第三話 フレイム・オブ・グレンⅡ
『アリア、乾。この名刺には私の連絡先が書いてあります。なんの用事がなくても構いません。いつでも連絡してきてくださいね』
吹雪はそう言い残して養護施設を後にした。
吹雪が出ていった後の施設はやけに静かで、アリアはごくりと生唾を飲み込む。瞬間、後ろに立っていた五道が息を吸い込む音が聞こえた。
「アリア君、乾君。君たちは何故雪之原家の人間がここを嗅ぎ当てたのかわかるかね?」
生唾の次は息を呑んだ。顔が見えなくてもわかる。今まで過ごしてきた中で一番冷たい声が聞こえ、彼が醸し出す雰囲気に怯える。
「あのなぁ、終わり良ければすべて良しだろーが。向こうは一旦見逃すっつってんだろ? ……それともなんだよ、さっそく使ってほしいのか?」
そんな五道に反抗するように、乾は大事そうに持っていた名刺を振り翳した。すると今度は五道の方が息を呑み、諦めたのか短く息を漏らして気を緩める。
「……二人とも、今日の残り時間は自由に過ごしてもらって構わない。ただし、食事前には必ず戻るように」
「ちょっ、ちょっと待って父様。それはどういうことなのかしら」
「言った通りだよ、小町。アリア君と乾君に外出許可を出した、ということだ」
「〝じゆう〟に外に出ていいの?」
アリアは蒼目をまんまるにさせて五道を見上げた。
「まぁ、そういうことだね。こうなってしまったからにはこの施設に縛り続けている意味もないのだから」
見ている相手は五道だったが、脳裏に焼きついていた炎が目と鼻の先でゆらゆらと揺らめく。それでもアリアは、もう何も怖くはなかった。
「やったぁー!」
「アリア、はしゃぎすぎ」
乾がアリアを窘めるが、その表情は今まで一度も見せたことがないくらいに晴れやかな表情だった。
「ヌイ、行こうよ!」
「あぁ、乾君は少し待ってくれ。物わかりのいい君にだけ話したいことがあるんだ」
だからか珍しく抵抗を見せない乾は、アリアに引っ張られていた手を引き戻した。
「アリア。貴方は先に部屋に戻ってなさい」
「どうして?」
外に出ていいと言われたばかりなのに、何故部屋に戻らなければならないのだろう。
「アリアと乾は女の子ですからねぇ? その服のまんまというのは嫌じゃないですかぁ?」
アリアは着ている白いワンピースを見下ろした。
このままというのは嫌じゃなかったが、毎日同じデザインの服を着ていると朔那にどう思われるのかが気になって首を横に振った。
「亜子、貴方趣味で何着か作っていたわよね? それを着せてあげなさい」
「ふふふ。もちろん私もそのつもりでーすよぅ? 乾も話が終わったら戻ってきてくださいねぇ?」
亜子がアリアの右手を握って、一号室へと続く階段へと爪先を向けた。アリアは咄嗟に左手で小町の右手を握り、関係ないと決め込んだような顔をしていた小町を巻き込む。
「なっ?!」
「えへへ」
驚く小町の右手だけを振り回してアリアは笑った。
もしも自分に姉がいたら、小町と亜子がいい。兄は涙と桐也と給仕の青年で、父親は五道。母親は吹雪で弟はエビスと伊吹だ。乙梅は伯母で、乾は──。
「あこりん、こまっちゃん。私とヌイはどっちがお姉ちゃんだと思う?」
「愚問ね。乾に決まっているでしょう、あの子はアリアよりも早く生まれたんだから」
「ふふふ。確かにそうですけど、アリアは早生まれですからねぇ? 学年で言えば同級生でーすよぅ?」
「貴方、そんな細かいところまで見ていたのね」
「もちろんでーすよぅ。私たちは〝かぞく〟ですからねぇ〜」
ニコニコと笑う亜子だったが、それでも小町は眉間に皺を寄せて、理解できないとでも言うような表情を見せる。
「私は亜子と家族になったつもりはないわよ?」
「同じ釜の飯を食べたらもう〝かぞく〟、でーすよぅ。私は両親よりもここにいるみんなの傍にいたいと思ってますからねぇ? それでも小町が〝かぞく〟と認めてくれないのなら、悲しいですがそれはそれで養子縁組も考えるでーすよぅ?」
「はぁ〜……。バカじゃないの、亜子。わかったからそんなことしないでちょうだい、芽童神家を捨ててもいいことなんてないわ」
「実家は本家の嫡子である八千代が継ぎますから、平気でーすよぅ」
小町は「そういうことじゃないわよ」と呟いて一号室の扉を開ける。
十二畳ほどの広さの一号室は、部屋の奥に二段ベッドが置いてあるだけで他には何もない。アリアは二段ベッドの下段に潜り、二階の自室から服を取ってくる亜子を小町と待った。
静かな時間の中、不意にアリアは思う。
(あの時、私は役に立ててたのかな?)
涙とエビスを見て、助けたいと思ったのは間違いなかった。
《十八名家》が背負っている運命に、誰も傷ついてほしくないと思ったのも間違いなかった。
《十八名家》という点で言えばアリアはまったく関係ないが、一度関わった人たちが──何よりも〝かぞく〟が苦しむ姿をもう二度と見たくはなかった。
(もっと、強くなりたい。みんなの役に立ちたい。こまっちゃんやあこりんみたいにナイフは使えないし、ヌイみたいに使いたいとは思わないけれど……ちゃんと守れるようになりたい)
『君は〝兵器〟になる為に生まれてきた、〝道具〟として扱われる為だけに生まれてきたんだ』
『要するに貴方は、そういう意味では〝なりそこない〟みたいな子供なの』
(〝なりそこない〟の、〝兵器〟。強くなりたい、こんな私の……〝居場所〟は……)
アリアは深く目を閉じた。
乙梅がいた綿之瀬家の本家は、好き。〝かぞく〟が守るこの施設は、怖い時もあるけれどちゃんと好き。
(私の、強くなれる〝居場所〟。守る力と、戦える力が持てる〝居場所〟……)
ほんの少しうとうとしていると、聞き覚えのある足音が近づいてきた。
「お待たせなのでーすよぅ」
「ただいま」
すぐさま開いた扉の音に反応して、アリアは目を擦って蒼目を開けた。
戸口に立っていた亜子の手には大量の服が積み重なっており、乾はアリアを見て呆れたような表情をする。
「ちょっと、もう眠いの? アリアってほんと子供みたい。そんなんじゃ中学生なんてやっていけないよ」
「だって子供だもん」
アリアが頬を膨らますと、亜子は持っていた服を落として小町は口をあんぐりと開けた。
「乾、貴方、今なんて言ったの……?」
「『中学生なんてやっていけない』。五道が私たちを中学に入れるって言ってきた。それと、戸籍の関係で綿之瀬五道の養女になることも決まったし、これから本家の頭首が来るから亜子と小町は準備しとけだとよ」
一気に言葉を並べた乾に反応したのは、小町ではなく亜子だった。
「あらあらあらあら。その〝かぞく〟の中に私は入っていないんですかぁ?」
「入ってない」
「ば、バカ亜子、問題はそこじゃないわ。乾、本当に父様が、父様がそう言ったの……?」
「あぁ」
いつもなら何もわからない会話だったが、今日の会話だけはアリアにも理解できた。じんわりと体の芯が熱くなり、弾けるように発火する。
一人だけ頬を膨らます亜子ごと抱き締めるような勢いで、アリアは乾に飛びついた。
「ヌイっ! 〝かぞく〟だっ! 私たち〝かぞく〟だよっ!」
「あぁ、家族だ」
「こまっちゃんはお姉ちゃんだ!」
「なっ! 生意気でおバカな妹なんていらないわよ!」
「と言いつつ顔が真っ赤なのでーすよぅ。小町、嬉しいのなら素直に喜ぶべきでーすよぅ。私は両親が健在ですが、小町は生まれた時から父子家庭なのですからねぇ」
拗ねた表情の亜子は、それでもどこか小町の幸福を祝福するように小町の感情を後押ししていた。一方の小町は反抗するようにそっぽを向き、何も聞こうとしない姿勢を取る。
亜子はそんな小町をどうしようもないと言うように小さく笑い、包み込むように抱き締めた。
「ねぇねぇ、ヌイ」
「何?」
「ちゅうがくせいって何?」
「は? 何寝ぼけて……あぁ、そっか。これさえも知らないんだな、あんたは」
乾は決して呆れなかった。そして憐れむような表情もしなかった。
「学校だよ学校。わかる?」
「わかんない」
「みんなで勉強するの。今は秋だから、冬が来て、春が来たら中学生」
「へぇ〜」
「絶対にわかってないでしょ。……ねぇ、アリアはさ。ここじゃないどこかで勉強するとしたら、どこで勉強したい? っていうか、誰と一緒がいい?」
「ヌイとさっくん!」
即答だった。乾は真っ直ぐなアリアの心を知ってか知らずか、「だと思った」と微笑する。
「じゃあ行こう。あいつのとこに行かないと、今んとこ何も始まらないから」
「うんっ!」
アリアはニコニコ笑顔で返事をした。ここに来てからたくさんの出来事があったが、これからも何かが始まりそうな予感がしていた。




