第五話 陰陽師と人工半妖Ⅲ
真と星乃が学校に行ったところで、施設の中が静かになるわけではない。紫苑は無邪気に遊ぶ子供たちの声を聞き、部屋を出て、施設を出た。
坂道を駆け下りて《ハリボテの家》を今日も目指す。当然、陰陽師の力を駆使して真菊の気配や末森の気配がないかは確認しているが、紫苑の足取りは軽く跳ねるようにバスに飛び乗った。
《ハリボテの家》に行くことを楽しみにしている。それがわかる。紫苑は窓の外を一瞥し、誰もいない田畑の世界に安堵して姿勢を崩した。
あの家を出て、《グレン隊》の一員になってから、一日でも落ち着ける日はなかった。常に警戒して、疲れを覚え始めても体が休まる日は本当に一日もない。
外に出れば敵を警戒し、中にいれば子供たちの世話に追われる日々。長く重いため息を吐き、紫苑は背もたれに寄りかかった。
どんなに今までの日々のことを悪く言っても、充実した日々だったことには違いない。こんなにも楽しかった日々は短い人生の中で一度もなかった。そう思う。
紫苑は笑みを浮かべたままバスを下りた。まだ警戒している。大丈夫だとは思えないからこそ不安になる。紫苑は自分の無力さを知ってしまったのだから。
「…………おい」
「へっ?」
誰の気配もなかったはずなのに。振り返ると、そこにはあの炬がいた。
「ッ?!」
他の構成員とは何度も何度も言葉を重ねたが、未だに炬との会話は数えるほどにしかしていない。急に声をかけられても、どう反応をしたらいいのかがわからない。
「行くのか」
「えっ?!」
行くってどこに。だが、紫苑はすぐに炬の言葉の意味を理解した。
「は、はい! 行きます!」
行く為にここにいる。
二日連続で外に出た炬は眩しそうに目を細め、言葉にならない声で返事をした。
「かっ、炬さんはここで一体何をしてるんですか?」
尋ねて初めて炬が髪を掻いた。反応らしい反応を見たのはこれが初めてで、無表情以外の表情を見たのもこれが初めてだった。
バツが悪そうに視線を逸らした炬のブラウンの双眸は戸惑っている。それが面白い。紫苑の目を惹きつけている。
「……買い物だ」
「えっ、何買ったんですか?」
ただの買い物なのに、どうしてそんなにバツが悪そうなんだろう。炬のことになると疑問が尽きない。炬は長い息を吐き、ジャケットの裾に入れていたものを取り出した。
「電池?」
「切れたんだとよ」
ますます意味がわからなかった。だが、「切れたんだとよ」と言った炬の言葉の使い方に引っかかった。
「もしかして、お使いですか?」
嫌そうに表情を歪める炬の表情は、それが正解だと告げている。紫苑は慌てて口を塞ぎ、あの炬がお使いに行っていたという事実に頬が緩んだ。
「愁晴さんですか? それとも冬馬さんですか?」
好奇心で踏み込んでみる。炬にそんなことを頼めるのはその二人くらいだろう。もしかしたらアリアとアイラかもしれないが。
「愁晴だ」
「へぇ〜」
確かに、愁晴か睦見が炬に頼み事をしたら、炬が言うことを聞くのは愁晴の方だとも思う。やはり、《グレン隊》の裏のボスは愁晴だ。炬は愁晴を従えているが、愁晴も炬を従わせている。
「……帰るか」
「はいっ!」
ずっと恐ろしい化け物だと思っていたが、炬は案外そうでもなかった。《グレン隊》にいたから初めて気づけたこの事実は、紫苑の心を何倍も強くさせる。他の構成員がまったく怯えずに過ごせている理由がよくわかる。そんな炬と共に行けることが紫苑の心を弾ませた。
周りの大人たちが訝しげな視線をさせて自分たちを避けていることがわかる。彼らが恐れているのは炬だけだったが、同時に紫苑のことも恐れて避けているように見えて紫苑はしっかりと胸を張った。炬の仲間であることが誇りだった。
「変わってるな、お前」
「え? 俺がですか?」
「誇ってるくせに、力を無闇に振り翳さねぇ」
「あぁ……」
紫苑は力を無闇に振り翳して少年院送りにされた少年たちを知っている。紫苑だって力を振り翳していたが、それは無闇ではなく正当防衛だ。妖怪たちへと向けたそれも同じこと。
「……なりたい俺があるんで」
それは、間宮結希のような──そんな陰陽師のことだった。
「変わってるな」
炬が笑みを零す。紫苑はそれを見逃さなかった。
「おいおいおいおい、珍しい組み合わせだなぁ〜」
炬と紫苑の肩に腕をかけ、間に睦見が入り込む。すぐに真顔になった炬は睦見の腕からあっさりと逃れ、紫苑を残して先に行った。
「あっ、炬! 俺らを残して先に帰るなよ〜」
止まっていた足が動く。紫苑は炬と睦見の後を追い、《ハリボテの家》へと再び訪れた。
「ただいま〜」
「おう、おかえり……って。なんやお前ら全員一緒に帰ってきたんか」
「ただいま帰ってきました、愁晴さん!」
「紫苑、お前昨日はどうやったん?」
ソファに腰掛け、一人でソファに座っていた愁晴と向き合う。昨日──《グレン隊》の好意のおかげで紫苑は再びあの施設に戻れたのだ。そのことをきちんと報告しなければならない。
「えっと、帰れました!」
「せやろな。奏雨から連絡が来よったわ。そんで?」
「えっ、そんで?」
「おう。そんで?」
奏雨から愁晴に連絡が入ったのなら、紫苑から愁晴に言うことなんて何もないはずだ。だが、愁晴は紫苑から何を聞きたいのだろう。
「…………ぁ」
もしかして、帰る直前にあった半妖との共闘のことだろうか。
「ば、バトりました」
ごくりと唾を飲み込んで、その意図が伝わるように真っ直ぐに見つめる。愁晴は「ほお」と相槌を打ち、頬杖をついた。
「で、どうやったん?」
「ど、どうやった……?」
どうしてこんなに食い気味に尋ねてくるんだろう。それは愁晴が人工陰陽師で施設の人間だからだろうか。
紫苑は愁晴の意図をなるべく汲もうとして、間を開ける。だが、愁晴にそれほどの深い意図があるようには見えなかった。
「心強かったです。すごく」
思ったことを、ありのままに告げる。
「せやな。お前は一人やない」
愁晴は笑みを浮かべて紫苑の言葉を肯定した。
「一人じゃ……」
その発想は紫苑にはなかった。なかったから、力が抜けた。
「なんだよお前。せっかく俺らが帰してやったのに別の奴とバトったのかよ」
「うっ」
睦見に後頭部を殴られて、紫苑は唇を尖らせる。
「仕方ないじゃないっすか。ふかこーりょくっすよふかこーりょく!」
「不可抗力の意味わかってんのかよ」
「不可抗力やもん。不可抗力やもん」
「愁晴まで?! なんで紫苑の味方するんだよ〜」
紅茶が入ったカップをテーブルに置き、睦見は愁晴の隣に座った。脱力した情けない様を見せつけて、さっきまで何をしていたのかは知らないがやけに疲れ切っているように見える。
「俺と紫苑は俺と紫苑やからな」
「はぁ? なんだそれ」
「俺と紫苑は仲良しやねん」
「ますますわからねぇ……。お前、初めて会った時はあんなに紫苑に否定的だったじゃねぇか」
「紫苑のことは否定しとらん」
「よく言うぜ。ご都合主義な口だな」
「褒め言葉やな」
「お前、耳の方もなかなかだなぁ」
だらだらとだらけきった会話だった。それはいつもの睦見らしくない。
「冬馬さん、何かしてたんですか?」
「ん〜? 《カラス隊》の方でちょっとな」
「《カラス隊》?! 《カラス隊》とは敵対してたんじゃ……!」
「しとるんやかしとらんのか、ようわからんけどなぁ」
愁晴の返答の意味がよくわからなかった。そもそも、《グレン隊》と《カラス隊》は何が原因で対立しているんだろう。
「……?」
「俺たちの因縁は色々なことが原因なんだよなぁ。だからめちゃくちゃ複雑だ」
「複雑なんすか」
「複雑や」
これも知らなかった。《グレン隊》に入らなければ知る由もなかったこと。
「ちょっとって何してたんすか?」
「クソガキどもの話だよ。ったく、なんで俺が話しに行かないといけないのかねぇ」
「最年長者やん」
「こういう時だけ最年長扱いすんなよな〜。会社で言ったら平社員だぜ? 俺」
「ここ会社ちゃうし」
「知っているけどよ」
「例え話っすよね」
「紫苑は話わかってるなぁ〜」
ようやく二人の会話の中に入り込めた。これで完全なる《グレン隊》の輪の中に入れたとは思わないが、一歩ずつ距離が縮まっている気はする。
「そういや紫苑、施設に戻る前に戦ってたって奴。ちゃんと倒せたのか?」
「あっ、あったりまえっすよ! ちゃんと全員倒せました!」
失礼な。そうやって憤慨すると睦見は笑った。
「悪い悪い。お前は俺たちの秘蔵っ子だもんなぁ。あ、じゃあ、あん時言ってた〝倒さなきゃいけない奴〟は倒せたのかよ」
「あん時?」
そう思って、炬に〝手下〟にしてほしいと懇願した時だということに気づく。
『……俺は、絶対に、強くならなくちゃいけないんだ。強くなって、倒さなきゃいけない奴らがいるんだ』
その台詞は、決して忘れてはならない紫苑の血であり肉体の一部だった。だから紫苑はいつまでも大切にし続けるし、アイデンティティになっていると思っている。
「言ってただろ、ほら……」
「まだまだこんなモンじゃないっすよ」
答え、拳を握り締めた。あと何回妖怪退治ができるだろう。あとどれくらいの妖怪を殺せるんだろう。
未来のことなんて紫苑自身もわからないが、紫苑の物語はまだ終わっていない。だから紫苑はこれからも、真や星乃たちと共に妖怪を殺し続けることを誓う。あの時の間宮結希のように──。
「ふぅん。お前もお前で大変なんだな」
「そうっすよ? 俺も俺で大変なんすから」
胸を張った。いつか間宮結希に出逢えたら、褒めてくれるだろうか。そんなことを考えながら紫苑は微笑む。
「頑張りや、紫苑」
「はいっす!」
「炬も紫苑を見習えよ〜?」
「…………は?」
振り返ると、壁際に置かれたチェアに座っていた炬が鬱陶しそうな顔をしていた。鬱陶しいと思ったのは睦見だけだろう。紫苑の方を見たその目は、好奇に満ち溢れていた。




