第五話 陰陽師と人工半妖Ⅰ
紫苑は簡易結界を術で吹き飛ばし、タマモとカグラのタイムリミットを念頭に置いて一歩踏み出す。
「紫苑!」
悲しそうな真菊の声が紫苑の両耳をするりと抜けた。その声が紫苑の心に刺さるはずもなく、紫苑は自分の身を守る為に呪詛を飛ばす。
──行きたくない。ここにいたい。
それが養父とその知人の意思に反する願いだったとしても、紫苑は自分の道を生きたかった。それが間違っていたとしても──紫苑の判断が若さ故の過ちだったとしても、紫苑は自分の意思を貫き通したかった。
「来んな!」
心から叫ぶ。真菊はびくりと体を震わせ、強ばらせ、すぐに訝しげに眉間に皺を寄せて「どうして!」と問うた。
「俺はこの町で生きるんだ!」
父親と母親が生まれて死んだこの町で。人の血と妖の血がこべりついてしまったこの町で。
「そんな……この町の土地神様は〝あの男〟のせいで力をなくしてしまったのに……?」
「土地神なんかがいなくてもこの町はちゃんと生きていける!」
「そんなわけないじゃない! この町は、〝あの男〟のせいでいつか滅びるわ!」
「土地神の力を借りたから、俺たちは今も生きてるんだろ!?」
二年前の百鬼夜行が生んだ爪痕は巨大で、甚大な被害を残していた。紫苑たち陰陽師はこの町のそんな傷を今までずっと見つめていた。だからこの世界の歪さに気づいている。
間宮結希が土地神の力を借りてこの世界を救ったからこそ、自分たちは今でも生きることができている。だから、力をなくしたこの土地にいることに抵抗はない。
「そうかも……そうかもしれないけれど! だとしたら貴方は一体どこで生きていくのよ!」
「一緒にいてくれる人がいるんだ! テメェみたいな奴とは違うんだよ!」
紫苑はあの家から飛び出した。だからこそ出逢えた縁がある。
友達と遊ぶことなく直帰する真菊や、人付き合いが苦手な春や、友達がいない美歩や、周りから浮いてしまっている多翼や、怯えて暮らしているモモとは違う。
人を遠ざけて生きていた紫苑は、今いるところから飛び出して《グレン隊》という組織に出逢った。元から組織に入る予定はなかったが、出逢ってしまったのだから仕方がない。
傍にいて育ててくれた彼らがいるから、紫苑は絶対に真菊たちの元には帰らない。その意思を込めて再び強力な呪詛を飛ばした。
「ッ!」
避けた真菊はバランスを崩し、疾走する紫苑を見上げてその瞳を絶望に染める。紫苑は拳を握り締め、真菊の制服を掴んで無理矢理立ち上がらせた。
紫苑の身長と力だけでは真菊を完全に立ち上がらせることはできなかったが、真菊は自分の意思で立ち上がって紫苑の紫苑色の瞳を見下ろした。
「しお……」
「眠れ!」
「……えっ?」
握り締めた制服を真下に引っ張り、真菊の首筋を顕にさせる。その首を──卯之原から教わった手刀で仕留めた。
「…………」
仕留めたのか? 紫苑は恐る恐る振り返り、カグラと交戦していたタマモを探した。
「タマモ……! タマモ!」
「お呼びですか? 主君」
木の裏から出てきたタマモは、この数分の間に何があったのかボロボロになっていた。服は破れ、体中は泥だらけ。こんな目に遭った式神は二年前の百鬼夜行でもいなかった気がする。式神は妖怪よりも強い。だが、式神は式神よりも──。
「カグラ、は……?」
「消えました。主君のおかげで」
良かった。本当に良かった。紫苑は盛大にため息をついて、気絶した真菊を見下ろす。
「運べるか」
「どこまで」
「……あの家」
「……ですが」
これで終わりだと思っていたが、タマモは何故か反論し──
「あと少しで、黄昏時です」
──紫苑が忘れていたことを呟いた。
見上げると、木々の隙間から木漏れ日が差し込む。その色は次第にオレンジ色に染まっていき、紫苑は咄嗟に真菊の制服を鷲掴んだ。
「タマモ! ババァを式神の家に!」
「はい」
瞬時に式神の家に辿り着く。これで気絶した真菊は守れた。そのままあの家に帰して、自分は──
「主君? どこに行くんですか! 外は妖怪がうじゃうじゃといるんですよ?!」
「俺はいい」
──自分は、あの施設に帰る。
「主君?! 出るんですか?!」
「出る」
「なら私も……」
「お前はもう出れねぇだろ」
「わかってるなら行かないで! 黄昏時が終わるのを待ってください!」
「待てない」
「どうして!」
「今、帰りたい」
タマモは理解不能とでも言いたげな表情をしていた。だが、紫苑もそう思う。妖怪がうじゃうじゃいる今が過ぎ去ってしまうのを待って、夜中に帰ればいい気持ちもわかる。
「行ってくる」
だが、紫苑は背中を押された。そのまま立ち止まりたくはなかった。
タマモはそんな紫苑を心底不気味そうな目で見つめ、「ご武運を」と今にも消えそうな声で囁く。
「行ってくる」
もう一度力強く言った紫苑は、式神の家から飛び出した。目の前は森だ。枝が無造作に生えており、紫苑の行く末を幾度となく阻んでくる。
どうして邪魔して来るんだろう。自分以外のすべてが敵に見えてくる。そんな世界を、紫苑はずっとたった一人で歩いていた。
「ッ!」
前方に瘴気。だが、うっすらと開けた空間には養護施設が建っている。
そこにいる妖怪をすべて倒せば、紫苑は奏雨や真、そして星乃たちに再び会える──。
人差し指と中指を立てた。九字を切る準備はもうできている。
瘴気は紫苑を捉え、次第に具現化していった。紫苑の全身を取り巻く熱は、炎から溢れてくるそれと同義。
「不知火……!」
紫苑はそれを不知火だと認識した。不知火は炎を広げていき、山火事を引き起こすほどの大きさへと成長していく。
不知火はまだ森を燃やさない。燃える時は、それを認識していながら放置してしまった時だった。
「燃やさせるかよ!」
逃げられない距離に施設がある。それを無視することも紫苑はできない。
いつの間にかそこにあった深い情愛を胸にしまい込んで、紫苑は九字を切った。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
未だに上手くできていない、子供のような未熟な九字だった。それが不知火に効くのかと問われれば答えは否で、不知火はずっと力をその身に貯めている。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
まだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
まだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
まだ勝てない。紫苑は肩で息をして、式神の家で待つボロボロのタマモを想った。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
不知火が動く。貯めた力を放出し、木々の一部が発火する。
「……ぁ……」
……負け、る……?
「斎藤お兄さん!」
「斎藤おにーちゃん!」
片膝をつきそうになったその時、施設の方向から聞こえてきた声は聞き馴染みのある声だった。
来るな。逃げろ。そんな声さえ出せずに掠れた喉に唾を流し込む。
「斎藤お兄さんに……手を出すな!」
瞬間不知火の影が揺れた。目の前に着地して不知火にその身の一部を焼かれたのは、真だった。
「真!」
だが、それは真であって真ではない。そんな〝誰か〟を見たような気がして紫苑は悟った。それは、明らかにアイラと同じ人種だった。
頭部に生えた犬の耳。腰から生えた犬の尻尾。犬神の人工半妖である真が紫苑のことを守っている。
「斎藤おにーちゃん、下がってて!」
遅れて飛び出してきた星乃は決して弱者というわけではなかった。手足に生えた爬虫類の鱗は明らかに人間のそれではなく、次第に蛇の人魚と化した彼女は濡女の人工半妖だった。
「テメェら……!」
二人が人工半妖なのは知っていた。だが、二人は紫苑が陰陽師であることを知らされていない。普通の人間だと思っているくせに、どうしてその姿を晒すことができたのだろう。
「星乃、お願い!」
「わかった、真!」
星乃は空へと両手を翳した。湿った全身が不知火の炎で渇いていくのに、星乃は気にもとめずに雨を呼び起こす。
真は焼かれた左腕を右手で抑え、星乃の雨が不知火の威力を収めるのを待った。だが、小さな雨程度で今の不知火が倒せるわけもなく。
「詰めが甘いんだよ……!」
紫苑は人差し指と中指を立て、星乃が生んだ雨雲に術をかけた。
「えっ?」
「斎藤お兄さん?!」
突然の豪雨に身を縮め、「行け!」と紫苑は二人に怒鳴る。
急激に冷やされていく真の左腕。最高の環境に歓喜してめきめきと伸びていく蛇となった星乃の足。そして、弱まっていく不知火の炎。
「お願い、真!」
星乃は伸びていく蛇の尾で、周囲に群がっていた妖怪を絞め殺した。真は唯一自分を傷つけた不知火を睨み、どうやったのか見ているだけで相手を苦しめる。
本来の犬神のように取りついて祟り殺したのか──呪の権化と言っても過言ではない真の力は紫苑よりも強力だった。
「ッ! 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
降り止む雨に事態の収束を察知した紫苑は、この地に奴らの残滓がこべりつかないよう九字を切って浄化させる。
二年前の百鬼夜行の時も、そうやってこの地を浄化させて衰弱した土地神の回復を待っていた。そんな話を小耳に挟んでいた紫苑は息を吐き、未だに弱っている土地神の肌に触れる。
「……斎藤お兄さん」
「……斎藤おにーちゃん」
顔を上げた。二人は明らかに怖がっていた。
その怯えは紫苑に向いたそれではなく、自分たちが拒絶されるのではないかというそれで。元の姿に戻った二人に向かって紫苑はゆっくりと立ち上がり──
「ただいま」
──それだけを、口にした。
「……ッ! お兄さん!」
怒っているのかそうではないのか、真は目元を潤ませながら近づいてくる。そのまま紫苑の胸板を数回叩き、「遅いですよ!」と泣いてしまった。
「斎藤おにーちゃん……!」
それは星乃にも言えたことだった。二人に泣きつかれた紫苑は施設の前で自分たちを待つ奏雨に気づき、反射的に手を上げる。
その手が何を意味しているのか自分でもよくわからなかったが、紫苑は一言、「ただいま」と小さく呟いた。




