76.強制拉致
昨夜遅くにノワール領へ到着したイザベラは、いつも使っている自室で身支度を整えていた。
今日はセラとお茶会の約束がある。久しぶりに会うので話したいことも多く、少し早めに部屋を出ることにした。
「あ、ベラ!」
「ロイド兄様!久しぶり!」
「昨日着いたんだってな!長旅お疲れさん!」
「ありがとう。昨日は遅かったから、挨拶に行けなくてごめんね」
「そんなの気にするな!どうせ会うんだから!」
廊下に出たとたん声をかけてきたロイドにイザベラも笑顔を返した。
「今からどこか行くのか?」
「うん。セラ姉様と約束をしてるの」
「おお、そうか!じゃあちょうどいいな!」
「……え?」
何がちょうどいいのだろう。
「久しぶりだし、ちょっと身体でも動かすか!」
その言葉を聞いた瞬間、イザベラは嫌な予感がした。
「よし、行くぞ!」
「ちょっと待って!私、今からセラ姉様とお茶会なんだけど!?」
「大丈夫だ!セラには俺から言っておく!」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
慌てて後ずさるも、相手はロイドである。
逃げるより早く身体を抱え上げられ、気づけば肩に担がれていた。
「ちょっと!ロイド兄様!降ろして!」
「ははは!相変わらず元気だな!」
こうなったロイドが簡単に諦めるはずもないことは、幼い頃から嫌というほど知っている。
それでも何とか逃れる方法はないものかと考え、イザベラは思いついたように声を上げた。
「そもそも私、訓練服なんて持ってきてないから!」
さすがにドレスのまま訓練はできないので、これなら引き下がるだろうと思った考えは甘かった。
「安心しろ!ちゃんと用意してある!」
「……は?」
「ベラが来るって聞いてたからな!新しいのを準備させたぞ!」
安心もなにも、最初から訓練に参加させるつもりだったらしい。
イザベラの抗議も虚しく、ロイドは上機嫌で訓練場へと足を進めるのだった。
◇ ◇ ◇
ほぼ同じ頃、別館のテラスではリリアナがのんびりと紅茶を楽しんでいた。
ノワール領に到着したのは二日前。
今日は特に予定もないため、朝から読みかけの本を片手に、久しぶりの休暇を満喫していた。
「んー、やっぱりここ落ち着くなぁ」
椅子に深く腰掛け、庭を眺めながら紅茶を一口。何もしなくていい時間というのは、実に素晴らしい。
「おーい!リリ!」
そんな平和な時間をぶち壊すように、聞き覚えのある声が響いた。
「あ!カイル兄!久しぶりー!」
「おう!おかえり!ところで、今日は何か予定あるのか?」
「ないよー。今日はここでゆっくりするつもり!」
「そうか!じゃあ暇なんだな!」
「……え?」
声をかけてきたカイルの顔はものすごく笑顔だ。嫌な予感しかしない……。
「ちょうどいい!久しぶりに訓練場行くぞ!」
「やだ!」
「何でだよ!せっかく帰ってきたんだし、身体動かそうぜ!」
「やだってば!私、今日はゆっくりするの!」
「訓練終わってからゆっくりすればいいだろ!」
「そういうことじゃないの!」
リリアナは必死に椅子にしがみつくも、それより早くカイルが近づいてくる。
「あ、ちょっと待って!私、本当に行かないからね!」
「はいはい。行くぞー!」
「ちょっとぉ!!」
あっさり小脇に抱えられ、リリアナの足が地面から離れた。
「カイル兄様!降ろしてってば!」
「ははは!相変わらず元気だな!」
こうなったカイルはもう止められない。
「だいたい、私、訓練服持ってきてないもん!」
「おう!ちゃんと用意してるぞ!」
「……え?」
「リリが来るって聞いてたからな!」
「何で!?」
「そりゃ、訓練するためだろ!」
あまりにも当然のように返され、リリアナは言葉を失った。
どうやら最初から逃がすつもりはなかったらしい。
カイルの足取りは軽く、リリアナの抗議の声が庭に響いていた。
◇ ◇ ◇
一方、訓練場ではいつものようにカイがノワール兵たちと剣を交えていた。
少し離れた場所では、セドリックも木剣を手にしている。
ノワール領へ来てからさらに数日、相変わらず半日ほどは訓練場で過ごす生活が続いていた。
「セドリック殿!だいぶ動きがよくなりましたね!」
「……ありがとうございます」
兵士から褒められ、セドリックは何とも言えない顔で答える。
褒められるのは嬉しい。嬉しいのだが、そもそも自分は何をしにノワール領へ来たのだったかもはや謎である。
兵士達からの指導で木剣を構え直したところで、訓練場の入口から大きな声が聞こえてきた。
「おーい!追加で連れてきたぞー!」
「お!そっちも捕まえたのか!」
「ははは!ちょうどよかったな!」
声の方へ振り向くと、ロイドとカイルがそれぞれ誰かを担いで歩いてきていた。
「ロイド兄様!いい加減降ろしてってば!」
「カイル兄様!もう!本当に降ろして!!」
聞き覚えのある声に、セドリックは思わず二度見した。
少し離れた場所にいたカイも、手を止めて入口へ目を向ける。
「……イザベラ嬢?」
「……リリアナ?」
その声に、担がれていた二人も反応する。
「えっ!?セドリック様!?」
「あ!カイカイ!……って、ベラ!?」
「リリ!?あなたも捕まったの!?」
「ベラも!?」
どうやら二人とも、お互いが連れてこられていることは知らなかったらしい。
「「とにかく降ろして!!」」
ようやく地面に降ろされた二人は、服を整えながら揃ってロイドとカイルを睨む。
「私、セラ姉様とお茶会の約束があるんだけど!」
「私はテラスでゆっくりしてたのに!」
「まあまあ!ちょっと身体を動かすだけだって!」
「「よくない!!」」
セドリックは、目の前の光景をどう受け止めればいいのか分からずにいた。
二人がノワール領へ来ていることにも驚いたが、それ以上に、普段のアカデミーでは見たことのない姿である。
「……ところで、イザベラ嬢。いつこちらへ?」
近くに寄ってきたセドリックに、イザベラはいつもの穏やかな口調で答えた。
「昨夜遅くに到着しました。時間も遅かったので、ご挨拶は今日にしようと思っていたのですが……」
「……こうなってしまいました」
そう言ってロイドへ視線を向ける。
「……そうでしたか。リリアナ嬢も、昨日ですか?」
「私は二日前くらいかな?」
「……二日前?」
「うん!セドリック様たちにも挨拶しようと思ったんだけど、訓練場にいるって聞いたからやめたの!」
「……なぜです?」
「だって、訓練場に行ったら絶対こうなるもん!」
リリアナはそう言って、カイルを指さした。
「なのに、わざわざ迎えに来るんだもん!!」
「……なるほど」
セドリックは妙に納得してしまった。確かに、訓練場へ来れば半日は帰れなくなることを、身をもって知っている。
「よし!挨拶も済んだことだし、二人とも着替えてこい!」
「だから!まだ訓練するって言ってないでしょ!」
「訓練服も用意してあるんだから、着替えてこいって!ほら!リリも早く行くぞ!」
「いやー!!」
そんな二人の抗議も虚しく、ロイドに引きずられながら結局着替えに向かわされることとなった。
散々文句を言いながら去っていく二人を見送り、セドリックは隣に来たカイへ声をかける。
「……お二人も訓練に参加されるんでしょうか」
「……そうらしいな」
まさかの、リリアナとイザベラの登場に二人はしばらく訓練場の入口を眺めていたのだった。
◇ ◇ ◇
抵抗も虚しく家紋入りの訓練服に着替えさせられた二人は、不満を漏らしつつも指示通りに動き始める。二人の無駄のない立ち回りにカイが感心すると、セドリックも深く頷いた。
「よし、そろそろ木剣持ってこい!」
準備運動を終えたところで、ロイドが二人に木剣を渡した。
「えー……まだやるの?」
「まだ始まったばっかりだろ!」
木剣を持ったリリアナが綺麗な素振りを見せる一方、
「ん〜……やっぱりベラは剣術向いてないな!」
「「……え?」」
セドリックとカイの声が重なった。
今の動きで向いていないという評価になるのだろうか。
「よし、ベラ!木剣置いてこい!」
「……はぁ」
イザベラは言われた通り木剣を片付けると、今度はロイドの前に立たされる。
「……カイ。今の、剣術が向いていないという評価になるんですか?」
「……少なくとも、基礎は十分できていたと思うが」
二人が困惑している間にも、ロイドが構えを取り、イザベラも渋々組み手の構えを取ると、木剣を持っていた時よりも明らかに動きがよくなったのがわかった。
時折、相手の腕を取ろうとする動きも見せるが、ロイドにはあっさり対処されている。
「お!やっぱりこっちだな!」
楽しそうなロイドとは対照的に、イザベラは終始不服そうだ。
「……イザベラ嬢は、体術の方が得意なんですね」
セドリックが感心したように呟くと、カイも頷いた。
一方、リリアナの方では、カイルが素振りを終えた彼女に足運びを確認させていた。
「リリ、もう少し踏み込めるだろ!」
「これ以上!?」
「よし、じゃあ次は俺が相手するか!」
「えー!!」
こちらも相変わらず不満そうだったが、カイルの動きに合わせて素早く動き、無理に受けずに攻撃をかわしている。
セドリックは、アカデミーでのイザベラを思い出していた。
普段は穏やかで、どちらかといえば控えめな令嬢である。
そんな彼女が今、ロイドを相手に組み手をしながら、遠慮なく文句を言っているのだ。
「ロイド兄様!もう十分でしょ!」
「まだまだいけるだろ!」
「私がお茶会に行きたいって言ってるの、聞こえてる!?」
……随分と印象が違う。
◇ ◇ ◇
休憩に入り、二人は椅子に崩れ落ちるように腰掛けた。
「お疲れさまです。昔から鍛えられていたのですか?」
「小さい頃からです。体は覚えてますけど、もうやりたくはなくて……」
労うセドリックにイザベラが苦笑し、リリアナも「普通に動かすだけでいいのに!」と同意する。
連日捕まっているセドリックが「お気持ちはよく分かります」と同情したのも束の間、容赦のない声が飛んできた。
「ベラ! リリ! 続きやるぞー!」
「セドリック殿も休憩終わりだ!」
抗議する二人を見送り、セドリックも腹を括って木剣を握り直す。
どうやらノワール家では、令嬢であろうと王太子の側近であろうと、訓練場へ連れてこられた時点で逃げ道はないらしい。
背後から響く悲鳴交じりの文句を聞きながら、セドリックは、改めて思った。
――やはり、この家は少々おかしい。




