第15話 現状確認とダンジョンへ
サトウは心地よい疲労感に腕を伸ばしながら、静かにフィースと階段を上り始めた。大体、昼過ぎの15時を回った頃である。
サトウが階段を上りきり、1階の大理石リビングへと足を踏み入れ、ふと階段の降り口の奥で影になってる場所へと視線を向けた。
そこには、マオとユウがまるで精巧に作られた呪いの彫像のようにピキピキと完全硬直したまま、階段の影で並んでいたからである。漆黒の執事服姿のマオも、可愛いフリルに身を包んだメイド姿のユウも、お互いにしがみついたような不格好な体勢のまま、完全に身体がロックされて指先一つ動かせなくなっている。二人の顔面は, あまりのパニックで真っ白に変色していた。
さっきまで地下で給湯器とお風呂の作業に没頭していたサトウからは、ただ楽しそうに汗を拭うのんびりとした気配しか感じられない。威圧感などは微塵もなく、どこからどう見てもただの優しそうなおじさんであった。
((き、来たわ……ッ!! 地下の暗黒培養槽のような場所で凄まじい大掛かりな作業を終えたというのに、あれほどのプレッシャーの熱気を完全に、一瞬で消し去って這い上がってきたわよォォォ!!! 恐ろしいほどに気配を消し去り、完璧に擬態するあの底知れない超越者の姿……ッ!! 階段の影に隠れていた私たちの位置すら、最初からすべて見切った上でのあの静かな視線……ッ!!))
二人は脳内で寸分の狂いもなく同じ絶望のハモりを響かせ、不自然なほどに静まり返ったその『静寂』の恐怖に、ガタガタと膝を激しく震わせていた。ただ一人、リビングの自分のソファへ戻ったフィースだけが、最高級メイド服の裾を上品に整えながら、サトウを都合の良い大富豪フィルターでうっとりと見つめている。
(おじ様……地下での神聖なる御作業を終え、あえてその強大な御力を優しくお隠しになる。あぁ、なんて気高くて素敵なお姿なのかしら……!)
サトウは、そんな場所でフリーズしている二人にゆるく手を振った。
「おや、二人ともそんな所でどうしたんだい? 階段の影なんて暗いし、ほら、せっかく新調したリビングのダブルソファがあるんだから、こっちに座って楽にしなよ。いやぁ、ちょっと地下の作業に熱中しすぎて、もう15時じゃないかぁ。みんな、待たせねぇ。よし、それじゃあちょっとだけ、家の中の点検でもしようかねぇ。せっかく広い家なんだから、不具合がないか見て回らないとね」
サトウはおーいとゆるく促し、戻ってこないで固まっているマオとユウを引き連れにフィースもそれにならいついて行く、リフォームした我が家の総点検へとのんびり歩き出した。一切の足音を立てないまま、のんしのんしと歩くお散歩である。
まずサトウがリビングの窓から外をのぞき込んだのは、すでに草刈りが綺麗に終わってスッキリとした【お庭】だった。サトウにとっては「草刈りも綺麗に終わってスッキリしたねぇ。あとは今後にでも、砂利を敷いたり花壇でも作って整えないとねぇ」という計画的な呟きなのだが、背後に従うマオとユウの背筋には冷や汗が流れていた。
((う、庭を睨みつけているわ……ッ!! 違う、あれは草木なんて見ちゃいない……! 障害物となる雑草を一枚残らず刈り尽くし、敷地の境界を完全に可視化した『完璧な労働エリア』の広さを見定め、明日からどれだけ過酷な庭いじりをさせるかという、冷徹なタスクの計算よォォォ!!!))
続いてサトウは、1階のまだリフォームしていない古い床板が残るエリアへと向かう。薄暗い【キッチン】や【1階の部屋】たちの境界に差し掛かった瞬間、サトウは足を止め、自分の足元をじっと見つめて「おっと、ここはまだ床板が浮いていて危ないねぇ。1階の他の部屋もキッチンもまだボロボロだし、みんなも引っかかって転ばないように、足元には十分に気をつけてねぇ」
サトウは優しく注意を促しながら、トントンと1階の建具やドアの閉まり具合を確かめた。
マオとユウは、その物静かな警告のテンポに心臓を激しく脈打たせる。
((あ、足元を凝視して『気をつけないとねぇ』だなんて……ッ!! 違うわ、これは床板の話じゃない……! 私たちが生活する1階の部屋たちも補給路も、すべてこの男に完全に把握されており、少しでも業務を怠ってミスをした瞬間に、即座に大目玉を食らうという冷酷極まる警告よォォォ!!!))
サトウはさらに、再び【地下室】の入り口をのぞいて、完成したばかりのボイラーと風呂を「うん、しっかりお湯が沸きそうだねぇ」と満足げに眺めた。マオたちの目には、巡回ルートのすべてが、この危険な1階の部屋たちや庭に地下の風呂場までを完璧な超絶労働施設へと仕立て上げるための『業務総点検』にしか見えなかった。
リビングに戻り、サトウはパッと表情を明るくして振り返った。
「ふぅ、一通り見て回ったけどバッチリだね! じゃあみんな、リビングのソファに集まって。ちょうどいい時間だし、極上のおやつタイムにしようじゃないかぁ」
サトウはそう言うと、懐から「ここぞという時のために買っておいたんだよ」と、見るからに高級そうなプリンを全員分取り出した。
極限の緊張状態で身体を強張らせ、呼吸すら忘れて1階の部屋たちから地下室まで引き回されていたマオ、ユウ、フィースの3人は、お腹の底が限界を迎えていた。じわわと鳴り響きそうになるお腹を押さえ、サトウに勧められるまま、その黄金に輝くプリンを恐る恐る一口口に含んだ。
「はっ……!?」
その瞬間、3人の身体が劇的に跳ね上がった。
あまりの美味さに、胃袋の底からじわぁっと温かい血が巡るような感覚が広がり、ガタガタと引きつっていた全身の筋肉の強張りが、一瞬でふっと解き放たれたのである。あまりの心地よさに、3人は思わずトロンとした表情になり、素の状態で我に返った。
「美味しいねぇ。たまにはこういう贅沢もいいじゃないかぁ」
おじさんがにこにこと完成したソファでスプーンを動かす。だが、我に返ったのも束の間、マオとユウの喉はすぐさまヒッと引きつり、再びさらなる深淵なるパニックへと叩き落とされた。
((天界の秘薬……ッ!! ひと噛みで極限の疲弊を一瞬で吹き飛ばすほどの超高級プリンを、こんな僻地でタダで与えられるはずがないわァァァ!!! この極上の福利厚生のあとに、とんでもないノルマの過酷な業務を要求される前触れに決まってるわよォォォ!!!))
(おじ様からご褒美.……っ!甘未でほっぺが落ちちゃいそうです……)
おやつタイムだというのに, マオたちの顔面からは完全に血の気が引いて一人幸せのフィース。
「そうだそうだ。おやつも食べたことだし、大事なことを忘れないうちにね。みんな、これを受け取ってくれるかいぁ」
サトウは財布を取り出すと、ジャラジャラと重みのある硬貨の音を響かせ、マオたちの前に並べた。
「今まで忘れててごめんねぇ。これ、今までの分の労働日当だよ。マオくんとユウちゃんは3日働いてくれたから300ガルムずつね。フーちゃんは初日はカウントなしで2日働いたことになるから、200ガルムね! この僻地だと最低賃金レベルで本当に悪くてさぁ。ほら、市場に行っても100ガルムで固いパンが1枚買えるくらいだよねぇ。本当に悪いと思ってるよ」
サトウは、少し暗い顔でマオとユウに300ガルム、フィースに200ガルムを差し出した。コツコツと地道に溜め込んできたはずの現資産(1,920ガルム)から出した、正当な労働報酬である。合計800ガルムの支給だった。
だが、この僻地において、100ガルム=「固いパン1枚」という現実はあまりにも過酷なゲームバランス。そこで数日間、死に物狂いでこの家に仕えた結果が、固いパン数枚分のお給料。
((お給料が固いパン3枚分……ッ!! 完全に超低賃金ワンマン経営だわァァァ!!! フィースに至っては後輩だからってさらに100ガルムもケチられてパン2枚分よォォォ!!! 生かさず殺さず、極限の低予算で私たちを雇用して、このボロ屋敷に囲い込む気よォォォ!!!))
マオとユウの精神は、あまりのパニックで呼吸が過呼吸寸前になっていた。しかし、ここでもフィースの狂信精度が超絶駆動していた。
(あぁ……! 2日間の労働に対し、あえてパン2枚分という極限の試練をお与えになるなんて……! 先輩方より100ガルム少ないのは、私があとからの雇用で、おじ様への忠誠心の伸び代が誰よりも盛大に残されていることへの期待の現れに違いありません……! )
フィースだけは、渡された200ガルムを両手で宝物のように包み込み、うっとりと頬を染めていた。
「いやぁ、それにしてもさぁ……」
サトウは、自分の開いた財布のパカパカとした中身をのぞき込みながら、困ったように頭を掻いた。
「ハウジングの大量の資材をポチポチ買い込みすぎちゃってさ。リビングの家具に床とか地下のボイラーを全部DIYで作り直すための材料費だけで、みんなに日当を払ったら、もう残り【1,120ガルム】しかないんだよねぇ! ほら、僻地価格だから一瞬で数百ガルムも吹き飛んじゃうじゃない? だからさ、本当にパン11枚分しか残ってないんだよ!」
サトウは大真面目に財布の中身を大暴露する。材料費を計算せず無計画的にクラフトしたという無自覚な発言であり、今後の事について語っただけの感覚だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、魔王城の執事マオ、および勇者メイドのユウの脳裏に、未曾有の超巨大隕石が直撃した。
((そ、総資産が……パン11枚分……!? 組織が、この巨大組織が、明日にも完全に倒産(破産)するわァァァ!!! 調理場を作る資材のガルムすら考えずって、ボイラーの資材やリビングの机にソファで、ただの致命的な予算オーバーなのよォォォ!!!))
ガタガタガタガタと、二人の手足が激しく震え出し、二人の精神は崩壊寸前だった。
「だからさ!」
サトウはポンと手を叩き、この世で最も無邪気な笑顔で、明日への提案を口にした。
「明日から、みんなでダンジョンへ行って小遣い稼ぎをしようねぇ! そこでちょっと外貨を稼いで、お財布を潤さないとじゃないかぁ!」
おじさんにとっては「明日はみんなで初ダンジョンだ、楽しみだなぁ」という、ただの楽しいお出かけの誘いである。しかし、総資産がパン11枚分というギルドの倒産危機を突きつけられたマオとユウの脳内では、その言葉の輪郭が歪み、全く別の意味へと超絶変換されていった。
((ち、違う……! あれは小遣い稼ぎなんて生ぬるい誘いじゃないわ……ッ!! 財政破綻した組織を救うため、明日からのダンジョンで死ぬ気で外貨を稼ぎ、命を賭して財政を再建せよという――底知れない超越者からの、非情なる【作戦開始号令】ね……ッ!!! やらなければ、私たちは全員今後、給料未払いで路頭に迷う事になるのよォォォ!!!))
二人は涙目で覚悟を決めた。明日からのダンジョン、命を賭けて戦うしかないと、独自の超解釈で完全に納得したのである。その横で、フィースは一人で別の宇宙へと舞い上がっていた。
(おじ様とダンジョンデート……! 隠された大富豪の気高き野外演習……! あぁ、燃え盛る恋の熱量で、おじ様の行く手を阻むゴミ虫のような敵を、私の風と炎ですべて消し飛ばしてご覧に入れます……! 至福……!)
窓辺では、『禍眼の記録機』が、その全ての光景を静寂のまま、瞳孔を丸くしてじっと見つめていた。精度を高めたその怪しい瞳の縦スリットが、パチリと瞬きを挟むと同時に横一文字へと形を変え、さらに次の瞬きを境にして、怪しく輝くダイヤモンド・アイへと形状を固定させてしていく。その瞳であるレンズが、ピュアすぎるおじさんと、雇用人の命運をかけて覚悟を決めた3人の姿を克明に眺め続けていた。
ホワイトなのにブラックと、驚かれたと思いますが。ここからまだまだドタバタが続いての1章完へ行きますので楽しんでください。




