第五話 陰陽師と人工半妖Ⅱ
「ったく。帰ってくるなら帰ってくるって先に言うべきだったと思うけどね」
「うるせぇな。さっきから何度も謝ってんだろーが」
「はぁっ?! それが人に謝罪する時の態度か斎藤! 子宮から生まれ直した方がいいんじゃないか?!」
「うるせぇばーか! デブ!」
「なっ?! チミ今ボクに向かって『デブ』って言っただろ!」
「言ってねぇ」
「いーや言った! 『デブ』って言ったね!」
「だからそれがなんだってんだよ」
騒ぎ続ける奏雨を鬱陶しそうに見上げて、紫苑は盛大にため息をつく。養護施設に帰ってきた途端にこれだ。《ハリボテの家》ほどではないが、こうしているとだいぶ疲れる。
「奏雨おにーちゃん、斎藤おにーちゃん! 喧嘩はよくないですよぉ……!」
「奏雨お兄さんも斎藤お兄さんも、どっちもどっちですよ……。『ごめんなさい』してみんなで一緒に遊びましょう?」
「ふんっ! ボクはチミたちなんかと一緒に遊ぶ時間はないんだよ!」
「俺も一緒に遊びたくねぇし! つーか、あいつらの世話今誰がしてんだよ!」
あいつらというのは、真や星乃以外の子供たちのことだった。小学校低学年から幼稚園児まで揃っているあの集団から目を離すなんて真似は、小学生の紫苑でさえできない。しちゃいけないことだと多翼とモモを見てきた紫苑はちゃんとわかっている。
「今はその手のプロが来ているからね。全部その人たちに任せているよ」
「奏雨お兄さんが施設長だからと言って、全員のお世話をその一人に任せるわけにはいかないですからね」
「ふんっ、そりゃそうだよ。そんなことをされたら労基に行って死んでやる」
「かっ、奏雨おにーちゃん! 死なないでください!」
目の前を歩く三人の後ろ姿を眺めながら、紫苑は施設の自動ドアを通る。久しぶりの施設の匂い。騒ぐ子供の声がロビーまで聞こえてくる。
ほんの少しの間だけいて、ほんの少しの間だけ離れていただけなのに──妙に懐かしい気がするのはなんでだろう。紫苑は息を吸い込んで、振り向いた奏雨に持ち上げられた。
「うわっ?!」
「……チミ、どこか怪我しているかい?」
「は、はぁ?! 怪我なんてしてねぇよ!」
「あっそ。陰陽師って奴らは生傷が絶えないってよく聞くけれど、チミはたいして役に立ってないからそれはないんだね」
「はぁああああ?! 役に立ってただろーがどう見てもよ! テメェはどこ見てたんだよカス!」
「さぁ〜? チミがそれっぽいことをしていたところくらいかなあ」
「奏雨お兄さん! 斎藤お兄さんは僕たちのことを助けてくれたし、奏雨お兄さんは僕たちのことを心配してくれているだけなんだよ!」
「そ、そうですよ! 二人ともそんな言い方しないでください!」
自分たちの周りに駆け寄って奏雨の腕を引っ張る二人は、顔を合わせる度に衝突する二人の誤解を必死に解いている。
紫苑は奏雨に持ち上げられたまま二人の言葉を聞いていたが、不意に愁晴の言葉を思い出して口を閉ざした。
『別にええけど、あいつはあいつなりにお前のこと心配しとったから後で何かフォローしたってな』
心配している。それは愁晴も言っていたことだった。
あの愁晴に言われたのだから嘘だとは思っていなかったが、奏雨を間近で見ていた二人の証言もあって紫苑は暴れることさえすんなりとやめる。なのに奏雨は紫苑の変化に気づかなかった。
「ふんっ! チミのことなんか心配しているわけないだろう!」
紫苑を下ろし、執務室へと向かう奏雨は大きな足音を立てている。怒りを足音で表現する様はあまりにも子供っぽく、大人になり切れていない責任嫌いな奏雨が何故施設長を続けていられるのかと疑問に思った。そして、そんな大人にはならないと紫苑は密かに決意した。
「斎藤お兄さん、奏雨お兄さんはあぁ言ってるけど本当に……」
「いや、いい。わかってる」
「えっ? ほ、本当に?」
「伝わってねぇけど、テメェらが言うならそうだと思うし」
それが紫苑の本心だった。
「う〜……ん。僕にはちゃんと伝わってるんだけどね」
苦笑いを浮かべ、共に地下の部屋へと向かう真が隣の星乃と目を合わせる。星乃は力強く頷いて、真の意見に同意した。
「私もわかるよ。奏雨おにーちゃんの優しさ」
「……はぁ? あんなわかりづれぇモンが?」
「うん。僕たちの周りの大人は、もう奏雨お兄さんくらいしか残ってないから」
「……ッ!」
足を止めた。あまりにも普通に言葉にされた真の現状を容易く想像してしまい、紫苑はすぐに納得する。
自分も少し前まではそうだった。養父しか傍にいてくれない──いや、その養父でさえ一日に数時間しか会ってくれない。基本は義姉の真菊が面倒を見てくれている二年の日々。
それが、今は奏雨もいて愁晴を含めた《グレン隊》の全員もいる。真や星乃のように狭い世界にはもう生きていない。
「僕たちのことを心配してくれているのは奏雨お兄さんだけだから、二年も一緒に暮らしているとわかるんだよね」
「……ふぅん」
同じ施設にいた多翼とモモは、養父や真菊に心配されていた。同じくこの施設にいたアリアとアイラは、《グレン隊》の全員から心配されていた。
未だにここにいる真と星乃が頼れる大人は、奏雨しかいないのか。だが、奏雨は決して真と星乃を邪険にしているわけではない。一応ここまで子供たちを育ててくれた、最低限の責任感なら持ち合わせている。だから、奏雨は間違いなく彼らの親代わりだった。
「ねぇ、斎藤お兄さんって本当に陰陽師なの?」
「あぁ」
「私たちのこと、人工半妖だって気づいていたの?」
「あぁ」
二人はぽかんと口を開け、人工半妖と知っていながら自分たちと普通に接していてくれていた紫苑の表情をじっと見つめる。地下に下りて、まだ階段を下りている途中の紫苑をじっと見つめている。そんな二人の視線に居心地の悪さを感じてしまった。
「すごいね、斎藤お兄さん……!」
「あのね、私……あの時助けてくれてすっごく嬉しかったよ……!」
そうして食い気味に口を開いた二人の瞳は、輝いていた。
「ふぅん」
そんなことを言われると、悪い気はしない。紫苑は頬が緩みそうになるのを堪え、嬉しそうに自分の手を引く二人の後について行った。
「僕たちは二人しかいないし、守ってくれる人もいなかったから、奏雨お兄さんは『妖怪退治なんてしなくていい』ってずっと言ってたんだ」
「それでも私たちはみんなの役に立ちたくて、奏雨おにーちゃんにずっとお願いしてたの」
「だって、戦い方を知らないといざという時みんなのことを守れないもんね」
「二年前の百鬼夜行のこと、私たちはほとんど知らないけど……ママとパパが戦ってくれていたことだけは知っているし」
息を呑んだ。そんなことは、紫苑だって知っている。百鬼夜行も、両親が命懸けで戦ったことも、全部全部知っている。
「だからね、今度は守りたいんだ。奏雨お兄さんのこと大好きだから」
「ここにいる子たちのことも」
気持ちが、痛いほどによくわかった。
「百鬼夜行……もう起こらないかもしれないけど」
「……その方がいいってちゃんとわかってるけど」
「今度は守りたいんだ。お母さんとお父さんが守ろうとしたものを、僕たちも」
「一緒に守りたいんだって言ったら、奏雨おにーちゃんが『いいよ』って言ってくれたの」
多分、普段の奏雨だったらそんな言葉だけで許可なんかしない。多分、奏雨だって百鬼夜行について思うことがあったから許したんだ。年齢的に、どう考えても奏雨は百鬼夜行の数少ない生存者だから──。
「……あっそ」
「これは奏雨お兄さんには内緒なんだけどね、心配してくれているから頑張ろうって気持ちにもなれるんだよ」
「……はぁ?」
「あのね、私たちが無事に帰ってくるようにって奏雨おにーちゃんが願ってくれているから──絶対に生きて帰ろうって思うの」
理解に苦しんだが、腑に落ちた。常に命懸けでいるからこそ、生きていると心から思える。常に命を懸けているから、必要とされていると心から思える。二人はアリアとアイラと大差ない。そんな子供たちを生み出した前施設長に嫌悪感を抱き、奏雨の方がマシなのだと再認識した。
「だから、斎藤お兄さんに守ってもらえて本当に本当に嬉しかった!」
「私も! 斎藤おにーちゃんともっともっと仲良くなれたような気がして嬉しかった!」
二人の部屋に押し込められ、抱き着かれて押し倒される。
「ぐえっ!」
「斎藤お兄さん! また明日もお願いしていい?!」
「一緒にできるかな? 私たち三人ならもっとやれる気がするの!」
「は、はぁ……?」
確かに、陰陽師だとアリアやアイラに明かすことが憚られる以上、この二人と一緒に妖怪を退治した方がいい気がする。二人だけというのも奏雨と同じように心配してしまうし、二人にタマモをつかせた方が紫苑も紫苑で安心だ。この二人には、まだアリアやアイラのような安定感もないのだから。
「……ダメ、ですか?」
「……難しいですか?」
「そんなことはねぇけど……毎日は無理だ」
「じゃあ、毎日じゃなきゃいいんですか?!」
食い気味な真に対して全力で頷き、紫苑はようやく二人に解放される。
「じゃあ、約束してくださいっ!」
「小指でちゃんと! 約束です!」
両手を差し出し、二つしかない手の小指で二人と指切りをする紫苑。こんなつもりでこの施設に来たわけではないし、こんなつもりで帰ってきたわけでもない。一時的に逃げる場所として利用していただけなのに、いつの間にかこの空間に飲み込まれそうになる。
「……もういいか?」
ぶっきらぼうに言って小指を離した。こんな子供過ぎるやり方は、紫苑が好むやり方ではない。だが、なるべく真と星乃に合わせてやりたかった。そう思ったのは、紫苑が二人のことを本当の弟妹のように思っているからかなんなのか──。
ただ、今まで好んで一人でいる時が多かったからか、妙に新鮮な感覚だったのは確かだった。そんな感覚にさせた二人の無邪気さと素直さが、紫苑は少しだけ羨ましかった。




