88.元祖壁は役に立たない
ピクニックに行った翌日、エレナは非常に窮地に陥っていた。
翌日に控えたシャルロット達とのヴェイロン領行きに向けて準備をしていると、使用人から昨日の事で母から話があると告げられたのだ。
最初は何の事かわからなかったので、素直に従い母の元を訪れた。母から殿下達を森に連れていき、サバイバルをした経緯を聞かれた瞬間気づけば母の部屋を飛び出していた。
「エレナー!!」
普段大声を出さない母の声を背に、令嬢らしからぬ足取りで廊下を走り、気づけば訓練場まで来ていた。
「父上ー!!」
「お?どうしたエレナ?自分から訓練場に来るなんて珍しいな!ようやく訓練する気になったか?」
騎士たちと打ち合わせをしている父を見つけると無我夢中で駆け寄った。
「どうした?!」
「父上!!まずい!!昨日の事母上にバレた!!」
「?!?!」
娘の血相を変えた訴えに、思い当たる節があるのかグレンの表情が一変した。
騒ぎを聞きつけてロイドとカイルが駆け寄ってくる。
「何を騒いでいるんだ?」
「父上ー? あれ? エレナどうした?」
事情を説明すると、ふたりの表情も一瞬で変わる。
「父上!匿って!」
「いや、その…母上にきちんと話をしてきたらどうだ?」
「そうだぞ、エレナ。母上に呼ばれたんだろ?ちゃんと話してこい」
「明日ここを立つんだろ?母上にもしばらく会えなくなるんだから、きちんと話をしといたほうがいいぞ?」
エレナの訴えも虚しく、自分たちのことは棚に上げて諭してくる父と兄二人を思いっきり睨みつける。しかし、三人はどこ吹く風とばかりに受け流し、平然と澄ましこんでいた。
頼りにならない父と兄たちに見切りをつけ、エレナは助けを求めて周囲へ視線を巡らせた。しかし、周囲の騎士たちは巻き込まれまいと少し離れた場所まで身を引いており、遠巻きに見守る姿勢を決め込んでいる。
絶望に打ちひしがれそうになったその瞬間、訓練場に入ってきたルシアンとカイの姿が目に入り、エレナの前に一筋の希望が広がる。
「ルー!!カイカーー」
二人の名を呼んだ直後、続いて訓練場へと現れた人物の姿を目にするやいなや、エレナは咄嗟に父と兄の背後へ身を潜めた。
ルシアンとカイのすぐ後ろから現れたその人物に、訓練場は一瞬で静まり返った。
「エレナ?出てきなさい」
たった一言。クラリスの低い声が訓練場に響き渡る。
怒鳴るでもなく、声を荒らげるでもない。どこまでも静かで低いその声に、エレナはもちろんのこと、あれほど余裕をかましていた父と兄までもが揃って背筋を凍らせた。
一方、名を呼ばれて振り返ったルシアンとカイは、訓練場の異様な気配に首をかしげた。
明日の最終確認に訪れたはずだったが、つい先刻まで活気に満ちていた場内は、水を打ったように静まり返っている。
二人の背後から掛けられたクラリス夫人の声は、静寂の中によく通り、その一言にグレンたち親子四人はまるで時が止まったかのように硬直していた。
「……ク…クラリス、訓練場に来るなんて珍しいな」
沈黙に耐えかねたグレンが、なんとか口を開く。しかし、その声は微妙に上ずっている。
「……いかがされました?」
「…父上が馬を手配して、兄貴が水場を教えて、俺は道具を用意なんてしてませんからね」
必死の思いでエレナに責任をなすりつけようとしたカイルの口から、余計な情報がこぼれ落ちる。
「……カイル、お前……ッ」
「余計なことを言うなバカ!!」
グレンとロイドが絶望的な顔でカイルを睨みつけたが、時すでに遅し。
クラリスの目の色がほんの僅かにだが変わるのがわかった。
「あら……? 私はエレナのことを探しにきただけで、まだ何も言っておりませんが随分と詳しそうですね?」
あ、と三人が同時に息を呑む。
「なるほど」
「「「………」」」
これ以上の保身は不可能だと察した父と兄は、申し訳程度のアイコンタクトを交わすと、一切の迷いなく背後に隠れていたエレナの肩を掴み、前へと押し出した。
「ほらエレナ! 母上がお呼びだぞ!」
「自分で話すって言ったろ!」
「しっかり話をしてこいよ!」
声なき悲鳴を上げながら前へと差し出されたエレナを、クラリスはどこか呆れたような視線で見る。
「エレナ、来なさい。部屋でゆっくり話ましょう」
そういうと、グレン、ロイド、カイルへとゆっくり視線を向ける。
「貴方たちは後でお話があります」
青ざめた顔で揃って頷く父と兄二人を横目に、悲痛な顔をしたエレナはクラリスによって自室へと連行されていったのだった。
◇ ◇ ◇
「――というわけで、いくら殿下方が乗り気だったとしても、危険な森へお連れするなど言語道断です!」
「はい、申し訳ありません……」
部屋へ連れ戻されてから、どれほどの時間が経っただろうか。
エレナの前で、クラリスの説教は留まることを知らなかった。
とはいえ、怒鳴り散らされるわけではなく、『なぜそれが危険なのか』『万が一があったらどうするのか』を理論的に諭されるため、エレナも反論の余地がなくただひたすら平身低頭するしかない。
たっぷりと時間をかけたお説教がようやく終わりを告げた頃、エレナはすっかり魂が口から抜け出しかけていた。
「明日からの移動もありますから、今日はここまでにします。……分かったら、しっかり反省して準備をしなさい」
「はい……お母様……」
ようやく解放の許可が下り、のろのろと部屋を後にする。
自業自得とはいえ、これから惨劇を迎えるであろう父たちに思いを馳せつつ廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。
「お前はいったい何をしているんだ?」
顔を上げると、そこにはルシアンとカイが立っていた。
たまたま通りかかったらしい二人は、壁に寄りかかるようにして歩くエレナの姿に、呆れたような視線を向けてくる。
そんな二人に対し、エレナはへらりと笑顔を向けた。
「ちょっと母上と話してた」
「先ほど、訓練場ではロイド殿たちの後ろに隠れてなかったか?」
「アカデミーとやってることは変わらないな」
「まあ、"元祖壁"だからね」
エレナの言葉に何とも言えない顔をした二人は揃ってため息を吐いた。
「俺たちを城壁扱いしていた理由が何となくわかった気がする」
「ルーたちは王都の人間でしょ?父上たちは辺境だから城壁というより要塞じゃない?」
上手いことを言ったと言わんばかりのエレナの言葉に、二人はまたしてもため息を吐くのだった。




