第三話 紅蓮と鴉の構成員Ⅳ
《ハリボテの家》に戻り、遥はリビングにいた全員に報告を上げる。すると、出てきた結論は彼の言う通り一つだけだった。
「暴行事件やな」
「ぼうこ……えっ、いや、俺一度あいつらにボコボコにされたんですけど……」
真顔で言い放った愁晴に向かって言葉を足すと、またまた真顔で頷いた愁晴は紫苑の言葉を肯定する。
「せやろな。割りとしょっちゅうやっとったんやろ、慣れとるみたいやったし」
「えぇー……」
あの時紫苑を拾った愁晴は、この中の誰よりも拾った直後の紫苑の状態を知っていた。
あんな風にボコボコにされた程度で《カラス隊》が動くなら、自分の時も動いてほしかったような──ほしくなかったような。紫苑は二年も会えていない従兄のことを考えて、やっぱりほしくなかったと首を横に振った。
結果自分でなんとかやって、《カラス隊》ではなく《グレン隊》に拾われたが──それが一番良かったのだと、今は心からそう思った。未来の自分も同じことを思っていると思った。
「じゃあ、ボコボコに殴られんのは紫苑で決定だな」
「ちょっ、なんでですか! そんなあっさりと決めないでくださいよ!」
「いや、どう考えてもお前しかいないだろ」
「ぎゃははっ! 適任ってヤツだよなあ、お前がいっちゃんよえーし!?」
睦見の提案に如月と弥上が悪ノリでもなんでもなく続いていき、卯之原と皐堂までその提案に賛同していく。
味方は誰もいないのか──そう思ってアリアに視線を向けたが、アリアも異論はなかったどころか何故自分に助けを求めるのかという風に首を傾げていた。
「俺に味方はいないんですか?!」
思い切って声に出す。紫苑は《グレン隊》の一番の新人だが、こういう扱いをされるのは死ぬほど不愉快だった。
「お前が《グレン隊》って知っとるのは今んとこ俺らだけやしなぁ。一度目をやったら二度目も油断して仕掛けてくる可能性があるやろうし、イケるやろ」
「俺とつるんでるところは朔那に見られちまったけどなぁ。まぁ、あいつなら不利益にならない限り言わねぇだろ」
「さっくんってその辺り結構適当だもんね〜。《カラス隊》に行ってもあんまり余計なことは言ってないみたいだし」
アリアの言葉で紫苑は気づく。《グレン隊》の、朔那に対するそういう信頼が何故か未だに消えていないことに。
「余計なことは言わなくてもよぉ、大体一言多いんだよなぁあのヤロー」
遥が不満そうに唇を尖らせる。それだけでわかる。彼らの縁は切れていても、絆だけは切れていなかった。
「そういうことやから、紫苑。明日は頼むで?」
「えぇー……、今日じゃないんですか?」
できることならなるべく早く終わらせたかったが、「これから黄昏時やもん」と言葉を漏らした愁晴に対して紫苑は何も言えなかった。
確かにそうだ。この町にいる限り黄昏時に決行することは絶対に良くない。
この町にある養護施設に住んでようやく再認識したことだったが、この町の妖怪はやはり〝理性を失った危険な存在〟だった。
人々を襲うことしか考えていないこの町の妖怪が恐ろしくて、そうではなかった町外の妖怪の方が数百倍もマシだったことに気づいてしまう。
妖怪を殺したくて殺したくて憎んでいたのに、あっさりと怖気づいてしまった自分自身が一番怖かった。
「じゃあ、行ってくるね〜。行こ? アイラ」
「うん」
アイラに声をかけ、アリアはアイラと共にすぐに外に出ていってしまう。危険なのに二人が出ていってしたうのは、二人が人工半妖だからで。二人が妖怪を倒すかけがけのないヒーローだからだった。
そのことを知っているのは愁晴と炬だけで、今までずっと黙っていた炬は初めて二人に視線を移す。そうして二人を無言で見送ったが、愁晴は相変わらず動こうとはしなかった。動き出したのはアリアとアイラだけで、他の隊員たちは毎日二人が黄昏時になると出ていってしまう理由を知らなかった。
「……俺も行きます」
「え? おまえも?」
なんでと言う風に声をかけた遥を無視し、紫苑は恐る恐る二人の後をつけていく。
追いかけていることに気づかれないように足音を消して、時々振り返る二人にバレないように身を隠した。
追いかけて何をするのだろう。タマモがいれば自分も妖怪退治くらいできるが、二人に比べたら自分なんて全然強くない。全部タマモだけの力だ。
何もかも未熟なのは、自分になんの経験もないからだった。
それは《グレン隊》の活動にも言えることで、妖怪退治だけの話ではなかった。そのことが紫苑にとってはとてつもなく悔しいことだった。
「──馳せ参じたまえ、タマモ」
「本日二度目の呼び出しですが、一体何があったんですか?」
隣に立ったタマモをしゃがませ、紫苑はアリアとアイラの方に指を向ける。それだけですべてを察したタマモはしゃがみ、「やるんですか」と問いかけた。
「俺はやってみたい」
「一度もやったことありませんよね?」
「それはどんな人間にも言えることだろ?」
「それは……そうですが」
タマモは一つ息を吐き、「本気なんですね」と紫苑の心を確かめる。
「本気だ」
紫苑は答えた。
「わかりました」
タマモは相槌を打った。
すげぇと思うから、そのすげぇ奴になりたくてどのような努力も惜しみたくはなかった。
立ち上がって、アリアとアイラが向かう場所とは違う路地裏に逸れていく。タマモを先に行かせて歩いていると、すぐ傍から妖怪の瘴気が溢れ出ていて紫苑は咄嗟に足を止めた。
「主君、私が先に行きますが──危ないと思ったらすぐに逃げてくださいね」
「大丈夫だろ、一匹くらいすぐに潰せる」
「油断大敵ですよ、主君。その心が人を殺します」
「……わかったよ」
タマモの忠告は大体正しい。紫苑は余計なことを言わず、曲がり角を曲がってきた妖怪に意識をすべて集中させていった。
「──ッ!」
紫苑は当然、一度も妖怪は倒していない。だが、タマモはそうではなかった。
タマモは紫苑の大叔母から受け継いだ大切な式神だ。実力もある。センスもある。経験もある。すべてを兼ね備えた紫苑の世界でたった一人しかいない式神──。
そんなタマモが抜刀して倒した妖怪を、紫苑は人差し指と中指を立てて倒さなければならなかった。
九字を切ること。それが陰陽師の紫苑にできる最大の攻撃だった。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
震える手で一気に切る。できると信じて一気に切る。九字は暴れ狂う妖怪にぶつかり、奴は焦れったくなるほどゆっくりと消滅していった。
「…………」
初めて。
「……あ」
初めて、できた。
「タマモ」
「初めてにしては上出来ですね、主君」
タマモに視線を向けると、タマモは珍しく紫苑に向かって微笑していた。
「上出来? まだ、そんなたいしたことはやってないだろ……?」
「いいえ。初めて九字を切る陰陽師様は、成功しない場合も高確率であるのです」
「そうなのか?」
「はい。主君の大叔母様は失敗しましたから」
その言葉が、どれほど紫苑の心を揺すぶらせたのだろう。大叔母のことは知らないが、あのゴミのような祖父の妹だ。〝ソレ〟ができなかったのだから、これほどまでに名誉だと思うことはない。
「主君、凄まじく嬉しそうな笑顔ですね」
「当たり前だろ? あのゴミの妹ができなかったんだ……最高じゃねぇか」
「ゴミの妹……」
「違うって言いたいのか?」
タマモにとっては先代の主君。そんな彼の悪口を言ったらもう二度と力を貸してくれないだろうか。
「……いえ、あながち間違いではありませんね」
だが、タマモはそう言って確かな否定も肯定もしなかった。
「…………」
末森家に巣食う得体の知らない大きな闇が、今の自分に覆い被さっているような気がする。紫苑はいてもたってもいられなくなって、こう問うた。
「……俺は、末森家の人間だと思うか?」
この世で妖怪の次に憎んでいるもの。それが自分の実家の末森家だ。
祖父母は放っておいたらすぐに死ぬだろうから手出しはしないが、従兄とどうつき合って行けばいいのかわからなくて心の中で膝を抱える。
「いいえ。主君の魂は、彼らのようにはなっていません。……ですが、心は似たようなものだと思いますよ」
誰かを憎むということ。
何かを恨まずにはいられない末森家の呪縛が、反吐が出るほど息苦しくて──心がしんどい。
「まだ行きますか?」
さり気なく会話を逸らされた。紫苑は頷き、陰陽師の力でアリアとアイラの位置を探る。
彼女たちの前には妖怪がいた。紫苑が一匹だったのに対して、数匹を一度に相手にしていた。
すげぇ。すげぇ奴には、この程度では追いつけない。
紫苑はごくりと唾を飲み込んだ。
アリアやアイラのような妖怪退治の強さが欲しい。炬や朔那のような喧嘩で勝てる強さが欲しい。百鬼夜行を終わらせた、間宮結希のような強さが欲しい──。
その為の強さをいつだって身につけていたくて、紫苑はタマモの後を追った。
タマモは紫苑が何も言わなくても妖怪のいる居場所を探り当てて殺していった。それを紫苑がトドメを刺し続けていた。
終わらない作業のような殺し合いだ──それに気づいた瞬間に黄昏時がゆっくりと終わる。
紫苑は何度か深呼吸をし、タマモを帰らせてたった一人で《ハリボテの家》へと戻っていく。
途中で出逢ったアリアとアイラに帰ることを伝え、紫苑は養護施設に帰った。
待っていたのは奏雨だけではなく、真と星乃も食堂にいた。
「……何してるんだよ」
「……チミが帰ってこないから、晩御飯を片づけられないんだよ」
疲れた口調で奏雨が紫苑に文句を言う。だが、真と星乃はほっと息を吐いて「おかえり!」とだけ紫苑に伝える。
憎み殺し疲れ果てた自分にも、帰る場所はあるのだと思った。




