第二話 ワールド・オブ・フレイムⅤ
迫り来る業火に涙を流した。熱風が全身を包み込み、煙が視界を霞ませた。それでも息を吸い、掠れた声を上げていた。
「離しなさい! 私がっ、私が息子を助け……」
「おばちゃん」
かつての自分と、中に残された子供を重ねてアリアは女性のことを呼んだ。
水色の長髪を結ぶ白いリボンはところどころが焼け焦げていて炎の恐ろしさを物語っている。泣き腫らした女性の深い青目がアリアを捉え、その刹那に涙を流した。
「私たちがその子を助けるから、おばちゃんはここで待ってて!」
「え……?」
「おい! 何言ってんだ、君たちまだ子供だろ?! ここは猫鷺家の救助を待ってた方が……」
「外野は黙ってろ! ここは雑居ビル地区だろ?! 猫鷺家が間に合うって本気で思ってんのかよ!」
乾はその場に集まっていた野次馬を一蹴し、碧眼でアリアをすぐさま見つめる。
「おばちゃん、私たちを……信じて」
女性は乾の容姿を見つめ、その乾が強く信じているアリアに再び視線を移した。
「……よろしく、お願いします……」
そして、深く深く頭を下げる。その姿は土下座と言っても過言ではなかった。
「おやめください雪之原様! 貴方様のような立場のお方が……!」
「立場なんてどうだっていい! 息子の命がかかってるの! お願いだから! 助けられるなら、助けて!」
「任せて!」
「任せてって、お前たち本気なのか?!」
アリアは振り返り、黙って傍に立っていた朔那と乾に向かって大きく大きく頷いた。
「ヌイ! どこ?!」
すぅっ──と、乾の碧眼がいつも以上に透き通った。朔那は小さく目を見開き、戸惑った表情のまま乾を見守る。
「ッ、アリア! ここ! ここから直して!」
「うん!」
刹那に黄金色の光がアリアの両手を包み込んだ。そしてそのまま、燃え盛るビルの崩れた入口へと駆け出していく。
「なっ! おいっ! アリア!」
炎がすぐ傍にあった。熱さで汗が吹き出してきた。
朔那が呼び止めたような気がしたが、アリアは足を止めなかった。
「は……? 建物が……」
「南雲、ボケッとするな! 火はついたままだ……長くはもたないからな!」
「わっ、わかってる!」
「行くぞ!」
中に入ったアリアは、狭い廊下の先をどう進めばいいのかまったくわからなかった。だから乾に道を譲り、彼女の判断を無言で仰ぐ。
「こっちだ!」
「うんっ!」
そして、迷うことなく進んでいく乾について行った。その後ろ姿を見ていると、目頭が熱くなる。彼女が進む道を阻む瓦礫を修理していると思うのだ。
数ヶ月前にこの力があったなら、何があっても絶対に両親を助けることができた、と。それを強く思い知ってしまったのだ。
「おい。だいぶ走ったぞ」
「まだ……もっと奥だ!」
血よりも赤い炎と、闇よりも黒い煙。
嗚咽を上げないように必死に堪えていたアリアは、思わず息を吸い込み思いきり噎せた。
「……ゴホッ……ゲホッ」
「アリア?!」
「ご、ごめんヌイ」
「謝るなバカ!」
アリアの手を引いた乾は、狭くて複雑な廊下を駆け抜けていく。
「チッ。急ぐぞ」
「あぁ。南雲、体を低くしてついてこい!」
塗装が剥がれた階段を駆け上がり、大きな扉を蹴破って、乾は彼の姿を視認した。
「ッ! いたぞ!」
泣き声を上げずに床に倒れていたのは、想像していた姿よりももっと低年齢の幼児だった。だが、幼児は美しい水色の髪をした母親とは違い漆黒の髪色をしている。
それでも、乾が導いたのだからこの子があの女性の子供なのだろう。
「大丈夫か、こいつ」
「バカか、倒れてるからヤバいんだろ。この子は私が担ぐ、二歳児っぽいしなんとかなるだろ」
「待てよ、俺がやる。お前は帰りの案内に集中してろ」
「チッ、わかった」
黄金色の光を今まで以上に強くして、アリアは走りながら幼児の治癒を進めていく。アリアの黄金色を今まで何度か見ていた乾は、目を見開いて眉を下げた。
「あまり無茶しないで、アリア」
「大丈夫だよ、ヌイ」
アリアは笑ったが、それに対する乾の返事は一切なかった。
アリアが直した建物の一部は崩れることなく、走る三人の道を作っている。行きよりも早く元に戻ると、泣き崩れていた女性は勢いよく顔を上げた。
「伊吹!」
女性は立ち上がり、朔那の元へとすぐさま駆け寄る。
朔那は腕の中で眠る伊吹を女性に返して、緊張の糸が切れたように長い長い息を吐いた。
「ありがとうございます! 本当に、本当に……貴方方には感謝してもし切れません……!」
女性はその場で頭を下げた。
その行動が周囲をさらにざわつかせ、アリアは慌てて「おばちゃん、顔を上げてよ」と腕を大きく振る。
「そうですよ雪之原様! 子供なんかに頭を下げて! もう少し《十八名家》の分家という自覚を持ってください!」
「貴方は黙っていてください。私は、子供といえど受けた恩を仇で返すつもりはありません」
女性は、アリアの回復能力によって気持ち良さそうに眠り続ける伊吹をぎゅっと抱き締めた。
「このご恩は必ず、貴方方にお返します」
恩を売ったつもりはなかったが、ここまで感謝をされるとは思っておらず──アリアは自分が救った命の灯火を見つめ直し、ニコニコと笑った。
「そういえば乾。アリア。お前らちゃんと俺に説明しろよ」
「あっ?! アリア、ヤバい! 時間!」
「えぇっ?! うぁっ、どうしよう?!」
仰いだ空は、半分以上が紫色だった。
燃え盛る炎と雑居ビル地区を彩る様々なネオンカラーはまったく夜の訪れを感じさせない。
「とにかく走る! 行くぞ!」
「う、うん! おばちゃん、さっくん、またね!」
アリアは乾の後を追いかけた。野次馬を掻き分けて、茜色の空を残す施設の方向へと走っていく。
「おい! まだ話は終わって……」
「南雲!」
「んだよっ!」
朔那は話そうとせずに逃げ出した二人に苛立っているようだった。アリアが振り返ると、野次馬を掻き分けて押し返される朔那と目が合う。
「──私たちは〝友達〟だよなぁ?!」
刹那、朔那の青目が見開かれた。
「はぁ? いきなり何言って……」
「答えろ!」
朔那の錫色の髪が見え隠れする中、朔那の舌打ちが聞こえたような気がした。
「んなの、聞くまでもないだろーが! そうなんじゃねぇのかよ! だからっ……」
乾は朔那から視線を逸らし、ただひたすらに〝前〟を向く。
朔那と話す気はもうないのか、最後は託されたのか、アリアにはよくわからなかったが──
「さっくんっ、また明日ね!」
──朔那の返答がどれほど嬉しかったのかを表情と声に込めて笑った。
遠くから、猫鷺家が出動させた消防のサイレンの音が聞こえていた。そのせいか、朔那からの返事は聞こえなかった。
*
「……ま、間に合ったぁ……」
「……し、ぬ……」
一号室の床に座り込み、二人は肩で息をする。
「疲れた……あ、さっくん。置いてっちゃったけど大丈夫かなぁ?」
「……あぁ。多分」
視線を乾の方に向けると、乾は気難しそうな表情をしていた。
「ヌイ?」
「いや、なんでもない」
「なんでもないって顔してないじゃん。ちゃんと言ってよ」
頬を膨らましたまま乾に詰め寄ると、乾は観念したように息を吐く。
「……多分、記憶を消されると思う」
「……え?」
「あ、当たり前だろ? 半妖の力、あの場にいた全員に見られちゃったんだから。南雲だけの話じゃないだろうけど、今日のことは、もうあいつらの頭の中には……」
「いっ、嫌だ! そんなの嫌だよ! さっくんは忘れちゃうの?! 今日あったことや、あの言葉も全部忘れちゃうの……?!」
「いや、気持ちはわかるけど……」
「それにっ、誰がさっくんの記憶を消しちゃうの?!」
碧眼を細められた。考えてるんじゃなくて、何かを視ているようだった。
「《十八名家》。そのトップ」
「ねぇ。その、じゅうはち……って、何? みんなよくそう言ってるけど、わかんないよ」
「どうせ言ってもよくわからないんでしょ。私も詳しくはまだわかんないし、記憶は消されてる可能性が高いってわけで……。私は、忘れない方に賭けてるから」
アリアは熱くなった目頭を必死に拭う。
「どうして?」
「南雲は、忘れない。だって、アリアを泣かせるようなことをしたらこの私がぶっ飛ばすからな」
なのに、乾がおかしなことを真面目な顔で言うものだから耐え切れなくなってアリアは吹いた。
「……ぷっ、あははっ! 何言ってるのヌイ!」
「ちょっと! 私は本気だから!」
顔を赤らめて怒る乾はしばらくアリアを見つめていたが、時間が経つと落ち着いたのか視線を伏せる。
「ねぇ、アリア」
「ん?」
そして急に目が合った。
「例えアリアが〝兵器〟だろうと、私たちは〝友達〟だよ」
碧眼と視線が絡まった瞬間に、灰に埋もれていた心が熱されていくような感覚を知る。暗闇の中で熱く熱く燃え盛り、やがて大きな炬火になる。
「……ッ?! ちょ、な、泣くなよっ! 涙じゃないんだから!」
「っ、えぐっ……あ、ありがとう……」
「な、なんでよ。当たり前のこと言っただけでしょ?」
笑ってしまったが、言葉の重みが心にじんわりと染み込んでいく。それでも乾が不器用ながらに涙を拭おうとしてくれている姿を見ると、笑ってしまう。
「うんっ! ヌイ、大好きー!」
その笑顔のまま乾を抱き締めると、汗ばむ二人の熱が部屋に籠った。
「ちょっ、熱い! 離れろ! バカ!」
乾が必死に引き剥がそうとするが、アリアは腕に力を込める。
「ヌイ〜!」
「いい加減にしろっ!」
ゴッ。嫌な音がして頭に鈍い痛みが伝わった。
「いたぁ〜?!」
「ったく」
乾がそっぽを向いたその瞬間、足音が聞こえてきた。
『まぁーた喧嘩しているのでーすかぁ?』
『さっきまでは大人しかったというのに。……ほんと、子供のすることは理解不能ね』
「あこりん、こまっちゃん!」
「なんの用だよ」
亜子と小町が、扉一枚を挟んだ向こう側にいる。ほんの少し固まるアリアを守るように、乾は扉をそっと両手で押さえつけた。
気休めにしかならないというのに、わざわざそんなことをするなんて乾らしくない。それでも乾が前にいるのといないのとでは安心感がまったく違った。
『喧嘩はしないでと言いにきたのよ。仲良くしなさい』
『まぁ、子供に喧嘩はつきものですけどねぇ? アリアと乾には仲良くしてほしいのでーすよぅ。私と小町みたいな関係が望ましいのでーすねぇ?』
『ばっ、胸を揉むな! 教育上良くないことはしないでちょうだい!』
ゴンッ
『いたぁ〜?!』
すぐに痛みに悶える亜子の声がした。瞬間に乾が「てめぇらもしてんじゃねぇか」と言葉を漏らす。
『〜ッ、亜子! しばらくついて来ないでちょうだい。まったく、情けないわ!』
『ああっ、小町! 待ってほしいのでーすよぅ!』
二人の足音が遠ざかると、乾は扉から手を離した。乾は視ようと思えばなんでも視えていて、開かれないとわかっていたはずなのに何故そうしたのだろう。
「それって、私の為?」
不安だったのは自分だけだった。
思えば、いつだって乾はアリアの為に行動していた。振り向いた乾は、気恥ずかしそうに頬を赤らめていている。
「……ヌイはどうして、私の為に色々してくれるの?」
「だって……」
眼鏡の奥の碧眼がきょろきょろと不規則に動いた。
「……だってアリアが笑うから。アリアがここに来て、隣でバカみたいに笑ってくれたから……悲しそうな顔をしてほしくないって思っちゃうでしょ」
そして視線を伏せた。
アリアが思わず腕を広げると──
「ちょ、だからって抱き締めないから! 熱いから!」
──悟ったのか、動いていないのに拒絶される。
「あははっ!」
そんな乾がおかしくてやっぱりまた笑ってしまった。
「ねぇヌイ! 〝友達〟っていいね! さっくんもいっしょだと、もっともーっといいね!」
別れたばかりなのに会いたくなる。炎の世界を冒険した記憶は忘れてしまっても、どうか、友達だということは忘れないでいてほしい──。
アリアは、心からそう思った。




