第四話 大通りの不良集団Ⅳ
紫苑は八つの拳を続けて弾き、八対一ではどうしても完全に避けられないことを悟る。
応援は呼ばない。強者たちは独りで片をつける。そんな〝化け物〟じみた強さに憧れて、そんな〝炬〟に憧れて、紫苑は《グレン隊》の扉を叩いたのだ。
一気に人々が逃げ惑う戦場と化した駅前は、交番があるところでもある。叫びを聞きつけてやって来たのだろう。すぐさま《カラス隊》ではない普通の警官が駆けつけて来るのが視界に入った。
「襲う場所間違えたみてぇだな!」
紫苑は思い切り嘲笑い、普通の警官が来たら逃げろと遥に教わった通りに逃げる。
「逃げるな!」
だが、紫苑は遥ほど大人にはなれていなかった。
すぐさま振り向き、追いかけてくる八名の少年と警官を真正面から見る。
どうする? どうする──?
一気に思考が停止した。何も考えられなくなって、棒立ちする木偶の坊に蹴りが入る。
「ぐぅ……ッ!」
痛い。すぐに膝をつきそうになって、自分がかつてこの場所を上から見ていたことに気がついた。
縋るように視線を上げると、デパートの三階にあるとある窓から睦見が自分のことを見下ろしていた。目が合った。睦見は腰を浮かせており、雑居ビル地区の方を指差して右手で「行け」と思い切り振る。
「ッ!」
反射的に紫苑は逃げた。少し前まで頼りたくないと思っていた人に指示を出されるのは屈辱的だが、このままでは一番最悪な結末を迎えてしまう。
睦見は紫苑のことを信じて指示を出した。そこまで愚かな男ではないと信じた彼の信頼に応える為に、紫苑は来た道を大急ぎで戻る。
「雑居ビル地区まで行けば……! 警官は来ない……! ってぇ?!」
忘れていた。雑居ビル地区には今南雲朔那率いる葉柴と神馬がいる。紫苑は自分に視線を寄せた葉柴と神馬から距離を取り、裏路地へとすぐに駆け出す。
なんなんだ。今日は厄日だ。ただ施設に行きたいだけなのに、一人ではどうすることもできない人数から追われている。
雑居ビル地区に無数に存在する裏路地を駆使すれば、紫苑は全員を撒くことができる。だが、裏路地をすべて把握しているほど紫苑は雑居ビル地区のことを知っているわけではない。
このままでは、式神のタマモにも頼ることになってしまうが──紫苑は足踏みをし、再び振り返った。
「…………」
誰も、追いかけて来ない。全員撒けたということだろうが、紫苑には現在地がどこにあるのかがわからなかった。
「…………マジか」
呟き、壁際まで下がってずるずると落ちる。
自分が一体何をしたのだろう。これは、養父の知人が作り上げた輪の中から逃げ出した罰なのだろうか。
従兄の末森琴良からの保護宣言。どうせ、あの真菊も血眼になって自分のことを探しているのだろう。
不良少年にボコられた報復として全員を少年院送りにすれば、さらにその仲間と思われる奴からの報復も来て。場所が場所だったからか警官にも追われる羽目になった。
施設に行って、奏雨にちゃんと謝らなければ。
日が落ちれば、自分の両親を殺した憎き妖怪どもを殺さなければ。
「…………マジか」
意味もなくそう呟いた。紫苑は屍のように壁に寄りかかり、だらりと体から力を抜いて空を見上げる。
真っ昼間の空は雑居ビルに侵されて小さく見えた。雑居ビルに圧迫されて窒息死しそうな閉塞感を味わって、紫苑は足掻く為に立ち上がろうとする。
いつまでもここにいるわけにはいかない。あと数時間もすれば黄昏時だ。ここは真っ先に狙われる。なのに体が動かなかった。
糸が切れた操り人形のような、スイッチを切られた電球のような──何一つ体に力が入らずに、紫苑は深いため息をついた。
肉体的な痛みをアリアが綺麗に消したとしても、ここ数日の怒涛の日々が精神に負担をかけていたらしい。ここから動き出すには、やっぱりタマモの力が──。
「紫苑」
「──うわっ?!」
反射的に仰け反って、紫苑は曲がり角から姿を現した睦見を見上げる。
「あの時何があったんだ〜? 逃げ出せて良かったけどさ、あいつらも裏路地に入っていったんだから気ぃ抜くなよ」
やれやれと両肩を上げ、睦見はそんな紫苑に手を伸ばす。紫苑は、その手を恐る恐る握り締めた。
「よし。歩けるか?」
「……あ、歩けます」
俯き、睦見の後ろを渋々歩く。
最初に駆けつけてきたのが睦見で良かった。自分の無力さを痛感して、掌に視線を落として、握って、開いて、目頭が熱くなる。
「お前、まだ小学生だろ?」
「……?」
落ちそうになったものが落ちる直前に顔を上げた。前を歩く睦見の背中は炬のものと同じくらいに大きくて、こっちの方を一切見もせずに出口の方へと歩いていく。
「そんなに生き急がなくても大丈夫だって」
生き急ぐ──そんなこと、今まで一度も思ったことがなかった。
周りから見たら自分はそう見えている? そんなことはないはずだ。だって、自分が憧れているのは炬や、アリアや、アイラという〝化け物〟たちで──すぐにでも追いつけないことは明白なのに。なのにこんなにも焦るのは、同い年で偉業を成し遂げた少年のことを知っているからだった。
彼と自分との間には、切っても切れない縁がある。だからずっと、自分の奥底に当たり前のように存在していたから気づけなかった。
「……だい、じょうぶ……」
大丈夫なのだろうか。自分は養父のことを心から好きだと言えるような人間じゃない。だから、〝間宮結希〟のことを過度に意識しなくてもいい。
だが、この世界に彼がまだ生きている以上──紫苑にとって間宮結希は奥の奥底に眠る憧れだった。
「…………」
「ん? 何、同い年にいんの? すげー奴」
同い年じゃなくて一個上だが、そんなに変わりはないだろう。紫苑は無言で顎を引き、睦見に見えていないことに気づいて「はい」と答えた。
「……誰だそれ? 小学生ですげぇ奴なんて知らねぇけどなぁ」
睦見はぼやき、「ふぅん」と適当に相槌を打つ。
睦見が知らなくて当然だ。彼のことは、陰陽師か半妖くらいにしか知られていないのだから。
「すげぇですよ。……多分、冬馬さんも知ったらすげぇって言うと思う」
「どんな奴?」
「…………この町を、救った奴です」
いつか、間宮結希に出逢う日が来るのだろうか。死にたいって心から思ったことはまだないが、先ほどしゃがみ込んでいた時は本当に死ぬかと思った。
このまま何事もなく生きていたら、いつか紫苑は結希と同じ学校に行って廊下ですれ違うことも可能だろう。その時、どんな思いで紫苑は去りゆく結希の背中を眺めるのだろう。
「救った? 小学生がこの町を? なんだそれ」
睦見はけらけらと笑っていた。睦見は何も見えていないからそんなことが言えるのだ。
「でも、そんな奴が本当に目標ならお前マジで大変だなぁ」
他人事のように言って、睦見は遠くの方を指差す。そこから小さな光の欠片が漏れ出ており、紫苑はすぐにそこが出口であることに気がついた。
「…………あ」
自分のことを追っている誰かに見つからないだろうか。一瞬だけそう思って足を止め、振り返った睦見に手招きされる。
「つーかまだ聞けてねぇんだけど、あの時マジで何があったんだよ」
「いや、なんか……あいつら昨日少年院送りにした奴らの仲間だったみたいで……」
「ふぅん、報復ってことな」
「……え? あ、うん。そうみたいです」
報復の意味はよくわからなかったが、睦見は一人で納得して外壁に手を置いた。
「で? 《カラス隊》の方とは何があったんだ?」
「えっ?! そ、そっちは何もないです!」
従兄との間でだいぶ面倒なことが起きている。そんなことは《グレン隊》の誰にも言えないことで、紫苑は咄嗟に誤魔化した。
「はぁー……ん」
睦見は訝しげな表情で前屈みになり、小さい紫苑と同じ目の高さになる。
「《グレン隊》とは関係ねぇとこで追われてんだな」
低い声で囁かれた。紫苑はごくりと生唾を飲み込み、睦見の視線から逃れようと必死に足掻く。
「じゃ、炬には言わないでおいてやるよ」
「えっ?」
「俺たちにとって本当に関係ねぇことなら、俺たちの日常は何も変わらねぇ。ただ奴らと──どちらかが潰れるまで戦い続けるだけだ」
睦見の菫色の瞳は、獲物を見つけた時の猛獣のようだった。ムシトリスミレのような、食虫花の妖艶な残酷さを内に秘めて笑っている。
「…………」
その美しさに紫苑は一瞬だけ見とれてしまった。金色の髪が雑居ビルに押し潰された暗闇の中でもキラキラと輝いて見える。
「行こうぜ」
そんな睦見の背中を追った。外には遥、如月、弥上、卯之原、皐堂の《グレン隊》戦闘員が何故か全員揃っている。
「な、んで……」
「応援呼んだんだよ。遥と宗太はクソガキどもの清掃、集と穂澄と大河はその辺にいた《カラス隊》の清掃だ」
「ちょちょちょちょっと待てって! 俺だってちゃんとやれるって……!」
「じゃあお前は警官追っ払うか?」
「いやそれはさすがに無理だろ!」
「無理なのか」
《カラス隊》はともかく、警官に本気の喧嘩を売るほど紫苑は馬鹿ではない。それができるのが《グレン隊》だというのなら、紫苑もやろうと決心できるが──。
「や、やり……」
「冗談だけどな」
「もういねぇしな」
「なんだよ!」
いつの間にか敬語を使うことを忘れていた。紫苑は地団駄を踏み、《グレン隊》の戦闘員全員が集まることでなくなりかけていた力が蘇ってくるのを感じる。
「お前にはやることがあるんだろう?」
「や、やること……?」
「愁晴に電話したら言ってたぜ? 『紫苑は施設に戻る途中やったはずやけどなぁ』ってさ」
「あ」
そうだった。回れ右をして駅前を見、息を整えて周りを見る。
「い、いいんですか?」
「いいに決まってるだろバカ。うちの紫苑を寄ってたかっていじめる奴らはぶっ飛ばしてやる」
遥はポキポキと手を鳴らし、牙を剥いた。弥上も卯之原も皐堂も、それぞれ言いたいことばかり言って了承する。
「そこまでなら自分一人でも行けるだろ?」
睦見は紫苑の背中を押し、先に行かせる。
「他にも紫苑を狙ってる奴らがいるかもしれないけど、そいつらには絶対に勝ってね」
「……本当に無理だったその時ならば、逃げてこい」
「ぎゃははっ! お前のこと俺は結構気に入ってるけどよぉ〜、思った以上に面倒なモン抱え込んでんのな! 気に入ったぜぇ?!」
弥上の気に入るポイントがよくわからないまま、紫苑は全員に頭を下げてすぐに駆け出す。
このまま誰にも会いませんように──そういう願いを込めて身を隠しながら、走ってバスに乗り込んだ。
「はぁっ、はぁっ……!」
ここまで来ればひとまず安心だろう。気を抜いて座席に腰を下ろした紫苑は、発車する直前になって乗車した少女を見て目を見開いた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! 紫苑……!」
真菊は、翡翠色の瞳を釣り上げて紫苑を睨みつける。紫苑は義姉の真菊を見上げ、無慈悲に閉まった扉へと視線を移した。
「絶対に、逃がさないんだから……!」
自分に向かって手を伸ばしてきた真菊に捕まり、紫苑は身動きが取れなくなる札を貼られて硬直する。
マズい。マズい。マズい。マズい──!
このまま真菊に捕まって家へと連れ帰られると、そこには一体何が待ち受けているのだろう。
考えるだけで恐ろしくなって、紫苑は隣に座った真菊の体温に怯える。真菊自身が何も考えていなくても、養父の知人からの制裁があると仮定すれば紫苑はいくらでも怯えられた。
「次のバス停で下りるわよ」
それは紫苑に、もう二度と養護施設には帰れないことを遠回しに告げていた。




