第二話 避難所の子供たちⅤ
坂道を上り、ようやく見えてきたクリーム色の養護施設。紫苑は駆け足になりながら施設へと近づき、自動ドアが開くのを今か今かと待っていた。
黄昏時がほんの少しだけ過ぎた夜の始まり。怒られることも覚悟してロビーの奥にある自動ドアを開けると、奏雨が真っ先に視界に入った。
「おっ」
「……何が『おっ』なんだい、チミ」
不快そうに眉間に皺を寄せ、ワゴンから取り出した皿をテーブルに並べる奏雨は怒っているには怒っていた。だが、紫苑が想像していた原因とは違う原因で怒っていた。紫苑は呆気にとられつつも空いている席を見つけて着席する。
「初めまして」
そして、自分をじっと見つめていた少年に声をかけられた。紫苑はぎょっと目を見開き、丸テーブルの正面に座っている少年をまじまじと見つめる。巨体の奏雨しか見えていなかったが、ここにいるのは自分と奏雨だけではなかった。
食堂に集まっていた全員の視線が嫌でも自分に集中する。そんな視線が紫苑は苦手だ。視線そのものが紫苑は心から大嫌いだった。
「名前はなんていうんですか?」
紫苑がなかなか答えないせいか、少年は言葉を変えて穏やかな表情を浮かべたままに質問をする。
「えっ、と……斎藤、だ」
「斎藤お兄さんっ! 初めまして! 僕の名前は猫鷺真です!」
真は手を差し出して、紫苑の手を強く握った。小学校中学年くらいに見える真だったが、精神年齢は驚くほどに高く見える。
そんな真の隣に座る少女はほんの少し前のめりになって、小さなえくぼを作って笑みを見せた。
「小白鳥星乃です。よ、よろしくお願いします!」
「……よ、よろしく」
施設なのだから、自分以外の子供がいるのは当然だ。その中にはかつて、アリアがいて。アイラがいて。あの愁晴がいて──。自分の義弟妹である多翼とモモも、ちゃんといて。
「斎藤お兄さん、下の名前はなんていうんですか?」
「バッ……斎藤は斎藤だ! それ以外名乗るつもりはねぇよ!」
「えぇっ?! じゃあ……斎藤おにーちゃん……?」
おずおずと呼び名を決めようとする星乃を無視し、紫苑は奏雨が出してきた皿を細部まで見つめる。皿の中には見覚えのある料理が盛りつけられており、紫苑は義姉の真菊の得意料理でもあるそれを凝視した。
今日はカレーライスのようだ。だが、妙に具材のサイズが大きい気がする。
なんだこれ。そう言いたげにスプーンでにんじんをつついていると、真に「好き嫌いはだめですよ?」と誤解された。
「ちっ、ちげぇよ!」
それを証明する為に、にんじんを口内に放り込む。すごいと賞賛されるかと思ったが、「あぁっ!」と悲鳴を上げた星乃にすべてを台無しにされてしまった。
「な、なんだよ……!」
「チミ、せっかちだね」
ため息をついた奏雨は、一人用の丸テーブルに向き合っていた。その言葉を皮切りにして、他の子供からも非難の声が続々と上がってくる。
「だからなんだってば!」
「まだ、みんなで『いただきます』って言ってないですからね」
混乱する紫苑に言葉で教えてくれたのは、やはり大人びた真だった。奏雨よりも明らかに大人びた真の言葉に紫苑は納得し、ぺしゃんこに潰れそうになる心に空気を入れる。
──ここも、《グレン隊》と同じく挨拶を大切にする組織らしい。
二年前に親を失い、今の家に来た紫苑は一度も「いただきます」とは言わなかった。それでも、心から納得してしまったのだ。
「……悪かった」
素直に謝り、紫苑はきょろきょろと辺りを見回す。誰が「いただきます」と最初に言うのか──そう思って大人しく待っていたが、誰も何も言わなかった。
「……え?」
「奏雨お兄さん、どうしたんですか?」
「ふふん。斎藤があほ面を晒しているのが面白くてね」
「おいてめぇ! ふざけんな!」
ドヤ顔を見せる奏雨に向かって怒鳴り散らすが、真や星乃よりも幼い子供たちに泣かれて咄嗟に口を噤む。
「あ〜、やだやだ。斎藤は野蛮だねぇ」
「奏雨お兄さんが悪いんですよ。早く『いただきます』をしないとこの子たちが可哀想です」
「はいはい。いただきます」
あまりにも適当な「いただきます」だったが、それが通常なのか他の全員も「いただきます」と続いて笑い合った。あっさりとした「いただきます」にまた遅れてしまった紫苑だったが、改めて「いただきます」と合掌してすべての命に感謝する。
奏雨は挨拶が苦手なようだが、幼い子供たちの為を思っているのかいい教育をしようとそれなりに心がけていた。荒んだ心の持ち主だと思っていたが、人を顔で判断してはいけないとはこのことを言うのだろう。
そう思っていたが、やっぱりドヤ顔をしている奏雨の性格は大分悪いような気がして紫苑は奏雨の動作を観察した。だが、長時間見れるような顔の造形じゃないせいですぐに視線を逸らしてしまう。
「何してるの? 斎藤お兄さん」
挙動不審な紫苑のことが気になったのか、真がおずおずと声をかけてきた。……社交的なように見える真でさえ、話しかけるのを躊躇うようなことをしていたのだろうか。紫苑は唇を尖らせて、「別に」と答える。
「斎藤おにーちゃんって、怒りっぽいのかな……?」
「怒りっぽいっていうか、奏雨お兄さんとの相性が悪いだけっていうか……」
小声で会話を続ける目の前の年下二人は、怯えているわけではなさそうだが困ったように眉を下げた。
「…………」
別に決定的な〝何か〟を言われたわけではないが、紫苑はそれに〝既視感〟を感じて笑顔を作る。やり慣れていないからだろう、苦しいものであるとわかっていたが紫苑は絶対にやめる気がなかった。
「斎藤お兄さん?!」
「どっ、どうしたの?!」
その〝既視感〟は、ずっと自分が感じていた〝圧〟だった。
居心地が悪い──。そんな、自分の心にとって劣悪な環境と言っても過言ではない場所から逃げてきた紫苑が避難した場所にいる他者にとっての〝圧〟になってはならないのだ。
「別に」
だから紫苑は、笑みを作ってそう答えた。だが、出逢ってから十分しか経っていないのに二人にとっての紫苑は〝笑わない人間〟として認識されてしまったようで。気味が悪そうに自分を見る二人に対して、申し訳ないと久しぶりに心から思った。
「そういえば、斎藤お兄さんは今いくつなんですか?」
「十一」
「十一? ……あ、じゃあ……あの時の結希お兄さんと同い年だ」
小さな音量で言葉を漏らした真の声を、地獄耳の紫苑は決して聞き漏らさなかった。
──結希。
その少年の存在を陰陽師の一員である紫苑は当然知っている。そして、目の前にいる〝人工半妖〟の二人が知っていても不思議だとは思わなかった。
「お前らは?」
「僕と星乃は八歳で、同い年です」
「……へぇ」
つまり、百鬼夜行があった二年前はまだ六歳。戦いを強いられることはまずない年齢ということだった。……いや、そもそも百鬼夜行があったから彼らはこうして孤児となり、施設で暮らしているのだろう。
彼らと自分は、そんなところが似てしまっていた。似なくていいと紫苑が思っているところだけが、似てしまっていた。
「ねぇ、斎藤お兄さん。これから一緒に遊びませんか? ゲームありますよ!」
「ゲーム?」
「はい! 奏雨お兄さんが最近買ってくれたんです!」
「みんなでできるゲームなんですよ……! 他の子はまだちっちゃくて、フルメンバーでやったことはないんですけど……!」
紫苑は「ふぅん」と相槌を打ち、幼稚園児から小学校低学年までいる他の八人のはしゃぎっぷりを見て口角を徐々に引き攣らせる。
奏雨は「ああああ」と育児に疲れたような声を上げ、零しまくる八人の面倒を見る為に自分の食事を犠牲にした。
「スプーンの持ち方はこうだよ」
「私、タオル持ってきますね!」
「忙しねぇな」
だが、多翼とモモも似たように辺りに食べ物を散らかしている。奏雨の苦労はわからなくもないが、八人ともなるとその苦労は真菊以上だろう。
「斎藤お兄さん! 斎藤お兄さんも他の子の面倒を見てくれませんか?」
静観しているつもりだったが、真がそんなことを言ってきた。周りをもう一度見てみるが、この施設の中で奏雨の次に年上そうなのは十一歳の紫苑だけだ。
紫苑は渋々と立ち上がり、多翼とモモをずっと見ていた真菊の真似をやってみる。だが、真似だけで上手にできるものではない。
真菊はこんな苦労をずっと一人でやっていたのか。紫苑だったら絶対に一ヶ月も持たないだろう。
「あ、斎藤お兄さん手際すごくいいですね〜!」
「チミ! できるなら最初から手伝ってほしかったね! なんで言われる前に手伝わなかったんだい!」
「手伝ってほしいって思ってなかったんだよ! デブ!」
「でっ?! このクソガキ! ぶっ殺してやる!」
他の子供を相手にしていたはずなのに、その子供を放って紫苑の方に突撃してくる。
奏雨は本当に、クソをドブで煮込んだような──そんな、誰が見ても子供嫌いだと思われるような性格だった。
「奏雨お兄さん! 斎藤お兄さん! 他の子泣いちゃいますから! だから今すぐ落ち着いてください!」
真の静止と星乃の登場により奏雨はちゃんと立ち止まったが、噛みつくような態度は一向に変えない。
「奏雨おにーちゃん! 斎藤おにーちゃん! 二人とも仲良くしてくださ〜い!」
「他の子たちが泣いちゃいますからっ! 二人ともちゃんと笑ってくださ〜い!」
真と星乃を困らせていることに、すぐに気がつけた。紫苑が来なければ何も変わらなかったこの日常を、紫苑が来てから変えてしまうという〝恐怖〟がじんわりと滲んでくる。
「……わかったよ」
ここにいる〝誰か〟の居心地の悪さの原因にならないように。それを自分の心の臓に突き刺して、紫苑は真面目に、他の子供の面倒を見た。
そんな紫苑の心の変化を敏感に感じ取ったのか、幼い子供たちは紫苑への警戒心を徐々に徐々に解いていく。
「おにーたああああ!」
しまいには、長年連れ添った家族のような態度で髪を強く引っ張られた。そんな強引さが有難かった。




