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9.城壁の正しい使い方

ーー昼下がりの本館



講義を終えたイザベラは、一人で次の教室へ向かっていた。

今日はエレナたちとは別の講義を受けている。本来なら、特に何事もなく移動するだけのはずだった。

だが、廊下の角を曲がったところで、イザベラは足を止めた。

少し先に、見覚えのある令嬢がいる。

悪い人ではない。社交的で表向きはとても愛想が良い。ただ――イザベラは少し苦手だった。

距離が近く、話が長い。そして一度捕まるとなかなか離してくれない。


(……引き返そう)


そう思った瞬間、令嬢がタイミングよく顔を上げた。


「あら、イザベラ様!」


……見つかった

イザベラは咄嗟に笑みを作った。


「ごきげんよう」


表面上はいつも通りに応じながら、内心では完全に逃げ道を探していた。


「ちょうどよかったですわ。先日の茶会のお話なのですけれど――」


始まった……

ドレス、話題の菓子店、誰と誰が親しいか。話題は途切れることなく続いていく。


断ろうにも「そうですわ、それで思い出したのですけれど」と次が始まり、どう切り出せば失礼にならないか考え込むうちに、イザベラは完全に逃げ場を失っていた。



そのとき、廊下の向こうから、三人の青年が歩いてくるのが見えた。

ルシアン、カイ、そしてセドリック。

背が高く、三人並んだその姿。

以前、自分たちがそう呼んでいた存在――『城壁』


「申し訳ありません。少し失礼します」


それだけ言うと、するりと令嬢の横を抜けた。


「イザベラ嬢?」


セドリックが気づくのと同時に、イザベラは三人との距離を詰め、何も説明せずにカイとルシアンの間ーーその少し後ろへとすっと入った。


数秒の沈黙ーー


「……何をしている」


「少しだけ」


ルシアンの問いに小さな声で答えるも、説明になっていない。

身長差もあり、前から見ればイザベラの姿はほとんど隠れていた。

セドリックが廊下の向こうから歩いてくる令嬢を見て、小さく笑う。


「なるほど。私たちは今、壁として使われていますね」


背後でイザベラが気まずそうに視線を逸らした。否定しないのが答えだった。


ーーそこへ令嬢が追いついてきた


「失礼いたします。イザベラ様を見かけませんでしたか?」


背後のイザベラがぴたりと固まる。

ルシアンとカイは一瞬だけ横目に見たが、セドリックは何事もないように穏やかに微笑んだ。


「いいえ。こちらではお見かけしていません」


三人の平然とした様子に疑いも抱かず、令嬢は礼をして去っていった。

足音が完全に遠ざかった頃、セドリックが振り向いた。


「もう大丈夫ですよ」


背後からそっと顔を出し、周囲を確認したイザベラは安堵する。


「……ありがとうございます」


隠れた事と逃げた理由をルシアンとカイに問われ、イザベラは視線を下げ説明した。


「……断ろうとすると、色々考えてしまって……」

「考えすぎだ」

「分かっています……」


セドリックは楽しそうに口元を抑えた。


「まさか本当に、私たちが城壁として使われる日が来るとは思いませんでした」

「……忘れてください」

「難しいですね」


珍しくむっとした顔をするイザベラを見て、セドリックはまた笑った。


そのときーー「ベラー!」


廊下の向こうから聞き慣れた声が響いた。

イザベラの肩が跳ねる。駆けてきたのは、エレナだった。


「探したよ! 次の講義、もうすぐ始まるんだから!」


息を少し切らせたエレナがイザベラを見つけ、そして男性陣とイザベラの位置関係に気づく。


「……あ」


イザベラは嫌そうに目を細めると、今度はスッとセドリックの後ろへ隠れた。


「……イザベラ嬢?」


セドリックの背後でさらに顔を隠すイザベラを見て、エレナはおかしくなったように笑った。


「どうせ、誰かに捕まって限界だったんでしょ?」

「笑わないで……」

「だって珍しいじゃん、外でそこまで隠れるの。……それにしても、ずいぶん立派な壁を見つけたね!」


イザベラがセドリックの後ろから気まずい空気を出しながら顔を出す。


「エレナまで言わないで……」

「大丈夫!最初から私たち『城壁』って呼んでたんだし」


ルシアンの鋭い視線が向き、エレナは即座に目を逸らした。


「あー、急がないと講義遅れる! ほらベラ、行くよ!」


エレナは強引に話題を打ち切ると、イザベラの腕を引っ張った、

セドリックが穏やかに声をかけた。


「お気をつけて」

「……助かりました。失礼します」


イザベラは恥ずかしそうに視線を逸らしながら小さく頭を下げ、エレナに引きずられるようにして去っていった。

セドリックはその背中を微かに笑みを浮かべて見送った。

幼なじみの前で見せた年相応な態度も、咄嗟に自分たちを頼ってきたことも、不思議と悪い気はしなかった。



ーーその日の夕方



男性四人が顔を合わせたとき、カイがぽつりと言った。

「今日は壁にされた」


アレクシスが眉を寄せる。


「何の話だ?」

「イザベラ嬢だ」


ルシアンの短い言葉を受け、セドリックが事の顛末を説明した。

聞き終えたアレクシスは、しばらく沈黙したのち、深くため息をついた。


「……最近、俺たちはあの四人に巻き込まれすぎていないか?」


誰も答えなかったし否定できなかったからだ。

少し間を置いて、セドリックが穏やかに笑う。


「まあ――退屈はしませんね」


その言葉に、ルシアンも、カイも、アレクシスも、否定はしなかった。

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