第4話:終わらない千日手と、鋭い一撃
第4話です本日2度目の投稿!
【前編:街の歓迎と名物マンガ肉】
嵐のような大掃除がぴたりと止んだリビングで、マオとユウは青ざめた顔のまま、床板の上で完全にフリーズしていた。
激しく動き回った疲労もさることながら、今の一瞬の「覚醒」に込めた全力の殺意すらも、このおじさんにはすべて見切られ、笑顔で受け流されたのだという絶望。
(ク、何なんだ……ッ! 俺たちの全力の殺意を込めた覚醒が、ただの「大人っぽい演出」としか捉えていないあの底知れなさに絶望するしかないのか……ッ!)
(あ、あの圧倒的な余裕……。私たちの本気の反逆を、まるで子供の喧嘩でも見るかのように微笑ましく見守っていたなんて……。あの男、やっぱり本当の化け物(超越者)だわ……っ!)
おじさんの目は、あまりのショックに、二人はがっくりと肩を落とし、暗いオーラを背負って沈み込んでいるように見えていた。
(……おや? 二人とも、お掃除が終わった途端にすっかり元気がなくなって、もの凄く落ち込んじゃっているな……。あ、そうか!)
サトウはポンと手を叩き、100%のピュアな無邪気さで、自分勝手な正解にたどり着いた。
「さっきのカッコいい覚醒、もの凄く時間が短かったもんなぁ。二人の管理画面を見たら、基礎レベルが『1』だったし……。せっかく凄い力を手に入れたのに、レベルが低くてすぐに切れちゃったのが、そんなに悔しかったんだね! うんうん、向上心があって本当に真面目でいい子たちだなぁ!」
サトウは手元の管理画面をのんびりと閉じると、優しく微笑みながら二人の頭を撫でて言った。
「それにしても、リビングをこんなにピカピカにしてくれて本当にありがとう! 本気で感動しちゃったよ。……と言っても、おじさんが直せた床はまだほんの一部だからね。これから本格的にリフォームしていかないと、危なくて歩けないや」
サトウは穴だらけの床板を優しくトントンと叩きながら、二人に向け、これ以上ないほど温かい笑顔を浮かべた。
「だからさ、みんなで近くの森へ、残りの床を直すための素材集めに行こう! ついでに、二人の基礎レベルも上げて、もっと良い装備に交換してあげたいね!」
(な、何だと……!? 素材集めはともかく、レベル上げに装備の交換だと……!?)
(嘘でしょ……!? 基礎レベルを上げられたら、調印書のペナルティで抑え込まれている力が解放されてしまうかもしれないのに……! それに装備の交換って、私たちの戦力を底上げして、さらに過酷な労働(拷問)を強いるつもりなの!?)
おじさんのピュアな優しさは、二人の歪んだフィルターを通ることで、より高度な『戦力増強プラン(さらなる支配)』へと脳内変換され、再び特大の戦慄が走る。
「よし、そうと決まればさっそく準備だ! おじさん、形から入るタイプだからね。ちょっと待っててね」
サトウは楽しそうに鼻歌を歌いながら、自身のインベントリをのんびりと操作し始めた。
「二人とも森に行くんだ、せっかだし動きやすいものに着替えた方がいいね。はい、おじさんが使わなくなった装備だよ!お古だけど良かったら使ってくれ。」
サトウはそう言って、自身のインベントリから初心者用の軽い革鎧や歩きやすそうなブーツを取り出し、二人の前に並べた。
(な……ッ!? 装備を新調してくれるというのか……!? 今の一般人並みのペラペラな防御力からおさらばできるチャンス……ッ!)』
(これなら、もし途中で魔王に襲われても少しは生き残る確率が上がるわ……っ!)
二人は藁にもすがる思いで、差し出された装備を身につけようと手を伸ばした。
放置を許さぬその時――その装備に触れた瞬間、パキィィィンという冷徹なシステム効果音とともに、目の前に真っ赤なエラーウィンドウが弾け飛んだ。
『エラー:調印ロックが有効です。そのため、制限による専用衣装アクセサリー(バングル・ブレスレット)指定された装備への変更、および武器の装備は一切不可となります』
「ば、バカな……ッ!? 装備が……弾かれるだと……ッ!」
「武器も、防具も、何一つ身につけられない……!? 嘘でしょ、これじゃ本当に、ただの丸腰の一般人ステータスじゃないのよぉぉぉーーーッ!!!」
調印ロックという呪いの鉄鎖は、二人が身を守るための最低限の武装すら無慈悲に拒絶した。武器すら握れず、フリルのカワイイメイド服とカチッとした執事服のまま、危険な魔物の生息する森へ突入しなければならない。このあまりにも理不尽な現実(仕様)に、二人はさらなる深い絶望の底へと叩き落とされ思っていた言葉が出てしまった。
「おや? 何でか 装備が変わらないね……。うーん、あぁ! メイドに執事だからそのお気に入りの使用人服で行きたいんだね。おじさんはまだ強いとは言えないけど今行くところなら問題ないよ!」
二人が何もできず絶望でガタガタと震えていることなど露知らず、サトウは一人で楽しそうに、自身の装備だけを無駄に張り切った『冒険者風スタイル』へ、シャキーンとチェンジさせた。
「大丈夫、大丈夫! レベル1でも、おじさんがついてるからね。さあ、みんなで頑張ってレベル上げをしに行こう!」
サトウはそう言って拳を握り、眩しいほどのピュアな笑顔で二人を優しく励ますのだった。
「そもそも、街につく頃にお昼になるからそこで、昼ご飯にしよう! お腹が空いてちゃ力だせないね。、レベル上げと素材集めのために力が出るものがいいかな?」
サトウがのんきにそう提案したことで、丸腰のまま危険な森へ即座に突入するという最悪の事態だけは、ひとまず回避されることになった。
『(ふぅ……、命拾いした。一時はどうなることかと思ったが、まずは街か。あそこならセーフティーエリアだし、奴の目から逃れて情報を集める好機かもしれん……)』
『(そうね。助かったわ……。まずは街でしっかり体勢を整えて、隙を見てチャンスを狙うのよ……!)』
二人は囁き合いホッと胸をなでおろし、おじさんの後ろを静かについていくことにした。
こうして三人は、僻地のボロ屋敷から街道を少し戻り、賑やかな『最初の街』へと到着した。
しかし、街の門をくぐった瞬間から、マオとユウの期待は無残にも打ち砕かれることになる。
「おい, 見ろよアレ……。なんだあのみすぼらしい冒険者風のおっさん。……いや、その後ろ!」
「嘘だろ!? フリルの可愛いメイド服を着た超美少女と、めちゃくちゃスタイルの良い高級執事服のイケメンじゃん! なんだあの場違いな組み合わせは!?」
「おいおい、頭上のネームプレート……『名前』ユウとマオだって! 服装からして…… 有名なあのレアNPCか!?」
「 もしかして、最前線で噂になってる、失踪中の魔王と勇者ちゃんなのか……!?」
街を行き交うプレイヤーや中級者たちの突き刺さるような視線と、ざわざわとした騒ぎの声が、容赦なく二人の耳へと飛び込んでくる。
調印ロックのせいで着替えられず、あまりにも目立ちすぎる最高級の使用人服のまま連れ回されるという、この生き恥。
(くっ……! プレイヤーどもが俺たちの正体に気づき始めてやがる……ッ! 丸腰の一般人ステータスで、こんな大衆の面前に晒し者にされるとは……ッ!)』
(ひぃぃっ、みんなこっちをジロジロ見てるじゃないのよぉ! 恥ずかしすぎるわ……っ! これもあの超越者による、私たちのプライドをズタズタに引き裂くための精神的な調教(拷問)の一環なのね……ッ!?)
二人が羞恥と恐怖で顔を真っ赤にし、一歩歩くごとに冷や汗を流していることなど、前を歩くおじさんはミリ単位すら気づいていなかった。
「おっ、やってるやってる。ここの食事処、いつも賑わっていて美味しいんだよね! さあ、中に入ろう!」
サトウはそんな周囲の喧騒を「みんな新しい使用人たちを歓迎してくれているんだなぁ」と100%ピュアに勘違いしながら、街で一番繁盛している大きな食事処の扉を元気よくガラガラと開け放った。
店内はスパイスとお肉の香ばしい匂いで満ちており、サトウは三人掛けのテーブル席を見つけると、二人を促して腰掛けた。
「すいませーん! このお店の名物、あの大きな『マンガ肉』を三つください! あと、力が出るように特製のタレも多めで!」
サトウが元気よく注文を通すと、しばらくして運ばれてきたのは、一本の大きな骨の中央に、丸々と分厚い肉の塊が巻き付いた、まさに絵に描いたようなド迫力のマンガ肉だった。ジューシーな肉汁が鉄板の上でジュージューと音を立てて弾けている。
「わぁ、やっぱりここのは凄いね! さあ、二人とも遠慮しないでガブッと豪快にいっちゃってよ。これから森で頑張るんだから、三人で仲良く同じ釜の飯、いや同じお肉を食べて力をつけないとね!」
サトウはそう言うと、自身の分のマンガ肉を両手で豪快に持ち上げ、満面の笑みで大きく一口かじりついた。
『(な……ッ!? これがこの街の名物料理……! いや、違う! これほど濃縮された高エネルギーの肉塊を三人同時に摂取させるだと……ッ!? 完全に俺たちの肉体の限界値を測定するための実験、あるいは……ッ!)』
『(う、嘘でしょ……!? こんな野生児みたいに骨付き肉にかじりつく姿を、周りのプレイヤーたちに見ろと言わんばかりの仕打ち……! でも……でも、もの凄く美味しそうな匂いがして、お腹がグーグー鳴っちゃう……っ!)』
二人は周囲のプレイヤーからの熱い視線と、おじさんの底知れない意図を深読みして激しく葛藤していた。しかし、目の前で美味そうにお肉を頬張るサトウのピュアな姿と、漂う極上の香りに抗うことはできなかった。
(くっ……、毒が盛られている気配はない。生き延びるためには、この超越者の提供する栄養を大人しく取り込むしかないのか……ッ! ――はぐっ!)
(もう、どうにでもなれだわ! いただきます……っ! ――むぐっ!)
覚悟を決めてマンガ肉にかじりついた瞬間、二人の目が見開かれた。口の中に広がる圧倒的なお肉の旨味とジューシーな脂。調印ロックでレベル1に落とされた乾いた身体に、極上のエネルギーが染み渡っていく。
「うんうん、二人とも良い食べっぷりだね! やっぱりお肉を食べている時の顔が一番元気をもらえるよ。美味しいかい?」
「……っ、美味、すぎる……」
「んぐ……っ、とっても、美味しいです……っ!」
二人は涙目を浮かべながらも、おじさんと並んで仲良くマンガ肉を夢中で貪り続けるのだった。周囲のプレイヤーたちが「あのレアNPCたち、おっさんと一緒にめちゃくちゃ美味そうにマンガ肉食ってるぞ……!」と更なる大混乱に陥っていることなど、今の三人には関係なかった。
お腹がいっぱいになり大満足したサトウは、しっかりと代金を支払って食事処を後にした。そのまま街を出て街道を進み、いよいよ本来の目的地である森へと到着した。
そこは、森の外から見ても木々の隙間から木漏れ日が綺麗に入り込む、息をのむほどに美しい森――『はじまりの若葉の森』であった。
【後編:終わらない千日手と、鋭い一撃】
青々とした若葉が優しく揺れ、おとぎ話のワンシーンのような美しい光景が広がっている。
「よし、ここが目的の森だよ! さあ二人とも、足元に気をつけて素材を探しながら進もうね」
(何とも言えない気配がするが……まさかここでレベルを上げ戦力となるか見極めるつもりか……っ!?)
(お肉を食べさせて……こんなところ歩かせるなんて……まさか囮に使うつもり!?)
おじさんのあまりにもピュアな言葉とは裏腹に、二人の脳内ではお肉をご馳走されたことすらも「極限状態へ追い込むための罠」へと完全にすり替わり、一歩進むごとに全身の毛穴から冷や汗を流していた。
のんきに入り口から少し進み最初の開けた場所へ、サトウが一歩を踏み出したまさにその時だった。
ガサガサッ!!!
前方の草むらが激しく揺れ、低い地鳴りのような唸り声とともに、鋭い牙を剥き出しにしたウルフ系の魔物――『フォレストウルフ』が三匹、獰猛な瞳をぎらつかせながら突入してきた。
(くっ……! 敵襲か! よりによって武器も防具もない、この最悪の丸腰の状態で遭遇するとは……ッ!)
(ひぃっ!? うそ、ウルフが三匹も!? 普段の私なら小指一本で消し飛ばせる雑魚なのに、今の私は基礎レベル1の一般人メイド服……ッ! 噛まれたら一撃で死んじゃうかもしれないじゃないのよぉぉぉーーーッ!!!)
丸腰の二人に容赦なく襲いかかろうとする三匹の飢えたウルフ。
圧倒的な絶望感にマオとユウが完全に顔を引きつらせた瞬間、サトウが素早く二人の前に立ちはだかった。
「おっと危ない! 二人とも、おじさんの後ろに下がっていなさい!」
サトウは『冒険者風スタイル』の頼もしい背中を見せながら、手慣れた手つきでインベントリから一本の片手剣をスッと引き抜いた。
「はあぁぁッ!」
サトウが鋭く踏み込み、一閃。
確実な動作で、先頭のウルフの喉元を正確に切り裂いた。悲鳴を上げて一匹が光の粒子となって消滅する。
残りの二匹が左右から同時に飛びかかってくるが、サトウは冷静に身をかわしながら、返す刀で二匹目の胴体を一刀両断し、そのまま勢いを殺さずに三匹目の頭を叩き割った。
あっという間に、三匹の獰猛なウルフはすべて塵となって消え去っていった。
「ふぅ、危なかったね。二人とも、怪我はなかったかい? おじさんがついてるから、これくらいの魔物なら全然大丈夫だよ!」
サトウは剣をサッと鞘に収めると、少し息を切らしながらも、満面の笑みで後ろの二人を振り返った。
『(……バ、バカな……ッ! なんて無駄のない、流れるような剣さばきだ……ッ! 魔物の動きを完全に先読みし、一切の躊躇なく急所だけを屠りやがった……ッ!)』
『(一瞬で三匹を全滅させた……!? しかも、息一つ乱さずに何食わぬ顔で「大丈夫だよ」だなんて……っ! やっぱりこのおじさん、自分の底知れない実力を隠して、私たちに「いつでもお前たちを消せる」と無言の圧力をかけているんだわ……ッ!!!)』
サトウがレベル24なりの堅実な戦いを見せただけであるにもかかわらず、元最強の二人はその圧倒的な「手際の良さ」を深読みし、さらなる恐怖に震え上がるのだった。
まさにその時だった。
ザワザワザワ……ッ!!!
ウルフが消滅した静寂を切り裂くように、周囲の木々や草むらが一斉に不気味な音を立ててざわつき始めた。
美しいはずの『はじまりの若葉の森』の景色が、まるで蜃気楼のようにぐにゃりと歪む。
(な、何だ……!? 森の気配が、一瞬にして書き換わった……ッ!?)
(うそ、周りの葉っぱや草だと思ってた緑色の塊が、全部もぞもぞ動いてるじゃないのよぉぉぉーーーッ!!!)
驚愕する二人の目の前で、背景の草木に完璧に擬態していた無数の緑色の球体がい、ぽよんぽよんと音を立てて姿を現した。
頭上から生えた二枚の小さな葉っぱをプロペラのように揺らしながら、サトウたちを完全に包囲するようにじわじわと距離を詰めてくる。
それは、この森の最弱モンスターでありながら、圧倒的な数を誇る『双葉スライム』の群れだった。
前後左右、視界を埋め尽くすほどの緑色のぽよぽよした塊に完全に退路を断たれ、マオとユウは絶望に顔を白く染めた。丸腰の一般人ステータスにとって、最弱とはいえこれほどの質量に押し潰されればひとたび命はない。
しかし、そんな二人の横で、サトウは手元の管理画面のログを見つめながら、がっくりと肩を落として深い溜め息をついた。
「うーん……これじゃあレベル上げの経験値にはならないなぁ。せっかく二人のために張り切ってやってきたのに、最弱のスライムばかりなんて……。今日は外れ(ハズレ回)だなぁ……」
本気でがっかりして落ち込むおじさん。その姿を見たマオとユウは、またしてもその意図を盛大に履き違えた。
『(な、何だと……!? これほどの包囲網を前にして「外れ」だと切り捨てやがった……ッ! つまり、この程度の軍勢ではあの男の敵(レベル上げ)にもならんということか……ッ!)』
『(あ、あの人、スライムの数が多すぎて面倒だからって、もう私たちを助けるのを諦めて見捨てるつもりなんだわ……っ! 自力で生き延びろっていう試練なのね……ッ!?)』
おじさんの落胆を「冷酷な見捨て」と勘違いし、極限の恐怖でパニックに陥った二人の肉体は、生き残るために勝手に動き出していた。
二人は、群れの中からじわじわと近づいてきた眼前の双葉スライム(1匹)に対し、左右から挟み込むようにして必死に飛びかかった。
「おおおぉぉりゃあああぁぁッッ!!!」
「たあああぁぁーーーッッ!!! 死にたくないわよぉぉーーーっ!!!」
元魔王と元勇者による、自らの明確な生存本能をかけた決死の挟撃。
――しかし、二人は調印ロックによって武器の装備が完全に不可である。
ベチッ!!!
ペチッ!!!
森に響き渡ったのは、なんとも気の抜けた、ただの素手による肉手打撃の音だった。
(くっ……、手応えがない……!? 打撃系に強い性質なのか、俺の全力を込めた拳をもってしてもダメージが通っているのか全くわからん……ッ! おのれ、ならば、浸透勁の要領で……ペチペチペチペチッ!!!)
(嘘でしょ!? 私の渾身の張り手がただの平手打ち(ペチペチ)になってるじゃないのよぉぉっ! 体力が削れている形跡がないわ! でも、ここで手を止めたら丸呑みにされる……ッ! 叩き続けるしかないのね……ペチペチペチペチッ!!!)
一般人ステータスに落とされた二人は、打撃に強いスライム相手に有効打を与えられず、ただただ必死に素手でスライムの弾力をペチペチと叩き続けるしかない、泥沼の終わりなき千日手に突入していた。
だが、攻撃されている当の双葉スライムはというと――。
『(ぽよん? ぽよぽよ〜! おじちゃんとお姉ちゃんが、ぼくの体を優しくペチペチしてマッサージしてくれてるの? 気持ちいいなぁ、もっと遊んで〜!)』
あろうことか、最弱モンスターであるスライムは、二人から一切のダメージ(殺意)を感じ取れず、ただ楽しく「遊んでもらっている」と完全に勘違いしていた。そのため、触手を伸ばして襲いかかることもなく、ただ二人の素手によるペチペチ攻撃を心地よさそうにぽよぽよと受け止めているだけだった。
そんな命がけ(?)の泥仕合を繰り広げる二人を見て、サトウはパッと目を輝かせた。
「おっ! 二人とも、あのスライムを相手に、あんなに一生懸命にやる気になって戦っているのか! 切り替えて、俺も落ち込んでられないな! まずは1匹目!」
二人の素晴らしい(?)熱意にすっかり元気づけられたサトウは、自分の落胆を即座に吹き飛ばすと、二人の素晴らしい自主練の邪魔にならないよう、周囲を完全に包囲していた他の大量のスライムたちを引きつけ、手際よくササッと片付けに動き出した。
サトウが、二人と一匹の周囲から双葉スライムを小気味よく一匹、また一匹と手際よく処理しながら、マオとユウが必死にペチペチと戦っているスライムを残し近くから徐々に離れていく。
気がつけばサトウは、森の奥へと続く本来の進行ルートである道から、知らず知らずのうちに少し横道へと逸れてしまっていた。
そのまま、スライムの残党をすべて綺麗に片付け終えたところで、サトウは街道から少し外れた、木漏れ日が柔らかく差し込むちょっとした開けた場所にたどり着いた。
サトウの視界の隅に、その開けた場所のちょうど中央付近に残されていた、一つの大きな古い切り株が映り込んだ。
そのすぐ脇の草むらに、何かが横たわっているのを見つける。
サトウは慌てて駆け寄った。そこには、ボロボロでみすぼらしい、薄汚れた衣服をまとった一人の小さな少女が、ぐったりと目を閉じて完全に気を失った状態で倒れていた。
サトウは心配になって、急いで少女の頭上を見つめた。
ゲームのシステム法律(名前だけのシンプルな文字表記)に基づき、彼女の頭上に浮かんでいたのは、レベルや職業のないすっきりとしたネームプレートだった。しかし、そこには名前の代わりに、ただ一言
『????』
とだけ不気味にシステム表記されていた。街から来た孤児かなにかと思い助けるサトウ。
サトウ:「こういう時は何が良いんだ……?」
サトウは焦りながら、目の前に展開した空中ウィンドウのアイテム欄を必死に指でスクロールさせた。焦って色々なものをインベントリから引っ張り出した拍子に、かつてボロ屋敷を購入した際に初回限定特典として付属してきた、残りの『調印書』が地面へハラリと落ちてしまう。しかし、目の前の少女に夢中なサトウはそのことに全く気づいていなかった。
ようやく目的の物を見つけたサトウは、気絶していても安全に流し込める、飲むタイプの回復薬である『ポーション』を一本、インベントリから実体化させて引っ張り出した。
「よし、これなら……! 頑張って飲んでおくれよ」
手早く小瓶の蓋を取り、ぐったりとした少女の頭を優しく支えながら、その小さな唇の隙間から瑞々しいポーションの液体をごくごくと慎重に飲ませてあげる。
品質高のポーションが全身に行き渡ったことで、少女の閉じていた瞼がぴくぴくと震え、やがてゆっくりと開かれた。
「……う、ん……」
「おっ、気がついたかい? よかったぁ、本気で心配したよ。気分は悪くないかい?」
サトウが意識が戻ったかと安堵する中、少女は残った力を振り絞るようにして、地面に転がっている豪華な調印書に向かって、震えながら小さな指をさした。
(な、何あれ……っ!? なんでこんな凄まじい魔力を放つアレが地面に……。あ、有り得ないわ……ッ! こんな最高峰の羊皮紙を契約に使えるなんて……このおじさま、もしかしてどこか物凄く立派な領主館や大屋敷なんかに住んでいる、とんでもなく偉くて凄い御方(超越者)なんじゃ……っ!?)
それは、サトウが慌てて落としてしまった調印書だった。一般的にゲーム内で流通している事務的な契約書などとは全く異なり、金糸で美しい刺繍が施され、外見からして信じられないほど豪華な輝きを放つ至高の羊皮紙である。
「おお、これかい?」
サトウは地面の調印書を拾い上げ、不思議そうに首を傾げながら優しく聞いた。
「これを……使えばいいのかい?」
(凄い人だけど、私なんかが雇ってもらえるとは限らないし……)
心の中で引っ込み思案な弱気になっていた。こんなに偉くて立派な大屋敷に住んでいそうな御方が、ボロボロで身寄りのない自分を拾ってくれるはずがない。
でも、もしほんの少しでも可能性があるのなら――。
少女は必死に勇気を振り絞り、潤んだ瞳でおじさんを見つめながら、こくりと首を縦にゆっくりと動かした。
「もしかして名前が無いのかな……? そうなのかい。こんな小さな子が、自分の名前すら持っていない?」
「な、名前、ない……」
サトウの言葉に、少女は震えた声でポツリとそう告げた。サトウは「うわぁ、名前がクエスチョンマークのままだ……。こんな綺麗な森の奥で、こんなにボロボロになって倒れているなんて……。この近くの村から迷い出てきちゃった子なのかな? それとも、街の孤児院から何かの理由でここまで流れ着いてしまった孤児の子なんだろうか……?」とその寂しい事情を深く察しながら、今いるこの美しい森、『フォレスト』の響きから、優しくて呼びやすい言葉を頭の中で一生懸命にこねくり回す。
「森、フォレスト、フォ、フェ、うん……フィースだ! 君の名前はフィース! 今日から君はフィースだよ!」
おじさんは満面の笑みでそう告げると、手にした豪華な調印書を彼女の前に広げた。
少女は授かった新しい名前を大切に胸に受け止めると、そのまま調印書の契約欄にそっと小さな手を重ねて了承した。
(フィース……それが私の新しい名前。この人の役に立ちたい。この人の傍で、この人がやりたいことを心からさせてあげよう……!)
少女の純粋な忠誠心と、名前を受け入れた強い想い。それが奇跡的なノイズとなって、マオやユウの時とは真逆のベクトルで調印書の効果であるステータスの上書きに働きかけてしまった。
ピカァァァァァァァン!!!
森の中で鮮やかに放つ、底知れない黄金の光が森の開けた場所を満たしていく。それは封印ではなく、眠っていた素質が極限まで跳ね上がる劇的な【進化】の光だった。
光が収まったとき、そこにはボロボロでみすぼらしかった少女の姿はどこにもなかった。
薄汚れていた衣服は、仕立ての良い一級品の最高級メイド服へと完全に書き換わっている。泥にまみれていた髪や肌はピカピカに磨き上げられ、気品溢れる美しい少女へと大変身を遂げていた。
それと同時に、彼女の頭上にあるネームプレートの文字は『????』から、シンプルに『フィース』という名前だけへと静かに書き換わっていた。レベルや職業といった余計なUIは一切表示されない、すっきりとした画面のままである。
しかし、サトウの手元にあるスタッフ管理画面のログには、驚くべき変化が大露出していた。
元々は基礎レベル10、職業レベル12の小さなシルキー族だった彼女は、調印書の逆転効果によって、上級職である【宮廷給仕メイド長】へと完全進化を遂げていた。その基礎レベルは【35】、職業レベルは【50】へと爆発的に跳ね上がっている。
さらに、彼女が獲得した能力のログがサトウの画面にずらりと並んだ。
『スキル獲得:掃除(熟練度MAX)』
『スキル獲得:洗濯(熟練度MAX)』
『スキル獲得:料理(熟練度MAX)』
『スキル獲得:裁縫(熟練度MAX)』
『スキル獲得:収納(熟練度MAX)』
それだけではない。通常職システムに完全準拠した、非常に便利な4つの生活魔法までもが完全に解放されていた。
風圧の調整が可能な『エア』。
火加減の調整が自由自在な『トーチ』。
汚れを一瞬で拭い去る『クリーン』。
工程を少し豪華にし、耐久値をわずかながら上げることができる『エンチャント』。
家事とサポートのすべてにおいて完璧な、無敵のメイド長がここに誕生したのである。
サトウは新しく仲間になったフィースを連れて、マオとユウが必死に泥仕合を繰り広げていた元の場所へと、のんびり歩いて戻っていった。
そこでは、まだ二人が一匹の双葉スライムを相手に、汗だくになりながら「ペチペチ、ベチベチ」と丸腰の手打ちを続けていた。
「おや? まだいたのかな? 流石に同じ個体じゃないだろう」
おじさんは、まさか二人がさっきからずーーーっと同じ一匹のスライムを叩き続けているとは夢にも思わず、別の個体と熱心に特訓しているのだとピュアに解釈した。
「そうだ、おーいマオくん、ユウちゃん! 後輩が出来たよーよかったね、これで二人とも先輩だ! 名前はフィース、ヒースと間違われちゃいけないからフーちゃんだよ」
おじさんののんきな呼びかけに、スライムをペチペチ叩いていた二人がハッと手を止めて振り返る。そこには、息をのむほど綺麗で豪華なメイド服に身を包んだ、ピカピカの少女が立っていた。
「おお、俺の部下か。魔王である俺に逆らえると思わないでもらおうかな。フッ」
マオはレベル1の丸腰であることも忘れ、元魔王としてのプライドから、新入りの少女を見下ろすようにフッと鼻で笑った。
「へっ、私が先輩? 見た目は凄そうだけど、先輩としての威厳、勇者だったってことを思い知らせなきゃ!」
ユウもまた、元勇者としての意地から、負けじとフフンと鼻で笑い返した。
そんな二人の先輩風を吹かせた態度を見たフィースは、じっと二人の頭上のプレートを見つめた。レベルや職業は見えないが、そのみすぼらしい丸腰の戦闘スタイルと、一匹のスライムに苦戦している姿から、二人の実力を瞬時に見破る。
(何あの弱い先輩二人は。どうせあなたたちには、これを倒せないんでしょ。フフン)』
フィースは冷ややかな視線を向け、二人の態度をフフンと鼻で笑い飛ばした。
((……ッ!? な、なんか今、あの新入りの鼻で笑われた!? ちょっとムカッとした……ッ!))
格下の初心者NPCに舐められたと思った二人がイラッとした、まさにその瞬間だった。
「よし!」
フィースは小さくそう意気込むと、自身の『収納(熟練度MAX)』の空間から、一本の小さな「縫い針」をスッと虚空から取り出した。彼女の基礎レベル35、職業レベル50の圧倒的なステータスが、その小さな針をまるで鋭利な片手用レイピアであるかのように美しく構えさせる。
シュッ!!!
森の空気を切り裂くような、目にも留まらぬ鮮やかな踏み込み。
フィースの手元から放たれた鋭い一撃は、二人がさっきから何百回とペチペチ叩き続けていた双葉スライムの「核」を、ミリ単位の狂いもなく的確にとらえ、一瞬で深く貫いた。
ピシィィィン……ッ!
核を破壊された双葉スライムは、悲鳴をあげる暇さえなく、一撃で光の粒子となって綺麗に消滅していった。
「「――え!?」」
自分たちが命がけで泥仕合を演じていた怪物を、文字通り一瞬で消し去った新人のチートじみた強さに、二人は白目を剥いて完全に硬直した。
そんな呆然とする二人の先輩を振り返り、フィースは最高級のメイド服の裾を上品に小さく揺らしながら、冷徹な微笑みを浮かべた。
「こんな雑魚を何度もたたいて……情けない先輩。フフッ」
フィースはそう言って、格上の余裕たっぷりに、今度こそ盛大に鼻で笑い返すのだった。
初代に設定集持たせたら調子よいの何なのだーこれで眠れる。5,6,も制作中!




