第四話 大通りの不良集団Ⅲ
結局、紫苑と愁晴は被害届を出さなかった。
紫苑の身元不明について紫苑と同じくらい理解してくれている愁晴は一体何者なんだろう。そう心から思うくらい、愁晴は紫苑のことを別の視点から見つめていた。
「炬、どこ行くん?」
珍しく昼間に《ハリボテの家》から出ていこうとする炬に愁晴が声をかけると、「散歩」と言う声が返ってくる。そのまま本当に出ていった炬は、一度も振り返ることはしなかった。
昨日不良集団を纏めて片づけ、そのまま泥のように眠っている間にアリアに回復させられていたようだ。だから痛むところなんてないが、紫苑には複数の包帯が巻かれている。頬を掻こうとして絆創膏が貼られていることに気づき、紫苑は手を下ろして愁晴を見上げた。
「他の連中もおらんし、紫苑も一旦施設に帰るか?」
「あ」
そういえば、昨日も泊まることを奏雨に一言も言っていなかった。意味もなく慌てて辺りを見回して、「奏雨にはもう言うとるよ」と答えた愁晴の言葉に安堵する。
「あ、ありがとうございます」
「別にええけど、あいつはあいつなりにお前のこと心配しとったから後で何かフォローしたってな」
「……ぇ?」
そうしてあっという間に強ばった。心配していた? あの、どう見ても子供嫌いな性格の奏雨が?
「奏雨は今でも嫌々施設長やっとるし、ずっと引き篭っとった暇人やったから次期施設長として白羽の矢が立ったわけなんやけど……それでも、子供嫌いっちゅうわけやないんやで」
ソファに隣同士で座っていた紫苑と愁晴は、お互いにほどよい距離感を保ちながら会話を続ける。
「子供嫌いじゃないって、一体どういう意味なんですか?」
「あいつは単に、〝責任〟っちゅうのが嫌いなだけなんや」
答えた愁晴の言葉を、紫苑が一瞬で理解することはできなかった。
大人なら、誰もが抱えているはずの〝責任〟。それが奏雨が嫌うものであると言うのなら、やはり紫苑にはピンと来ない。
「……責任」
「せや。責任や」
「なのに施設長やってるんですか?」
「渋々とな。ほんまに、そういうところは哀れやなぁと思うけど……それが、〝大人になる〟っちゅうことやからな」
愁晴の横顔は、ほんの少しだけ寂しそうだった。
彼もまた彼の言う〝大人〟の一人で、大人になってしまったが故の寂寥感を紫苑は感じて、「そうですか」と相槌を打つことしかできなかった。
「……俺、ちょっと帰ります」
「ん。そうしたり」
「また来ますから」
愁晴に軽く頭を下げ、紫苑も《ハリボテの家》から出る。
施設まではそこそこ遠いが、施設の様子を確認しないと気が済まなかった。元々紫苑がいなくても成立していた組織だが、紫苑は泣きじゃくる赤ん坊を脳裏に浮かべて先を急いだ。
「どこに行く」
足を止め、紫苑は一人で辺りを見回す。気づかなかった──妖怪や陰陽師の気配には気づくのに、一般人の気配には気づけない。
どこにいる。早く見つけなければ──。
そう思うのに、紫苑は彼のことを自力で見つけることができなかった。
「どこ見てるんだよ」
ため息混じりの声が、ようやく彼の位置を教えてくれた。紫苑は頭上へと視線を移し、雑居ビルの窓枠に腰をかけていた朔那を見つめる。
「えっ?!」
なんでそんなところに腰をかけることができるのだろう。あまりにも近すぎるところにいたのに、気づけないほど気配を消すことも彼は上手い。
「南雲、朔那……!」
《カラス隊》の軍服を着た朔那は当然勤務中なのだろう。なのにサボっているような緩さを感じる。いや、どこからどう見てもサボっている。
朔那は元《グレン隊》だからか、《カラス隊》全員から滲み出ている警察官らしさは皆無だった。そして、妖怪や陰陽師となんの繋がりもない一般人らしさでさえ滲み出ていた。
「な、何しに来たんだよテメェ!」
ここはまだ雑居ビル地区だ。《カラス隊》の縄張りではない。
《カラス隊》の縄張りがあるのはオフィス街だが、そこには一切足を運ばないのが《グレン隊》だ。こんなの全然フェアじゃない。
「……別に。今日は昨日の後始末だ」
「じゃあさっさと帰ればいいだろ!」
牙を剥き、朔那に対して敵愾心を剥き出しにする。早く大切な雑居ビル地区から出ていってほしい──ここにはもう、《カラス隊》である南雲朔那が帰ってこれる巣なんてないのだから。
「……そうだな」
相槌を打った朔那は紫苑からふっと視線を逸らした。
何も間違ったことは言ってないのに、朔那は何故か口数を減らす。唇に触れ、皮を剥こうと奮闘し、舌打ちを打った。
「……そういやお前、被害届出さなかったんだってな」
「はぁっ?! う、うるせえ! テメェには関係ねぇだろーが!」
一番触れられたくないところに触れられて、紫苑はすぐに言葉を返す。
紫苑も、朔那も、自らの内にある大切な部分に触れられてイライラとしていた。多分、お互いにそう思っていた。
「結局、殴られ損だったじゃねぇか」
「なっ、殴られ損なわけねぇだろ!」
朔那に会うと、結局そんな話になる。紫苑がそう思っていなければ、そうじゃないと断言できる話なのにだ。
「俺は、あの人たちのおかげで強くなった! その為に全力で戦った! 経験値になった! だからあれは、絶対に殴られ損なんかじゃない!」
「…………」
断言できる話だから、紫苑は朔那に言い切った。朔那はそれを受け止めて、あまり納得できなさそうな表情をしたが「そうか」と言って頷いた。
『南雲く〜ん! どこにいるんですか〜!』
『南雲く〜ん! あんたがいないと死ぬほど困るんですけど〜!』
遠くの方にいる《カラス隊》の声がここまで届く。これは、多分葉柴と神馬だろう。
「…………」
逃げなければ──一瞬だけそう思って、紫苑は遠くにいる葉柴と神馬を視界に入れた。逃げるのは、違う。心からそう思った。
「お前、逃げた方がいいんじゃねぇの?」
「逃げねぇよ! 俺は《グレン隊》だ!」
言った後ですぐに気づく。朔那に《グレン隊》だと名乗ってしまった。
もう名乗っていい時期だとしても、名乗ってしまったからさらに気を引き締めた。
「《グレン隊》なら、だ」
「……ッ!」
そんなことを言われたって、逃げるわけがない。紫苑は慌てて拳を構え、朔那に下りてくるように吠えた。
「やめとけ。《グレン隊》とはいえ小学生に手ぇ出す気ねぇし。それに……」
「そ、それに?」
「……末森副長が、お前のことを保護するって言い出した。それに興味がねぇ俺に最初に見つかったことを、幸福だとかなんだとか思ってさっさと逃げるんだな」
「はぁっ?!」
飛び退き、朔那が自分と末森の関係を知っているのか疑って目を細める。
『南雲く〜ん!』
『南雲く〜ん!』
「……ほら、来てるぞ」
「ッ!」
向きを変え、紫苑は葉柴と神馬が来る方とは逆の方向へと走った。咄嗟のことだったが、紫苑は逃げて駅前の方へと走っていった。
「おい」
「……ッ?!」
足を止め、《カラス隊》かと思って身構える。だが、そこにいたのは《カラス隊》ではない知らない少年たちだった。
「なんだよ」
「お前が、《カラス隊》にあいつらのこと通報したのか?」
「……はぁ?」
彼らは今、何を言ったのだろう。
「あいつらって?」
「昨日お前をぶん殴ってた奴らだよ」
瞬間に紫苑は飛び退いた。こいつらは全員、あの不良集団の仲間だとでも言うのか?
「……だったらなんだよ」
「ぶっ殺す」
予想通りの答えだった。紫苑は慌てて距離を取って、《グレン隊》の全員から教わったことを思い出す。
「あいつらは《グレン隊》だったんだよ。そんな奴らを捕まえてタダで済むと思うなよ」
「あのゴミどもが捕まったのは、あいつらが《グレン隊》じゃねぇからだよ!」
その代わり自分は《グレン隊》だ。自分に手を出したらあの人たちが出てくると思うが、彼らの力は借りたくなくて一人で片付ける算段をつける。
「死ねぇ!」
人通りの多い駅前で叫んだ。その言葉を聞いた八名の少年たちは、紫苑に思い切り殴りかかった。
「死ぬのはお前だ」
「テメェらだクソ!」
弱い者ほど吠えるのだとしても、自分の方が圧倒的に強い。紫苑はそう信じていた。




