第一話 陰陽師の子供たちⅢ
「炎竜神、炬……?」
生まれて初めてその人の名前を耳にして、生まれて初めてその人の名前を口にした。妙に温かい炎の名前は、魔王と呼ばれるに相応しいものだと幼いながらに紫苑は思う。
「はぁ? おまえみたいな奴があの人を呼び捨てにしてんじゃねぇよ。いいか? あの人の呼び方は〝炬さん〟だ」
「か、炬さん……」
「しゅ、主君! 何してるんですか、主君はそう呼ばなくてもいいんですよ!」
「はぁ?! 呼べよおまえ! これから炬さんに会うんだろ?!」
遥と名乗った青年は、足を動かして紫苑の手を無理矢理強く引っ張った。タマモは慌てて紫苑の後を追おうとするが、紫苑が思いっ切り首を横に振ったのを見て足を止める。
そうして例の建物の中へと連れ込まれた紫苑は、短い階段を下りてうっすらと──恐る恐る、目を開いた。
その建物の中は、紫苑の想像以上に明るかった。
「ただいまぁー」
遥はリビングのような広い空間に土足で入り、そこにいる彼らに声をかける。
「おう、おかえり遥……って、誰やそいつ。なんで連れてきてん」
その口調には異国の訛りがあり、数段下に作られたキッチンのような部屋から顔を出した青年が例の〝愁晴さん〟だと紫苑はすぐに気がついた。
飴色の髪の温かさと鼠色の瞳の冷たさがちぐはぐとした、何もかもが異質な青年──愁晴。彼は遥が連れてきた紫苑を見下ろして、面倒そうに思い切り顔を顰めた。
「炬さんに会いたいみたいっすよ〜。あと、愁晴さんとかアリアとか……なぁ?」
「い、いや別に……」
そこまで言って紫苑は一点に目を止めた。そこにはソファに座った金髪の女の人──〝アリア〟がいたのだ。
本当に西洋のクラシカルメイド服を着用しており、日本人のような顔立ちなのに西洋人のような雰囲気で不思議そうに紫苑のことを見上げている。異質中の異質のような存在として紫苑の目に映ったアリアは、口につけていたコップを置いて金色の髪を一回撫でた。
一目でわかる異質の存在。そして、人工半妖の妖力が溢れ出ているのも彼女だった。
「…………」
彼女が、自分の〝知り合い〟がかつて暮らしていたあの施設で生まれた人工半妖。そして、二年前の百鬼夜行で陰ながらに活躍を見せていたのも彼女のような人工半妖の存在だった。
「小学生……? 珍しいね、はーちゃんが誰かを拾ってくるなんて」
「拾うってなんだよ拾ってねぇよ! なぁ?! おまえ別におれに拾われてねぇよなぁ?!」
紫苑は口を閉ざし、自分の目の前まで歩いてくるアリアを見上げる。遥の勢いに押されそうになるが、紫苑は必死にアリアに意識を向けて拳を強く握り締めた。
冷や汗が出てくる。驚くほどに息ができない。鳥肌が立って仕方がない。全然恐ろしそうな雰囲気ではないのに、一歩何かを間違うと魂を喰われてしまいそうな強さが必ずアリアにはある。陰陽師として、本能で人工半妖のアリアを嫌がっているのだろうか──。
「おまえも早く否定しろよ! おれに拾われた奴だって思われてもいいのか?! そんな情けねぇ奴だったなら追い出すぞ!」
嫌な方向に思考を持っていかれそうになり、首を横に振って即座に紫苑も否定する。そのまま紫苑はぐるりと視線を巡らせて、何があるのかを確認した。そして、大体の妖力の出処を知って数歩ずつ足を下げていく。
ここにはもう用はない。出処も知った。相手の顔もちゃんと見た。そう思って、一階に下りてきた少女に気がついて視線を向けた。
少女は紫苑よりも幼くて、そんな少女が妙な雰囲気を身に纏う銀髪の少女だということにも気がついて紫苑はすぐに息を呑む。噂通り少女は和風のメイド服を着用しており、神秘的な真朱色の瞳が紫苑の目を一番に引いた。
「お客様?」
こてんと首を傾げて尋ねた少女に遥が「お客だ」と答え、少女は「そう」とキッチンの方に視線を向ける。
「茶あ飲むか?」
「いらない……です」
誰よりも先に紫苑をもてなそうとした少女は、無表情のままアリアが座っていたソファに座った。
立ち続ける紫苑は階段から足を踏み外しそうになり、もうここまで下がってきたのかと自分で驚く。
「愁晴さん、炬さんは上っすか?」
「せやで。呼んできたるわ」
「いや、ここにいてください。こいつ愁晴さんとアリアにも会いたいらしいってついさっき言ったじゃないっすか」
「そうなの? 『別に』って言ってたけど……」
遥はさっさと再奥にある階段に向かっていき、残された紫苑は愁晴、アリア、少女の視線に一人で耐える。
「俺、もう帰るんで……!」
焦って階段を駆け下りた。銀髪の幼い少女にも、アリアと同じような人工半妖の妖力が溢れ出ている。アリアの方が〝優しさ〟で満ち溢れているんじゃないかって思うくらい、棘が含まれている彼女の妖力。どれほどの妖物を殺してきたのかと思うくらい、血で溢れ返っているようなそれに紫苑は心から寒気を覚えた。
自分よりも幼い少女でさえ人工半妖という事実に嫌気が差して、紫苑は恐ろしさに怯える子供が逃げ出すように扉を開けた。
「あっ、ねぇ! かがりんに会わなくていいの?! ねぇってば!」
彼らはいつまで勘違いをしているのだろう。
飛び出した紫苑は待機していたタマモの胸に思わず飛び込み、顔を上げて彼女の手を強く引いた。
「主君?!」
「行くぞ!」
綿之瀬家の人間は本当に愚かだ。紫苑は本気でそう思って、授業がすべて終わってしまった午後の時間の太陽光に呆然とする。
眩しい。この眩しさが紫苑は大嫌いだ。暗闇の中で生きてきて、刺激を求めてここに来て、その刺激の強さに負けてしまった。
来た瞬間に冷静になって思い直したのに、人工半妖程度に会っただけで変に膝が震えている。不幸中の幸いだったのは、炎竜神炬に会わなかったことだろうか。
《グレン隊》の主戦力さえまともにいなかったのに、自分はこの程度で震えている。笑えない。陰陽師なのに人工半妖が怖いだなんてそんなことがあってたまるか。
「主君、大丈夫ですか?」
しばらく歩いてタマモが不意にそう尋ねた。
紫苑は頷いて路地裏に荒っぽく腰を落とす。
「……気は済みましたか?」
「……別に」
「別に、とは?」
「別には別にだ」
いまいち意思が伝わらないタマモにイライラし、それが自分の未熟さであることを突きつけられて紫苑は一人膝を抱える。
陰陽師として人工半妖に会って恐怖し、そのまま〝不良少年〟として炎竜神炬に会うことさえできなかった。知ることが怖いなんて思う日が来るとは一度も思わなかった。
こういうのを怖いもの知らずだと言うのだろう。
紫苑は長い息を吐いて、会えて得たものをぼろぼろと零した。黄昏時になってもなおその場に蹲る紫苑の傍に、タマモがいた。
「…………?」
顔を上げ、例の妖力が近づいてくることに気がついて紫苑は慌てる。タマモを見ると、タマモは真顔で路地裏の奥の方を睨んでいた。
「どうします?」
「どうするもこうするも……」
触れない方が身の為だ。そう思うのに妖怪の後を追う妖力が足を止める。
「……あいつら、路地裏なら誰もいないとか思ってんのかよ」
「雑居ビル地区には《グレン隊》しかいないと言ったのは主君でしょう」
「…………」
反論できず、紫苑は恐る恐る路地裏へと進んでいく。その後を駆けるタマモは真剣そのもので、式神の本能を刺激されているのかいつでも飛びかかれるような態勢を取っていた。
「こっちだ」
小声でタマモのことを先導をする。幾つもの曲がり角を曲がって足を止め、その先にいるアリアと銀髪の少女の気配を感じた。
『気をつけてね、アイラ』
『……うん。アリアもね』
こっそりと覗くと、アイラというらしい名前の少女が紫苑に背を向けて猫又と対峙していた。アリアはアイラの斜め後ろにいて、彼女のことを見守っているように見える。
それは、本気で──……本気で、妖怪を退治する人間の姿だった。
二年前の百鬼夜行。そこで妖怪を前にした紫苑は、一歩も動けずに恐怖した。両親が貪り喰われるのを黙って見ていた。何もしなかった。何もできなかった。
親なしの紫苑は、同じく親なしの二人の少女の背中を真っ直ぐに眺める。あの日紫苑にできなかったことが、あの日この二人にはできていた。今でも紫苑がしていないことを、今でもこの二人は続けている。その強さが二人にはある。
血溜まりの優しさ。そんな強さ。
紫苑は息を呑んで、アイラが履くスカートの裾から八本の蜘蛛の足が飛び出したのを視認した。あれは──
「……絡新婦」
──真後ろでタマモが呟いた通り、蜘蛛の半妖だった。
八本の足で体を支え、二本の人間の足は空中にぷらぷらと浮いている。異質中の異質。化け物の女王。そんなアイラが恐ろしくて、美しくて、何故か恰好いい。
串殺。毒殺。縊殺。焚殺。なんでもありの殺し方でアイラは輝く。そんなアイラをアリアが黄金の光で支えるのは紫苑の目に異質の戦闘方法として刻まれていた。
そんな戦い方をしない陰陽師はぼろぼろと死んでいき、人工半妖は今でも生き残っている。
だから、憎い? いや、憎いのは妖怪であって狡い戦い方をする半妖ではない。
「…………すげぇ」
怖いのに言葉が漏れた。心からの声だった。
すべての妖怪を殺したアイラとアリアはハイタッチを交わし合い、この場に似合わない可愛い笑顔まで浮かべ合う。
『今日もやったね! アイラ』
『……ね。アリア、サポートありがとう』
『ううん。これが私の仕事だよ』
『うん。そうだね』
そうして仲良く手を繋いだ。
『もっともっと頑張ろう。おじちゃんや、こまっちゃんや、あこりんや、きーくんの名誉の為に……まだ、頑張らなくちゃ』
『まだ、私たちのこと死んでほしいって思ってる人……いるかな』
その言葉を聞いて紫苑は震える。
今の今まで、人工半妖がそんなことを考えて生きているなんて思いもしなかった。あんなに強い人間なら、誰も二人に「死ね」なんて言えないはずなのに。そう思った。




