おい、何かあったのかよお前。らしくねーじゃん」
「えっ?! そ、それは……!」
「おい南雲」
振り返ると、ゆっくりと歩きながらアリアについてきていた乾が真後ろに立っていた。
「んだよ」
「お前、昨日のことは覚えてるのか?」
「ぬ、ヌイ!?」
ストレート過ぎる乾の物言いにぎょっとするが、乾は平然とした表情を続けている。だが、拳はきつく握り締められており、それは微かに震えていた。
「は? 昨日?」
恐る恐る朔那に視線を戻すと、朔那は難しそうな表情をしていた。
「……お前らにイチゴクレープを買わされたな」
「他には?」
「……他?」
イチゴクレープも大切な思い出だった。それでもアリアが──アリアと乾が友達だと思っている朔那に思い出してほしい記憶はそれではない。
「……お前に……友達か、って……聞かれたか……?」
「なんで疑問系なんだよバカ」
「はぁ? うるせぇな、覚えてるかって聞いてきたのはお前の方だろーが」
「南雲の方こそうるさい。で? お前はなんて答えたんだ?」
朔那は「はぁ?」と呆れて乾を見上げた。そしてしばらく俯いて黙考し、不意に顔を上げる。
「──……『そうなんじゃねぇの』」
そしてぽつりと呟いた。
「曖昧だな」
「お前いちいちいちいちうるせぇな。……いや、『そうだよ』……か?」
何か引っかかりを覚えたのだろう。朔那は再び黙考するが、乾がそれを許さない。
「もういい。無理に思い出させようとして悪かったな」
「なんだよ珍しく謝って。ほんと今日のお前ら気持ちわりぃな……いや、いつも気持ちわりぃか」
「てめぇ今なんつった」
「さっくん酷いよ!」
それでも心は軽くなり、ほっと息を吐いてしまう。
朔那から出てきた言葉はすべて否定系ではない。記憶が曖昧でも、アリアはそれだけでとてつもなく嬉しかった。
「……あ、そういえば」
記憶の奥底に眠っていた何かを見つけたのだろう。朔那の表情に光が入る。
「ん?」
「変な夢を見た気がする」
「はぁ? なんで夢の話を……」
「お前は黙って人の話を聞くスキルを身につけた方がいいと思うぞ。その夢にお前ら二人が出てきたんだ」
アリアの表情にも光が入った。思わず朔那に顔を近づけ、「どんな夢?!」と声を弾ませる。すると、朔那は「近い」と身じろぎしながらアリアを避けた。
「……ぜってー笑うなよ?」
「内容によ……」
「笑わないよ!」
アリアは乾の言葉に自分の言葉を重ね、彼女に激しく同意を求めた。乾は渋々「笑わない」と答え、不貞腐れながら腕を組む。
「これもよくは覚えてねぇんだけど、赤い──炎に包まれた夢だった」
「…………こんなの笑えねぇよ。ただ、ほんとに変な夢だな」
「うわーっ! うわぁーっ! ステキな夢だね、さっくん!」
本人が夢だと思っていても、覚えていてくれた。アリアにはそれが堪らなく嬉しくて、必死に言葉を探してみるが結局はそう言うことしかできなかった。
朔那は予想外の返答に驚いたような表情で。乾が笑わなかったことも、アリアが喜んでいることも朔那には理解ができなかった。
「あぁ。妙にリアルだったけどな」
ただ、〝肯定〟されることは嬉しかった。
だからつい、もっと二人に喋りたくなる。
「リアル、ね。南雲らしくないな」
「ッ! ……かもな。忘れろ」
「断る」
「ざけんな」
「南雲に拒否権などない」
「はぁ?! だいたいお前はいつもいつも……」
「ストップストップストープッ! なんで急にケンカしようとするのぉ!」
他の誰でもないアリアが止めたからこそ、乾は黙る。そして、乾が黙れば朔那も黙った。
「みんなずっと仲良しで、これから先もずっと一緒なんだから!」
アリアは無意識だったが、乾はその言葉のおかげであることを思い出した。それは今日、ここに来た目的の一つだった。
「そういえば南雲、お前今いくつだ」
「十二」
「小六?」
「あぁ」
「中学はどこに行く」
アリアはじっと朔那を見つめた。乾が言うには、朔那のこの返答次第で自分たちの人生が大きく変わってしまうらしい。
「……確か、柊命中学」
「柊命か。町唯一の公立中学校じゃねぇか」
「みたいだな。つーかお前ら、俺にばっか喋らせてんじゃねぇよ。今俺に聞いたことをお前らも今すぐ全部答えろ」
「私は十二歳、小六、柊命。アリアは十一歳、小六、柊命」
刹那、朔那は茫然と乾を見上げた。
アリアも真横の乾を見ると、乾は得意げに笑いながら心の底から楽しんでいるように見えた。朔那に視線を移せば、何が楽しいのかさっぱりわからないというような表情をしていたが。
「どこの名家かは知らねぇけど、お前らほどの人間が柊命に来るなんて頭イカれてんじゃねぇの?」
「私は正常だバカ」
「……さっくんは嬉しくないの?」
アリアはまた不安になった。乾に対する不安は一切ないというのに、朔那の言動一つ一つが自分を一喜一憂させている。
この不安が全部消えてしまえばいいのに──アリアはそう思っただけで何もできなかった。
「嬉しいとか嬉しくねぇとかわかんねぇよ。ただ、頭イカれてるとしか思えねぇ」
「どうして?」
「さっき乾が言った通り、柊命は町内唯一の公立だ。だから不良とかそういうヤバいヤツらが多い。お前らが行っていいような学校じゃねぇよ」
「さっくんは行ってもいいの?」
「私立に行く金なんてうちにはない」
アリアは改めて朔那を見つめた。
白い肌、痩せた体、ぶかぶかの服にボロボロのランドセル。錫色の髪は朔那の境遇を目に見えて理解させ、青目は静かに燃えている。
「だから俺には柊命しかねぇ。けど、お前らは陽陰学園にもその辺にある私立の女子中にも行けるんだぞ? バカじゃねぇーのって話だ」
「アリアが南雲と同じとこじゃないとダダをこねるからな、バカなのは当然だろ?」
「だってさっくんと一緒にいた方がぜっったいに楽しいもん!」
「……お前、ほんとバカだな」
ぐさっと心を刺された。朔那はそんなアリアに気づかず逡巡し、人差し指を立てる。
「もう俺から止めるようなことは言わねぇけど、お前らバカだから一応言っておく」
「私をバカに入れるな」
「お前もかなりのバカだよ。……柊命には、とっくのとうに卒業してった男が未だに不良生徒を束ねている。その男っつーのが、陽陰学園高等部三年の炎竜神炬だ」
「かがり……?」
アリアは首を傾げたが、乾は眉間に皺を寄せた。
「ヤツはお前らと同じ《十八名家》で、《紅炎組》の一員だ。目をつけられたら生きられない。間違って柊命の不良にケンカを売ってみろ、炎竜神炬が飛んできてお前らは死ぬぞ」
朔那の話は、どこか別世界の話のように聞こえた。と同時に、胸の中から熱い何かが込み上げてくる。
死んでしまうかもしれないという恐怖はまったく込み上げて来なかった。当然誰かを殺したいわけでもなかったが、心も、体も、強くなれるような気がした。
(私の、強くなれる〝居場所〟。守る力と、戦える力が持てる〝居場所〟……)
「大袈裟だ南雲。炬は暴力団の一員だが、立場は炎竜神家の誰よりも低い。アレは一匹狼を好むくせに愚連隊のリーダーをやらされているだけのただのバカだ」
「え、その人バカなの?」
「バカだ」
その瞬間、アリアはまだ見ぬ炎竜神炬と共鳴したような気がした。会いたい、そう願った瞬間にどくんっと胸が自分の存在を主張する。慌てて胸に手を当てると、ドキドキと続けて音を立てているのが自分でもわかった。
(その人の傍にいたら、私も強くなれるのかな)
朔那はそんなアリアに本日二度目の訝しげな視線を向け、次の瞬間に目を見開いた。
「……そういえばお前ら、服変わったな」
「はぁ? 今さらかよ死ね」
「は? 気づかねぇよ普通」
「んなわけあるかぁっ!」
また、乾と朔那が喧嘩を始める。
アリアはなんでもないように二人の喧嘩を再度止めたが、朔那が服にまったく関心を示さなかったことに純粋に驚いていた。
(さっくんも意外とバカなんだなぁ)
そして、ぼんやりとそう思った。
そして、朔那には「お前にだけは言われたくねぇ」と怒られてしまいそうだなぁなんて思いながらまた一人でニコニコと笑った。




