第三話 フレイム・オブ・グレンⅠ
翌朝、二階にある小町の実験室にアリアと乾はいた。小町と亜子、アリアが見守る中、乾は箱の中身に意識を向ける。
「…………バナナ」
「正解よ。ようやく自分の意思で能力をコントロールできるようになったのね。何かあったのかしら?」
「知らね」
乾はぷいっとそっぽを向いた。小町はなかなか素直にならない乾に苛立ちを覚えるが、亜子に気を紛らわされて仕方なくため息をつく。
「……まぁいいわ。次の箱を透視しなさい」
乾は黙ったまま、手を動かすように簡単に能力を発動させた。
隅の方でその様子を観察していた五道は僅かに笑みを漏らし、ショッキングピンク色の瞳を輝かせる。それは透視能力を発動していた乾だけが知っていた。
「すごいでーすねぇ、乾は。ところでアリア、この火傷跡は一体どうしたんでーすかぁ? んん〜、随分と痛そうでーすねぇ?」
気づかれた。アリアは体を強ばらせ、数々の言い訳を思い浮かべては消していく。
自分の治癒能力を使用して昨日に比べたらわかりにくくはなっているが、治癒能力を熟知した亜子には誤魔化せなかったようだ。
「……え、えと、お風呂でちょっと。ごめんね、あこりん」
「今の説明のどこにアリアが謝る要素があったのでーすかぁ? 痛そうですが、私にアリアを癒せる力がないのが残念ですねぇ……。あ、私にできることはお風呂の温度を下げるように言うことですかぁ?」
亜子はアリアのことを信じたらしい。頭を優しく撫でられた。
驚いて蒼目を見開くと、亜子はこれまたどこまでも優しく柔和に微笑む。
「ふふふ。アリアにはあまり傷ついてほしくないのでーすよぅ」
「あ、ありがとう。あこりん」
たまに恐ろしく思える亜子だったが、根は優しいことにアリアは気づいていた。だからアリアは好きなように頭を撫でさせ、亜子に甘えた。
もし自分に姉がいたら、こんな感じなのかなぁ──不意にアリアが思った瞬間、慌ただしい足音が階段を駆け上がってくる。足音の主は小町の実験室の扉を開け、そこに立っていた給仕の青年は大きく息を吸い込んだ。
「し、施設長おる?!」
息を乱す姿も、大声を出す姿も、いつもの給仕の青年らしくなかった。
「……なんだ。ノックをしてから入ってこい」
「すんません、せやけど今はそれどころやなくて!」
「何がだ」
「《十八名家》が来とるんです!」
「なんだと?!」
五道だけではなかった。アリア以外の全員が目を見開いていた。
(まただ。また、《じゅうはちめいか》だ)
この町に来てから何度も何度も同じ単語を聞いた。
それがどれほどの力を持っているのかも、存在理由さえも知らずにアリアはただただ不快さを顔に出す。アリアは本能的に、それが自分の世界を壊していくと感じていた。
「どこの家の人間だ!」
「え、えと……雪之原さん……やったかな?」
「よりにもよって何故雪之原なのよ! 父様っ、どうするの?!」
全員の視線を受けた五道は、苦虫を噛み潰したかのような表情をして決断した。
「アリア君と乾君はここにいたまえ。小町、亜子君。二人は私について来なさい。君はすぐさま綿之瀬家の本家に連絡をとること」
「了解よ!」
「了解でーすよぅ!」
「りょ、りょーかい!」
それぞれの返事を聞くこともなく、五道はアリアと乾に向き合う。
「……お、おじちゃん?」
「大丈夫、君たちは何も心配しなくていい」
「……うん」
アリアは小さく頷いた。
乾はアリアの不安を取り除くように、小さなその手を握り締めた。
「いいかい? 二人は私がいいというまでこの部屋から出てきてはいけないよ?」
「わかったからさっさと行けよ」
「あぁ。行ってくる」
五道は小町と亜子を連れ、防音設備を兼ね備えていた実験室を後にする。
確かに存在していた、小さくて炎に温められた居場所が崩壊していく音がした。アリアは堪らなくなって乾の手を振り払い、強く彼女の腕を掴む。
「ッ、ヌイ! どうしたの?! 何があったの?!」
「《十八名家》の雪之原家が来たらしい、ってとこまでは聞こえてただろ? 雪之原は《十八名家》の中でも敵にするとマズいんだ。それが来た。しかも急に」
「……どうして?」
「……多分昨日の件だろうな。で、雪之原が来たってことは私たちはもう助からない。雪之原はそういう家だ」
乾を信じているアリアは、自然と溢れてきた涙を拭った。
「そんなっ……嫌だよ」
「クソッ、私だって嫌だ。こんな終わり方だけは絶対に嫌だ」
そんなアリアを見て、乾は泣きはしなかったが悔しそうに顔を歪めた。
「……私、おじちゃんのとこに行く!」
乾の腕を離す。大事なものをこの手で掴む為にアリアは扉の取っ手を回す。
心は乱れ、心臓は早鐘を打ち、今にも死んでしまいそうだった。それでも行きたい場所が彼女にはあった。
「ちょっ?! …………わ、私も行く!」
乾はアリアを離さないように手を伸ばし、お互いに指と指を絡めたあった。そして転がるように階段を下り、すぐに見えた正面口に立つ女性を視認した。
「っあ……!」
アリアには、その女性の顔に見覚えがあった。
女性はアリアと乾を見つけ、何故か安堵の表情を浮かべる。
「なっ、二人とも……!」
五道を守るようにして立っていた小町は、姿を見せた二人に対して絶望的な表情を見せた。亜子は諦めたように顔を伏せ、五道は膝だけは折るまいと必死に足を踏み締める。
三人の間をすり抜けて女性の前に立ったアリアと乾は、呆然とした面持ちで美しい水色の髪を持つ女性を見上げた。
「昨日は誠にありがとうございました」
焼け焦げた服ではなく、スーツを身に纏う女性は深々と頭を下げる。
「お、おばちゃん……? どうしてここに?」
「半分は《十八名家》のカンですが……半分は女のカン、ですかね」
「カンだけでわかるようなモノじゃない。どうせ尻尾を掴む機会を伺ってたんだろ」
すると女性は困ったように眉を下げた。
「貴方は子供だというのに鋭いですね。そして敏い。それは《十八名家》の子供だからですか? それとも──研究の成果だからですか?」
アリアは反射的に乾に視線を向けた。今、女性はなんと言った?
「おばちゃんは誰なの……?」
「ごめんなさい、名乗るのが先でしたよね。私は《十八名家》雪之原家の分家、雪之原吹雪といいます。貴方たちが救った伊吹の母親ですが、私はまだ二十七歳なのでおばちゃんではありませんよ。……まぁ、二人から見た私はおばちゃんかもしれませんが」
吹雪は鞄の中から名刺を取り出してしゃがみ込み、アリアと乾にそれを渡した。
「おば……ふぶりん、これなんて読むの?」
「子供には難しいですかね? 〝けんさつかん〟なのですよ、私。悪いことをした人を取り調べて、裁判所に連れていくかそうでないかを決めるのです」
悪いこと、と聞いてアリアは振り返った。
この三人の表情はどれもアリアにとって理解するのが難しく、だからと言って嬉しそうでないことくらいわかる。
「ちっ、違うよ! おじちゃんたちは悪い人じゃないよ!」
アリアは反論したが、吹雪は微笑を止めなかった。
「それを決めるのは貴方であって貴方じゃないですね。貴方、名前は?」
「あ、有愛……」
「いい名前ですね。ねぇアリア、貴方はこの人たちに嫌なことをされましたか?」
アリアは口を開いたが、嫌なことなんてなかったとは言えなかった。
「乾、貴方はここにいて苦しくなかった?」
「ふざけるな。取り調べるなら、ちゃんと形式的にしろよ。私はアリアとは違う、バカにするな」
小町が五道を守るように、乾はアリアを守るように盾になった。
吹雪は微笑を止め、ゆっくりと立ち上がる。そして非難するように五道を冷たい瞳で見つめた。
「乾の言う通り、我々司法を司る雪之原家はずっとこの機会を伺っていました。研究……人によっては〝未来〟を司ると言うんですか? そんな綿之瀬家の分家が非人道的な実験をしているということを、我々は見過ごすわけにはいきません」
「だったらどうすると言うのだ。雪之原の分家は、私たちのような無力な人間の可能性ある〝未来〟を潰すというのか?」
しかし、吹雪はすぐに解き放っていた冷気を閉ざした。
「……いいえ。ここまではあくまで、検察官としての話です。一人の母親としては、貴方がたの許されない実験のおかげで息子の命が救われたという事実を前に葛藤しております」
顔をくしゃくしゃに歪め、それでも吹雪は真っ直ぐに五道を見据えた。
「許されない行いで救える命が数多にある。それを私はアリアと乾に見せつけられました。何が正しくて何が正しくないのか、治外法権が適用されているこの陽陰町において判断することは非常に難しいです」
「だから『貴方であって貴方じゃない』、なのですね。法律で決められないからこそ、現状被害者と位置づけられているアリアと乾から意見を聞く。……せこいやり方だわ。吹雪さんには〝自分〟がないから、信じるものが何もないからそうやって決められないんですよ」
小町の軽蔑した目に当てられつつも、吹雪は五道から視線を外さなかった。
「小町さんの言う通りね。所詮、私たちは妖怪が現れれば散りゆかなければならない命なのよ? 抵抗できずに死ぬしかない。なのに綿之瀬家は、抗う術を得ようとしている。その点は美点です。ただ、汚点なのは人体実験です」
吹雪はもう一度アリアと乾に視線を落とした。
出会う前は、親を亡くした上に実験体とされている哀れな子供たちだと思っていた。ただ、燃え盛る炎の中でも彼女たちは全力で生きていた。
「この件を知っているのは吹雪さんだけでーすかぁ?」
ずっと黙っていた亜子が首を傾げて尋ねた。
「えぇ。まだどの親族も噂程度で完全には信じていないわ」
「ならしばらく見守っていてほしいのでーすよぅ。もちろん、信じるものが見つかるまでですけどねぇ」
が、吹雪は首を横に振った。
「いいえ。私は常に、恩人の幸せを願います。アリアが、乾が、あの少年が辛いって思ったらすぐに駆けつけて味方になります。この件の汚点には今のところ目を瞑りますが、その時が来たら…………全力で叩き潰しますから」
吹雪は柔らかく、アリアと乾を抱き締めた。
せめてこの二人の母親代わりになれるように。
救いを求めるのなら戦える検察官になれるように。
それが、雪之原吹雪の信じるもの──愛しき我が子たちへと贈る美しき愛情の根幹だった。




