第三話 紅蓮と鴉の構成員Ⅲ
テナントのいない雑居ビルを見つけて遥に視線を向けると、遥は首を横に振った。
「なんでですか?」
「よく見ろよ。太陽があっちで、影がこういう風に伸びる。つまり、影でバレるだろ?」
遥の言う通り、紫苑が見つけたこの雑居ビルは〝奴ら〟がたむろしている場所に影を落としていた。気づかずにこの屋上で見張っていたら、影で〝奴ら〟に見つかってしまう。
「……なるほど」
「だから、正解は?」
「あのビルですね」
紫苑が指差した雑居ビルに視線を映し、「正解だ」と笑った遥は本当に先輩面が好きな人間だった。
何も知らない紫苑に自分が持っている知識を教えることがそんなにも楽しいのか、終始ニヤニヤとした笑顔を漏らしている。
「ま、今回は尾行だからな。上で奴らの会話を盗み聞くのもアリだけど、普段のあのクソガキどもの悪行とやらを拝みに行くぞ?」
「はいっ!」
頷くと、遥は気持ち良さそうに目を細めた。初めて会った時はこんな顔をするような人間には見えなかったのに、本当に良くも悪くも単純なんだろう。
遥に変装させられた紫苑は、自分でも変装をした遥の後をついて行った。
双子の兄がいる紫苑だったが、春よりも遥の方が兄らしく見えて仕方がない。たった一文字違うだけで、こうもすべてが違ってくる。
馬鹿な兄は嫌いだが、遥の馬鹿さは嫌いにはなり切れない。紫苑は自然と口角を上げ、遥の動作一つ一つを確認する。
「クソガキどもの集団なら感覚でわかるけど、顔まではおれもわかんねぇ。つーか、一つの集団じゃねぇかもしれねぇ。わかるか?」
「はい」
「とりあえずはおまえをボコった奴らを尾行するから、いたら言え。あれはどうだ?」
あれ、と言われて視線を向けると、かなり遠くの方に若い集団がたむろしていた。誰も通らないことをいいことに、雑居ビル地区の大通りの中央を占拠している。
あれで本物の《グレン隊》が来たらどうするんだとも思うが、見晴らしのいい大通りだ。裏路地にだけ気をつけていれば、見かけた瞬間に逃げて行くだろう。……まだ、遥と紫苑の存在には気づいていない。
遥に連れられて雑居ビルの影に隠れ、紫苑は目を凝らす。
本当に遠い。集団がいることだけはわかるが、顔までははっきりと見えないくらいに遠い。遥はこの距離でもわかるというのだろうか。
「…………」
「見えないならもっと寄るか?」
「…………いや、少しだけ時間をください。ちょっとだけ失礼します」
遥に断りを入れ、紫苑は裏路地の方へと進む。そして曲がり、小声で式神のタマモを呼び出した。
「何用ですか、主君」
すこしだけ膨れっ面を見せるタマモは、紫苑の表情を見て目を開く。最後に見た紫苑の表情は、こんな表情だっただろうか。
「写真撮ってこい」
「写真? しかし、肝心のカメラがありませんが」
「これを貰った」
紫苑がタマモに差し出したのは、炬から直接手渡されたスマートフォンだった。
ないと不便だからと普通の表情で言われた時、紫苑は遠慮するという行為でさえ炬はさせてくれないのだと思った。炬という人間の器の大きさを思い知った時、魂が震えた。
こんな人間だとは思わなかった。だから、炬の言うことを聞かなそうな我の強い彼らでさえ彼に付き従うのだと思った。
「貰った? このような物……なんの代償もなく貰えるほど安価な品物でしたっけ? 真菊様でさえ持ってないじゃないですか」
「安くねぇよ。性能もいいし、俺のだから安いヤツでいいだろ的な感じのヤツでもない。これで調べたらヤバい値段してた」
「しゅ、主君。そのような高価な物を私が扱えるのですか……?」
「やれって。こっちは色々とピンチなんだ、あそこにいるチンピラどもの顔写真をバレないように撮ってこいって」
やり方を一通り教えると、タマモは強ばった面持ちで頷いた。そうして姿を消して、紫苑は一つため息をつく。
自分もタマモも、あの家に行ってから金に困ってばかりの生活をしていた。年上だからしっかりしなけれはいけなくて、我慢を年下に強いる側だった。昔はこうじゃなかったのに、あの家に行ってから魂が貧乏人のものになってしまったのだ。
「紫苑。何してるんだよ」
「うっわ!」
振り返ると、心配して見に来たのか遥がすぐ傍に立っていた。まったく気配を感じなかった──タマモがいたらタマモが気づくはずだから、タマモはきっと遥を見ていない。だから遥もタマモを見ていない。
大丈夫。大丈夫だ。呼んだところは見られていない。
「何が『うっわ』だよ。あんま長時間おれから離れるなよ〜?」
「す、すみません……。少しだけ待っててくれますか?」
「待つ? 何を……うわっ?!」
その瞳にタマモが映ったのを見て、紫苑はもう一度視線を戻す。やはりそこにはタマモがいて、空気を読んだのか路地裏から姿を現したという設定で曲がり角を曲がっていた。
「おまえ、あの時の紫苑の姉ちゃんか?」
「違います。私は彼の子分です」
「子分?! 嘘だろ?!」
「嘘ではありません。彼の子分なので雑用であれば私がすべて受け入れます」
式神と言わなかっただけ拍手ものだが、子分と言い換えるのも苦しい気がする。だが、そのまま〝姉ちゃん〟で通したくもなくてタマモに向けて親指を立てた。
「主君。こちら、ご所望のものです」
そんなにも子分という肩書きが気に入ったのか、いつも以上に従順になってタマモは紫苑に尽くしてくる。
なんなんだ──そう思って、「嘘だ! え?! マジで?! 子分?! なんで紫苑に?! おかしいだろこいつはまだ十一で……いるなんておかしいだろ?!」と喚く遥を揶揄っていることに気がついた。
「あぁ」
受け取り、紫苑はフォルダを開く。そうして映っていた若者の集団は、あの日紫苑を襲った集団で相違なかった。
「遥さん、こいつらです」
写真を見せ、遥の反応をじっと伺う。スマホを受け取った遥は紫苑とタマモを見比べて、「え?!」と声を上げた。
「おまえ、こんな近くまで行って撮ってきたのか?! この短時間で?! よくバレなかったな……!」
「はい。こういうのは得意な方なので」
タマモは淡々と答え、スマホの画面をまじまじと見つめる遥の反応を内心で面白がる。
「隠密行動はお任せください。きっと《グレン隊》の中ではトップクラスの方だと思いますので」
「普通にすげぇ……! 即戦力じゃねぇか!」
「タマモがいるのは俺のおかげですからね?! 俺のパイプがあるからですよ?!」
あまりにもタマモばかり上げられると自分の株が落ちてしまう。いや、落ちるほど評価されているわけではないが──タマモという存在は何がなんでも自分自身の功績だ。だって自分の式神だから。
「わかってるわかってる! よし、じゃあターゲットはあのクソガキどもに縛って……って、やべ! 見張ってるの忘れてた!」
慌てて戻る遥の後をついていくが、不良グループは変わらずそこでたむろしていた。思えば、自分もあの辺りで不良グループたちにボコられたような……。
「遥さん、あいつらあのままずっと動かないんじゃないですか?」
「みたいだな。動かないってなると、あいつらの悪評は全部学校内とその近辺ってことになる」
「放課後はここでたむろして《グレン隊》アピールですか。ほんとクズですね」
紫苑も不良の端くれだが、あぁいう不良は一番好きじゃない。紫苑が好きか嫌いかと判断する為に奴らが不良をやっているわけではないから、こんなことを思っても仕方がないが。
「じゃあ、学校近辺で実行しますか?」
「んや、学校近辺だと奴らのナワバリだからな……。やるにしてもおれらが行ったら嫌でも誰かの視界の中に入っちまうだろ? そういう〝監視の目〟がうじゃうじゃとあるエリアだし、そういうところに《カラス隊》は出たがらねぇし……《グレン隊》の仕業とは言えねぇだろうし……」
「じゃあ、やっぱり《グレン隊》のナワバリである雑居ビル地区ですか?」
「だな。学校周辺で悪行を重ねた自称《グレン隊》の連中が、ついに激ヤバな悪さをして《カラス隊》にとっ捕まったっていうのが筋書きだからなぁ。そんで、あのクソガキどもに《グレン隊》にいることが不利益だと思わせて……ん? 《カラス隊》が取り締まるイコール《グレン隊》にいることが不利益ってなるか?」
「いや、《グレン隊》と《カラス隊》がしょっちゅう激突してるのは割と知られてるので、大丈夫じゃないですか?」
「えっ、そうなの……?」
《グレン隊》の中にいる遥の耳にはあまり入って来ないのか、遥は戸惑った表情で紫苑に何度も確認する。
「マジですよ。めちゃくちゃ噂になってますよ」
「うぅ〜……? それが《グレン隊》イコール《カラス隊》みたいな思考回路のせいだったら死ぬほどムカつくなぁ……!」
「まぁ、《グレン隊》がいるところに《カラス隊》がいる。《カラス隊》がいるところに《グレン隊》がいる、みたいな感じですね」
多少は誇張したかもしれないが、少なくとも紫苑の周囲の小学生たちは全員そうだった。
大人の影響を受けやすい子供がそう思っているのだから、それは大人の社会でも通用すると思うが。
「マジか〜……。だいぶ腹立つな、それ」
「一般人が勝手に思ってるだけなので、放置でもいいと思いますけどね」
実際、《グレン隊》に入らないとわからないことがたくさんある。だが、それは〝本当の仲間〟だけが知っていればいいのだと思って紫苑はたいして問題視しなかった。
「そんなことよりも、さっさとアリアさんに報告しません? もうここで張ってる意味ないと思うんですけど」
「そうだな。後はどう《カラス隊》と激突させるかってだけだ。まぁ、もうほとんど〝一つ〟しかないと思うけどなぁ……」
「一つ?」
だが、遥はその内容を打ち明けなかった。ずっと《グレン隊》の話をする二人を黙って見つめていたタマモに視線を移し、「おまえも来るか? 《ハリボテの家》」と尋ねる。
「いいえ。私は《グレン隊》に入隊する意志はありません」
だから絶対に本拠地には足を踏み入れない。そう宣言して、タマモは路地裏へと消えていった。




