第8話またあの悪夢となんちゃって魔王城の作戦室(リビング)【前半】
サトウがのんきにログアウトしていった後の、荒れ果てた我が家の庭――。そこには、言葉にできないほどの過酷な沈黙と、夜の冷たい静寂だけが取り残されていた。
((……また、このパターンか……!!))
マオとユウの脳内には、第3話のリビングの悪夢が鮮烈に蘇り、完全に同じ絶極のシンクロを巻き起こしていた。
そうなのだ。サトウは大量の建築資材を買い込み、みんなで庭を片付けてピクニックのように食事をするところまでは完璧だったが、最も致命的な生活基盤――『自分たちが今夜安全に体を横たえて眠るためのベッドや部屋の確保』を完全に忘れてログアウトしていったのである。
趣味のDIYに夢中になりすぎて、使用人たちの生活環境の計画性が完全に抜け落ちているおじさんのウッカリ。しかし、そんな主人のポカを知る由もない三人は、いつ戻るともわからない超越者の放つプレッシャーの余韻に怯え、安全なベッドどころか冷たい地面の上で、ただガタガタと身を寄せ合って震え続けるしかなかった。
リアルに酷似したこのゲームの法律に従い、当然のように一睡もできないまま夜を明かした三人の肉体には、深刻な「不眠症」と「飢餓」の過酷なデバフの呪いが重くのしかかっていた。
そして翌朝、三人が疲弊の限界を迎えかけたその瞬間、荒れ果てた庭の地面に突如として禍々しい魔法陣が浮かび上がった。
「――ひっっ!?」
マオとユウが短い悲鳴を上げ、フィースが息を呑む。
魔法陣の中心から、この世の終わりを告げるかのような暗い闇がゴウゴウと音を立てて立ち昇り、まるでモーゼの海のように左右へと不気味に裂けていく。その圧倒的な漆黒の亀裂の奥から、心身ともに全身スッキリとリフレッシュしたサトウが、のんきに伸びをしながら姿を現した。
「ふあぁ……。みんなおはよう! よく眠れたかい? 現実世界の布団はやっぱり最高だねえ」
昨晩現実世界に戻ったサトウは、お手洗いを済ませ、のんびりと美味しい夜ご飯を食べ、これから始める自分のDIY動画配信のために必要な設定や機材のチェックを済ませていた。そうして一通り満足するとふかふかの布団の中へと潜り込み、枕元で他人のゆったりした日曜大工の動画を流して、工具の心地よい音を睡眠用の音楽代わりに聞きながら、そのまま気持ちよく幸せに寝落ちして、たっぷり8時間熟睡していたのである。もちろん、ゲーム内に残された三人がベッドなしの極寒の中で地獄の夜明かしをしているなど、おじさんは夢にも思っていない。
(な、何が現実世界のフトンだ……!?)
マオの脳内に、凄まじい衝撃が駆け抜ける。マオたちにとっての「現実世界」とは、いま足元にあるこの冷たくて硬いボロ屋敷の地面そのものである。当然、周囲を見渡しても布団らしき寝具など影も形もない。
(まさか……このおっさん、俺たちを極寒の庭にほっぽり出しておいて、自分だけ街の高級な宿屋か、あるいは我々の知らない秘密の『別宅』に転移してぬくぬくと寝てきやがったのか……!?)
ユウもまた、サトウの全身から放たれる圧倒的な『リフレッシュ感』に目を見張り、唇を戦慄かせた。自分たちは一晩中、いつ襲いかかってくるかもわからない超越者のプレッシャーに怯え、不眠症の呪いに血反吐を吐いていたというのに、この男は信じられないほどの万全なコンディションで戻ってきたのだ。
(何て冷酷な化け物かしら……っ! わざと布団すら用意せず、私たちを過酷な環境に放置して忠誠心を試しながら、自分は特級の安眠結界の中でのんびりくつろいでいたというのね……っ!)
主人のあまりにも非情な格の違いに、マオとユウは恐怖でガタガタと全身の血の気を引かせるのだった。
だが、そんな先輩二人とは全く違う意味で、新人のフィースもまた激しい衝撃にその胸を震わせていた。
(……現実世界……フトン……!? まあ……っ! やはりサトウおじ様は、このみすぼらしいこの屋敷とは別に、本来お住まいになっている本物の『別宅』をお持ちなのですわ……っ!!)
フーちゃんの脳内では、またしても都合の良い大富豪フィルターが限界突破で起動していた。
(きっとそこには、眩いばかりの純白のベッドと、私など見たこともない最高級の敷布団が敷き詰められた夢のような楽園があるに違いありません……! 今回はあえてこのボロ……屋敷をリフォームするお戯れのために、一時的にここに立ち寄られているだけなのですわ! ああ、いつかおじ様に認められて、その本当の『別宅』へお供させていただけるメイド長にならなくては……っ!)
一人だけお門違いな憧れと忠誠心をギラギラと燃やすフィースの横で、マオとユウは相変わらず主人の底知れない邪悪さに背筋をこれ以上ないほど凍らせていた。
そんな三人の壮絶な戦慄を前にして、サトウは鳴り響く耳障りなシステム警告音に視線を向けていた。
「うーん……。ログインするたびにいつも警告音が入ってる気がするけど、なんだか最近、この音にすっかり慣れてきちゃったのかなあ」
サトウはふと管理画面を開きながら、そんな素朴な疑問を抱いた。最初はあんなにびっくりしていたはずなのに、今ではアラートがけたたましく鳴り響いても「お、また鳴ってるな」くらいの感覚で、心拍数すら上がらなくなっている。
(ゲームへの順応性とは、本当に恐ろしいものだなあ……)
おじさんは一人で勝手に、妙なところで深く納得していた。
だが、その間、サトウが一切の動揺も見せずに冷徹な無表情で警告音のログを静かに見下ろしている姿を見て、三人はそれぞれの脳内で全く違う衝撃を受けていた。
((この男、我々の限界を告げる断末魔の警告音を、聴き慣れた音楽のように楽しんでいる……っ!?))
マオとユウがその底知れない冷酷さに背筋を凍らせる一方で、調印によって最高級の宮廷給仕メイド長へと進化したフィースだけは、その上級職の思考ログと大富豪フィルターを限界まで輝かせていた。
(……驚いたのに落ち着いていらっしゃる……っ! さすがはサトウおじ様、別邸の広大な屋敷を管理し、何百人もの使用人を動かす大邸宅の主宰。この程度の膨大なシステム警告のアラートの嵐など、すっかり見慣れていらっしゃるからこそ、これほど平然と一瞬で処理できるのですわね……! あの一切ブレない主宰としての威厳ある横顔、本当にうっとりしてしまいますわ……っ!)
そして横の小娘はそれを見てうっとりしている
((……狂っている/わ……っ!))
主人の異常な冷徹さと、それを大富豪の業務管理の余裕と勘違いして心酔している新人の温度差に、マオとユウはこれ以上ないほど背筋を凍らせるのだった。
激しい深読みの恐怖に怯える三人の様子に気づいてないサトウは、管理画面の警告文に慌てて気づき、ポンと手を叩いた。
「おっと、みんな管理画面に不眠と飢餓のデバフが出てるじゃないかぁ。ごめんごめん。俺もお腹が空いてるし、まずは朝ごはんにしようね!」
サトウはインベントリから、昨晩食事に出したものと全く同じ、少し形は不格好な手作りのおおにぎりと、具沢山の温かい豚汁を人数分のんきに、差し出した。
二食連続で目の前に並んだ温かい家庭料理を見た三人の脳内には、凄まじい衝撃と共に、それぞれの歪んだ深読みが爆発していた。
((くっ……またしてもあの特別仕様の料理を連投してくるだなんて……っ!))
マオとユウは、全く同じ恐怖のシンクロを起こして青ざめていた。リアルに酷似したこのゲームの法律上、ただの美味しい食事を摂ったことで空腹値が一定の数値まで引き上げられ、それによって一晩中肉体を蝕んでいた不眠と飢餓のデバフが徐々に解除されて正常に戻っていくだけなのだが、元最高戦力の二人にとっては絶望の呪いでしかない。
((不格好な形に偽装されているが、二度目とてその禍々しいまでのエネルギーは変わらないわ! 食事による肉体の自動回復プロセスを利用して過酷なデバフを徐々に上書きして消し去る代わりに、今度は一体どんな恐ろしい対価を要求されるというの……っ!?))
生き延びるためにガタガタと全身を震わせ、涙目になりながら手料理を貪る先輩二人。
しかし、おじ様大好きっこのフィースだけは、全く違う感動の涙をその目に浮かべていた。
(……まあ……っ! おじ様は、昨晩のあの時、姿を消された後、素晴らしい秘密の『別邸』へ戻られて、私のために、わざわざ朝ごはんとして昨晩と同じあの温かい料理の残りを調理場から取りに行ってくださったのですわ……っ!!)
フーちゃんの脳内大富豪フィルターは、二食連続のメニューに対して極限の美化システムを起動させていた。
(……何という深く温かい慈悲の御心……! 本来なら私のような新人が、おじ様の別邸の極上料理を二度も続けていただけるなんて畏れ多いことですのに! お腹が満たされるにつれて、過酷な夜明かしの疲れが徐々に溶けていくのが分かりますわ……! ああ、美味しくて涙が止まりませんわ……っ!)
一人だけお門違いな忠誠心と至福の鐘を脳内に鳴らしながら貪り食うフィースの横で、マオとユウは「「隣の小娘、主人の底知れない調教によって完全に毒されて美味そうに食っている……化け物か/ね……っ!」」と、その光景にこれ以上ないほど背筋を凍らせ、三人はそれぞれお腹いっぱい満たされていくのであった。
文字数が多くなったのと4話みたいにしないために分けてみました。




