87.ピクニックとは?
「ヴェイロン領への出立は、予定どおりで問題なさそうだな」
ノワール邸の一室では、アレクシスたち四人が数日後に控えたヴェイロン領への視察について打ち合わせをしていた。
連日の訓練参加でアレクシスとルシアンの顔には疲労の色が濃く残っている。
対照的にカイはすこぶる元気で、セドリックは模擬戦以降、ヴェイロン領視察を名目に訓練を避けているので顔色もいい。
「ええ。先方にも日程は伝わっていますし、あとは当日の確認くらいですね」
セドリックが手元の書類を確認しながら答えると、アレクシスは頷いてルシアンとカイへ視線を向けた。
「ルシアンもカイも、出立までにもう一度準備したものを確認しておいてくれ」
「「承知した」」
一通りの確認を終えたところで、扉を叩く音がした。
「ごめん。ちょっといい?」
アレクシスが入室を許可すると、エレナがひょっこり顔を覗かせた。
「どうした?」
「シャルから聞いてると思うけど、私も殿下たちと一緒にヴェイロン領へ行くことになったから。よろしくね!」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
「それでさ、みんな明日って予定ある?」
突然の質問に、アレクシスはセドリックへ視線を向けた。
「明日は空いていたな?」
「特に予定はありませんよ」
「じゃあさ、みんなでピクニックに行かない?シャルたちも誘ってあるんだ!」
「ピクニックですか?」
「うん!せっかくみんな揃ってるし、出発する前に遊びに行こうよ!」
「それはいいな。私も帰還する前にもう一度ノワール領を見たいと思っていた」
アレクシスが頷くと、エレナは嬉しそうに笑った。
「じゃあ決まり!殿下達の明日の訓練の参加については私から父上に"参加しない"と伝えとくね!あ、明日は動きやすい格好で来てね!騎士団の訓練着じゃなくてもいいけど、あれくらい動きやすいやつ!」
「……ピクニックだろう?」
カイの問いに、エレナは当然のように頷く。
「そうだよ?じゃあ明日の朝ね!」
それだけ言い残し、エレナは部屋を出ていった。
「……随分張り切っていたな」
「出立前に皆さんと遊べるのが嬉しいんでしょうね」
「それにしても、何故服装を指定してきたのか…」
「まあ、外で過ごすならその方がいいだろう」
呆気にとられながら、アレクシスの言葉に特に異論もなく、四人は残っていた確認を済ませることにした。
◇ ◇ ◇
翌朝ーー
集合場所には、先にルシアンたち四人が揃っていた。全員がシャツやベストにズボン、ブーツという狩猟向きの私服姿である。
「おはよー!お待たせ!」
「おはようございます、殿下」
「みなさんおはようございます」
「おはよう。……ん?」
リリ、シャルロット、イザベラが順に集まり始め挨拶をする。アレクシスが何気なく返事を返し彼女達に視線を向けるとその服装に目を留めた。
ズボンを穿いていたのだ。シャツにベスト、ロングブーツという格好は男性陣と大きく変わらない。
「皆さん、今日は随分と動きやすそうですね」
セドリックが声をかけると、リリアナが自分の服を見下ろした。
「エレナに言われたからね!」
リリアナの言葉に他の二人も頷く。騎士団の訓練着を着た彼女たちの姿なら見たことがあるが、こうした私服姿は初めてだった。
「そう言えば、エレナは?」
「まだ来てなーー」
「お待たせー!!!」
遠くから聞こえた声に全員が一斉に振り返ると、騎士と共に五頭の馬を連れたエレナが現れた。
七人が呆気に取られているのも気に留めず、そのまま話を続ける。
「あれ?ルー、私とズボン同じ色じゃん!それにみんなもそれぞれ似た色だし、お揃いだね!」
エレナの言葉に、全員が互いの服装を見比べる。
エレナとルシアンはネイビー。
リリアナとカイはブラック。
シャルロットとアレクシスはカーキベージュ。イザベラとセドリックはモスグリーン。
偶然にも、四組ともズボンの色が揃っていた。
「本当だわ。すごい偶然ね」
「面白ーい!誰も相談してないのに!」
彼女たちが盛り上がる横で、ルシアンはエレナの姿を見ていた。普段のスカート姿とも訓練着とも違う格好は、新鮮だ。
「そういえば、なんで馬なんだ?」
「今日は馬に乗って移動しようと思って!殿下もルーも騎乗できるよね?」
アレクシスの質問に答えたエレナは、二人が頷くのを確認してから話を続ける。
「さすがに八頭も連れて行けないから誰か相乗りしてもらっていい??私は案内だから自分で乗っていくね」
一同は一斉に顔を見合わせた。いきなりの展開で誰もついて行けてないのだ。
「じゃぁ、そろそろ行こう!」
そう言うやいなやエレナはさっさと騎乗すると、楽しそうにみんなが準備するのを待っている。
「エレナ、今日はどこへ行くの?」
「着いてからのお楽しみ!行けばわかる!」
シャルロットの問いを笑顔で交わし、準備が整ったのを確認するとエレナは馬を走らせた。
◇ ◇ ◇
整備された街道を抜け、やがて周囲の景色は緑深く、木々の匂いが濃い原生林へと変わっていく。慌ててエレナの後を追ってきた七人は不安でいっぱいだった。
馬の速度が落ち、やがて緩やかな歩幅へと変わると、エレナの隣にアレクシスが馬を寄せ、同乗していたシャルロットが不安な声で尋ねてきた。
「……エレナ?もしかして、今日の行き先って……」
「森だよ!」
あまりにもあっさりした返事に、馬を寄せて話を聞いていた全員の表情が引きつった。
「連れて行きたいところがあって、ついでに探検しようかなって」
「探検?!面白そう!!」
リリアナは楽しい気な声を上げ、アレクシスやカイも興味津々だ。
対照的に、シャルロットとイザベラは顔を青ざめ、セドリックも引きつった笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
そのまま森の中まで行き、少し広くなっている場所で馬を下りると、しばらく歩くと言うエレナの後に一同は進み始めた。
足を進めるにつれて周囲の景色は一変し、道と呼ぶにはあまりにも程遠く、鬱蒼と生い茂る草木や苔むした岩、むき出しになった木の根が足元を遮る険しい獣道だった。
足場の悪さに、慣れない山道を進むシャルロットとイザベラは必死で、倒木を避け、滑りやすい斜面を登るたびに転ばないよう緊張した様子で後を追っていた。
その一方で、リリアナは楽し気にエレナと会話を弾ませ、ルシアンとアレクシスも興味深そうに周囲の珍しい植物や地形を観察しながら歩いている。カイは警戒しつつも、どこか探求心をくすぐられているようだった。
そして、森と聞いて顔を引き攣らせていたセドリックも王都では味わえない体験をいつの間にか楽しんでいた。
◇ ◇ ◇
「みんなー! あともう少しだよー!」
前方を歩くエレナの手招きに応え、険しい斜面を登り切ると、いっきに周囲の視界が広がった。
「――わあ……!」
シャルロットとイザベラの口から感嘆の吐息が漏れる。
たどり着いたのは、深い森の最奥にひっそりと佇む切り立った崖の上だった。
心地よい風が吹き抜け、汗ばんだ肌を優しく撫でる。
目の前に広がっていたのは、緑豊かな森と清流、そして遠方まで伸びる美しい街並み――ノワール領の全景を一望できる、圧倒的な絶景だった。
「どう? すごいでしょ! 帰る前にみんなにどうしても見せたかったんだ!」
エレナの言葉に、ここまでの道のりに苦戦していたシャルロットたちも、その疲れを一瞬で忘れたように目の前の絶景に見入っていた。
「街の帰り道もそうだったけど、小さい頃から訪れているけど、まだまだ知らない所があるのね」
しみじみと呟くシャルロットにリリアナとイザベラも頷く。
「…絶景だな」
「…ああ」
アレクシスの呟きに、ルシアンが頷いて同意した。横に並ぶカイとセドリックも声を出すのも忘れたかのように、眼前いっぱいに広がる景色を言葉もなく見入っている。
「連れてきてくれてありがとう。エレナ嬢」
アレクシスの言葉に満面の笑顔を見せたエレナだったが、次の瞬間、その口から飛び出した言葉に、その場の空気が一瞬で凍りついた。
「でね! 今日のお昼ご飯なんだけど、自分達で狩りしようと思ってる!」
「「「「「……はい?」」」」」
「「……」」
あまりにもあっけらかんとした言葉に、アレクシスたちの声が綺麗に重なる。
ルシアンとカイに至っては、完全に驚愕の表情で固まっていた。
「カイカイ血抜きってできる?」
「……ああ……まあ」
「ルーは?」
「……多少」
それからのエレナの行動は早かった。
呆気に取られてる面々を気にせず、とりあえず全員を下山させた後、水場に案内し、ルシアンとカイを連れて森に入っていく。
残された面々は、渡された道具を手に薪を拾い、火を起こし、誰もが想像していたピクニックではなく完全にサバイバルになっていた。
エレナたちが、捕らえた獲物を片手に戻ってくると、見事な手捌きで解体していきあっと言う間に食事の用意ができる。
香ばしく焼き上げられた肉は驚くほど柔らかく、作業を経たことも手伝って、誰もが言葉を忘れるほどの美味さだった。
「お腹いっぱい! やっぱり自分たちで調達したご飯は美味しいね!」
エレナの満足そうな笑顔に、苦労して火を起こした面々もなんとか穏やかな表情を取り戻しかけていた。
「森は暗くなるのが早いから、そろそろ帰ろうか」
片付けを終え、馬を繋いだ場所まで戻り各自が帰る準備を整える。
行きは単騎で来たカイの馬に、帰りはリリアナが同乗するようだ。
「帰りはちょっと遠回りして帰ろ」
エレナの言葉に馬を走らせた面々はまたしても、顔を引き攣らせる。
来た時とは違った道はもう自分たちがどこにいるのかもわからない。
セドリックは、ノワール領に来た時にグレン達の案内で行った視察を思い出し遠い目をした。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時、ようやくノワール邸へと帰り着いた頃には、濃い疲労の色が浮かんでいた。
シャルロットとイザベラは馬から下りるなり足がガクガクと震え互いに支え合い、リリアナも馬から下りた途端にぐったりしている。
セドリックもまた、手綱を握りしめていた手が痺れたように固まっている。
「今日は楽しかったねー! 王都に帰る前にみんなと遊べて嬉しかった! また行こうね!」
馬を下りて手を振るエレナの笑顔を見送りながら、アレクシスたち一同は疲労混じりの苦笑いを浮かべた。
「……さすがノワールだな」
誰からともなく漏れたその呟きに、全員が心から深く頷いたのだった。




