第一話 陰陽師の子供たちⅠ
末森紫苑は、どこにでもいるただの小学六年生──ではなかった。彼は常に機嫌が悪く、周囲からの評判もすこぶる悪い。所謂〝不良少年〟としてほとんどの人間から煙たがられ、友達という存在は当然のように一人もいなかった。
紫苑がそれを気にしたことは一度もない。それで構わないと本気で思っている。むしろ、彼は好んで一人でいるタイプの人間だった。
『なぁ、聞いたか? この間〝出た〟らしいぜ』
『え、まじで?! どこで?!』
『雑居ビル地区だよ。やっぱあの辺りがナワバリみたいだな……。オレらにはまだまだ会えない雲の上の人たちだよ』
『あ〜……やっぱそこから出て来ないのかぁ……。残念だな、一度は見てみたいのに』
陽陰町の中心に経つ陽陰小学校は、町内唯一の公立小学校として有名だろうか。そこの三階。東棟の最端の男子トイレから聞こえてくる会話に紫苑は耳を傾ける。
『見てみたいよなぁ。なんてったってこの町の生きる伝説だもんなぁ』
『それもあるけど、おれは金髪のねーちゃんが見てみたい』
『金髪のねーちゃんは駅前でたまに見かけるぜ?』
『えー、ほんとかよ』
『ほんとほんと。すげーキレイな金髪で、やっぱりちょっと外人だった。ヘンテコだよ』
『まじで? へぇー……、見てみたいなぁ』
見てみたい、か。
『なぁ、なんで出てきたんだ?』
『さぁ〜? でも、雑居ビル地区の方から爆発音がしたり、《カラス隊》が向かっていったり、色々やばかったんだぜ』
『へぇー……あの《カラス隊》が出ていくほどって相当だなぁ』
『なのにパパが見に行ったら、どこも壊れてなかったんだって』
紫苑は無意識に唇を尖らせて、用を足した彼らが去っていく音を聞いた。
彼らが興味深そうに話していたのは、この町の汚点であり生ける伝説でもある愚連隊──《グレン隊》のことだった。
魔王とも呼ばれ、《十八名家》で、しかもその中では一番敵に回してはいけない一族である炎竜神家の分家が大将を務める魔王の一味。
魔王が纏める一味の面々は個性豊かどころの話ではなく、異国の訛りを持つ青年や、先ほど話に出てきた外国の血が混じった金髪の少女、妙な雰囲気を身に纏う紫苑よりも幼い銀髪の少女など様々だ。
噂では町外の元暴力団員、相豆院家の《風神組》にいた元組員、マフィアの一味もいるという話も出ている。そして、この陽陰小学校の卒業生も中にはいるという話だった。
紫苑はぴんと背筋を伸ばし、そんな《グレン隊》のことを考える。〝不良少年〟だけではなく、その辺りにいる少年にまで興味を抱かれるその一味の魅力はそこだろう。
〝見たことがない〟を内部に何度も詰め込んで、〝見たことがない〟化け物に進化している。そんな彼らが格好良く目に映る。
そして、子供の目には〝悪役〟として有名な《カラス隊》と対立する一種のヒーローのように映っていた。それは、《カラス隊》のあの黒過ぎる軍服のせいだろう。紫苑は彼らが警官だと理解しているが、子供のほとんどが見た目で判断するせいで、あまり知られてはいなかった。
紫苑は一度目を閉じて、個室の鍵と扉を開ける。
別に用を足したかったわけではない。いたいからいたわけでもない。ただ、好んで一人でいれる場所を探していただけだった。
紫苑は短い息を吐き、男子トイレを後にする。短い休み時間もそろそろ終わりだ。だが、授業に戻る気も特にない。
〝不良少年〟は、授業に出ない。それでも学校に来るのは、ここが陽陰町だからだった。
陽陰町は特別だ。町民はそう思っていないかもしれないが、町外から電車に乗ってここに通っている紫苑はそう思っている。
ここの美しい世界を、美しい雰囲気を、紫苑は来る度に感じて感動していた。
「紫苑、早く入って授業の準備をしないと」
顔を上げると、春が教室から顔を出している。紫苑は女の子のような名前をつけられた少年を無視して、彼の目の前を通り過ぎた。
「あ、紫苑」
話しかけるな。そういうオーラを出していた。なのに春には通じていない。
「待って」
話しかけるな。そういうオーラは何故かまだ通じていない。その内にチャイムが鳴って、足を止めた春は渋々教室へと戻っていった。
「…………」
足を止めて教室を覗くと、一人ぼっちで椅子に座ってあらかじめ用意していた教科書を読む春が視界に入る。
小学六年生の春。勉強する奴は勉強する時期。公立の柊命中学校に行くか、私立の陽陰学園中等部に行くか──それを決める時期にもう来ている。
紫苑はため息をついて教室から視線を逸らした。
知らない奴のことを気にかけても仕方がない。自分はこのまま柊命中学校に行くのだから勉強なんて関係ない。
そう思って、玄関口に出た。
警備員が紫苑を視界に入れるが、声はかけない。そのまま手ぶらで外に出ていくが、他の誰からも止められなかった。
陽陰町の空気は独特だ。その空気を目一杯に吸い込んで、人気のない裏庭へと赴く。
ポケットの中にくしゃくしゃに丸めて突っ込んだ紙切れを取り出して、紫苑はゆっくりと口を開いた。
「──馳せ参じたまえ、タマモ」
紙切れは光り、どこからともなく少女が顕現する。
紫苑よりもほんの少し背が高い中学生くらいのタマモは、眉間に皺を寄せて目の前の紫苑を見下ろした。
「主君、何用ですか」
「……別に」
「用がないなら呼ばないでください。……不用心な」
「…………」
タマモは辺りを見回して、校舎を見上げる。
「お勉強、しないんですか?」
「しない。タマモには関係ないだろ」
「主君、若い内から躓くと後々が大変ですよ」
「うるさい。……出かけるからあっち行くぞ」
タマモを連れ、紫苑はフェンスに足をかけた。よじ登り、外側の道路に飛び出してタマモを待つ。
「主君」
咎めるような彼女の声を無視して、紫苑は彼女に声をかけた。タマモは渋々フェンスを飛び越え、道路に下り立ち紫苑の後について行く。
「何がしたいのですか、主君は」
「気になるんだよ」
「気になるとは?」
「《グレン隊》だ」
不思議そうな表情のタマモは紫苑に追いつき、「……《グレン隊》」と呟いた。
「何かあるのですか?」
「人工半妖」
言うと、タマモは息を呑む。
「それと、人工陰陽師」
「人工陰陽師……?! なんですか、それ……聴いたことがない」
「そんな気配がする。そんな妖力が、ずっと東側にある」
タマモは唇を震わせて、わけのわからない存在を耳にして、首を傾げた。
「それが、《グレン隊》にあると?」
「わからない。けど、東側には雑居ビル地区しかない」
「それだけで、《グレン隊》だと?」
「〝常に〟だ。たまにじゃない。あそこに妖力があるって、陰陽師ならみんなが気づいてる」
雑居ビル地区に常にいるのは、多分この世で《グレン隊》だけだろう。少なくとも紫苑は《グレン隊》しか知らない。
「ずっと気になってた。だから、確かめたい」
「今からですか?」
「うん」
「急ですね」
急だが、本当にずっと気になっていた。何もない日々に嫌気が差して、何かがありそうな気配と歪な妖力を内に秘めたあの地区のことが。
今日聞いた《グレン隊》の噂が、余計に紫苑をその地へと向かわせる。
生ねる伝説。その本当の理由を聞いたって、普通の人間には絶対に理解することができないだろう。
陽陰町の真なる癌を潰す魔王の一味は、どれだけの人を潰しても大きな被害を出した試しがない。
敵を怪我させず、物を壊さず。しかしどれほどの強敵でも必ずそれで倒せている。それを、とても不思議な話だと紫苑は思っていた。
そんな〝不思議〟は、妖怪という形で答えを出せる。そんな答えを出せるのは、半妖と──この町のみに点在する陰陽師だけだ。
「半妖じゃないと思うから、人工半妖だと俺は思う」
「……そうですか。だとしたら、私もそうだと思いますけど」
タマモは、そんな陰陽師に仕える式神だった。
黒い短髪に、緑と黄緑を基調とした質素な和服。だと言うのに要所要所で少女らしさを感じるのは、スザクと同じくパニエが入ったようにふんわりと広がる短いスカート型のそれのおかげだ。
紫苑はそんなタマモの主であり、タマモがあまり紫苑に懐いていないのは紫苑が陰陽師としてまだまだ未熟だからだ。
そのことを紫苑は死ぬんだ腹立たしく思っているし、それが紫苑が普通の小学六年生ではない所以となっている。
「……ですけど、人工半妖という根拠は?」
タマモがそう尋ねるのも、紫苑が未熟だという根拠の一つだった。
「ほんの少しだけど妖力が歪だ。ホンモノじゃあり得ない。ただそれだけ」
「……そんなに気になりますか?」
「気になるって何度も言ってるだろ。少しくらい話聞けよ。だからお前を連れてきてるんだろ」
ずっと暗闇の中で生きてきた。だから、ほんの少しくらいの刺激を求めてさ迷いたい。
普通の陰陽師だったら決して近づかないであろうその地に紫苑は興味を抱き、そして一度だけでいいから会ってみたいと思っていた。
自分の〝知り合い〟がかつて暮らしていた、あの施設で生まれた人工半妖と。
いつからかも、どこから湧いてきたのかもさっぱりわからない人工陰陽師に。
どのような理屈で陰陽師が人工的に作られたのかを紫苑は知りたくて、知ったらまた違う毎日が見えてくるような気がして、この二年の間でずっと噂されていた彼らの伝説の所以の本当の意味を知れる気がして──。紫苑はタマモを呼び出して、居ても立ってもいられずに動き出した。
本当は目立った動きをしてはならない。慎ましく生きなければならないと、別に命令されているわけでもないが紫苑はそう思っている。だが、柊命中学校に通うすべての〝不良少年〟が憧れる《グレン隊》にどんな化け物たちがいるのか──そういう子供ながらの好奇心を、紫苑はどうしても捨てきれなかった。
「承知いたしました」
タマモが短く返答した。そうして紫苑は、雑居ビル地区を目指した。




