75.こんなはずでは…
*セドリック視点です。
長めです。
ノワール辺境伯邸の門をくぐると、広い敷地の奥に堂々とした本邸が建っていた。周囲には手入れの行き届いた庭園が広がり、建物も王都の公爵邸に引けを取らないほど立派な造りをしている。
エレナに案内されて馬車を降りたセドリックと、馬から降りたカイは、出迎えに来ていた使用人に荷物を預け、そのまま屋敷の中へと通された。
「父上たちにはもう連絡が行ってるから、たぶん待ってると思うよ。さっき聞いたら母上も一緒にいるって言ってた」
「辺境伯閣下たちに捕まる前にとおっしゃってましたから、それなら安心ですね」
そんな話をしているうちに、エレナが応接室の扉を開ける。
「ただいまー!二人とも無事に到着したよ!」
室内には、以前王都で顔を合わせたロイドとカイルのほかに、両親と思われる男女が揃っていた。
「おお!よく来てくれたな!」
真っ先に立ち上がったのは、長身でがっしりとした体格の男性だった。短く整えられた金髪に髭を蓄えた姿は、ロイドとよく似ている。
「初めまして。セドリック・エルメスと申します。この度は長期にわたりお世話になります」
「カイ・レーヴェンです。お招きいただき感謝いたします」
二人が挨拶すると、男性は豪快に笑った。
「おお!話は聞いているぞ!俺はグレン・ノワールだ!エレナの友人なら遠慮はいらん、ゆっくりしていってくれ!」
「ありがとうございます」
「お言葉に甘えさせていただきます」
「お久しぶりです、セドリック殿、カイ殿」
「王都ではどうも!長旅お疲れさまでした!」
続いてロイドとカイルも挨拶を交わす。
王都で会った時とは違い、二人とも落ち着いた振る舞いをしていた。
「こちらこそ、改めてお招きいただきありがとうございます」
「ロイド殿、カイル殿。またお会いできて嬉しく思います」
「ああ。俺たちも楽しみにしていたんだ」
「せっかくだから、ゆっくりしていってくださいね!」
二人の歓迎を受けたところで、グレンが隣にいた女性へと手を向ける。
「こちらは妻のクラリスだ」
紹介された女性を見て、セドリックとカイは少し意外に思った。
グレンの隣に立つ夫人は、彼と比べると随分と小柄だ。銀色の髪を上品にまとめ、整った顔立ちに穏やかな表情。エレナやロイドたちの母親というより、エレナの姉だと言われても納得してしまいそうなほど若々しく見える。
「初めまして。クラリス・ノワールです。遠いところをよくいらしてくださいました」
「「…………(声、低っ!!)」」
セドリックとカイは、思わず同じことを考えた。見た目から想像していた声とはあまりにも違う、落ち着いた低音のハスキーボイスだった。
「長旅でお疲れでしょう。お部屋も用意してありますから、まずはゆっくりなさってくださいね」
「……ありがとうございます。クラリス夫人」
「お心遣い、感謝いたします」
何とか平静を保って挨拶を返したものの、二人とも内心ではまだ驚いていた。ただ、クラリスの声にはどこか耳に馴染む響きがあり、セドリックはその理由に気づいた。
「ああ……」
「どうした?」
「いえ、エレナ嬢の声はお母様譲りなんですね」
確かに、エレナの少しハスキーな声は似ているとカイも頷く。ただし母親の方がずっと低い。
「何?私の声がどうかした?」
「いえ、お母様によく似ていらっしゃると思いまして」
「ああ、声?よく言われるよ。姉も似てるし」
「そうなんですね」
二人の会話が聞こえたらしく、エレナが不思議そうな顔をするも、本人にとっては気にした事もなかったらしい。
「そうだ、セラは今どこにいるんだ?」
「少し用事を頼んでいるの。あとで挨拶に来るわ」
「そうか。まあ、他の家族は夕食の時にでも紹介するとしよう!」
クラリスの言葉に納得すると、グレンは二人に席を勧めた。
使用人によってお茶が運ばれ、王都からの道中やアカデミーでの生活について話が弾む。
グレンは見た目こそ威圧感があるものの、話してみると気さくな人だった。ロイドとカイルも客人への気遣いを忘れず、クラリスは終始穏やかに話を聞いている。
途中、グレンがカイに剣術の話を振ろうとしたものの、
「あなた」
とクラリスに呼ばれ、
「ああ、そうだったな!その話はまた今度にしよう!」
と、すぐに別の話題へ移る。
その様子を見て、セドリックは道中でエレナから聞いた話を思い出していた。
どうやら、クラリス夫人の言うことはきちんと聞くというのが、この家では徹底されているらしい。
「カイ殿もセドリック殿も、何か不自由があれば遠慮なく言ってくれ。ここにいる間は自分の家だと思って過ごしてくれればいい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「よろしくお願いいたします」
グレンの言葉に、二人も揃って頭を下げた。
格式ある名門貴族でありながら、気さくで温かい家族。自分たちへの対応も申し分ない。両親から何度も念押しされたクラリス夫人も、物腰の柔らかな素晴らしい女性だった。
その後、用意された客室へ案内されながら、セドリックは今回の滞在が思っていた以上に快適なものになりそうだと感じていた。
――少なくとも、その時はそう思っていた
◇ ◇ ◇
数日後――
セドリックは、ノワール家というものを少々甘く見ていた。
「セドリック殿!今日もいい天気だな!」
「……おはようございます、辺境伯閣下」
「今日は午前中に少し時間があるだろう?」
「ええ、午後からは領内の施設を確認する予定ですが……」
「ならちょうどいい!午前中は訓練場に来るといい!」
(……またか)
セドリックは心の中で呟いた。
ノワール領へ到着してからというもの、なぜか毎日、午前か午後のどちらかは訓練場へ連れていかれている。
最初は単に見学するだけだった。ところが、カイが訓練に参加している横で大人しく見ていると、ロイドから軽く身体を動かさないかと誘われ、次はカイルに木剣を渡され、その次にはグレンから指導を受けていた。
セドリックは一般科の学生であり、王立騎士団の人間ではない。
もちろん貴族として必要な剣術や乗馬の心得はあるし、身体を動かすのが苦手というわけでもない。しかし、ノワール家の人間たちが考える『軽い運動』は、どうやら一般的な基準とは随分違うらしい。
「……あの、閣下」
「何だ?」
「私は騎士科ではありませんので、皆さんの訓練にはついていけないかと」
「何を言ってる!別に騎士科じゃなくても身体は鍛えられるだろう?」
「それはそうですが……」
「大丈夫だ!無理のない範囲でやればいい!」
この数日で、セドリックはその言葉を何度も聞いていた。そして、そのたびに自分の考える『無理のない範囲』と、彼らの考えるそれには大きな隔たりがあることを思い知らされていた。
「お、セドリック殿!今から訓練場か?ならば一緒に行こう!」
訓練場に行く気がなくても何故か廊下にロイドかカイルが待っているため、そのまま連れて行かれる。
「昨日より少し動けるようになってきたんじゃないか?」
「そうそう。最初に比べたら随分いい感じですよ」
「……ありがとうございます」
褒められていることは分かる。ただ、なぜ自分が毎日訓練に参加させられるのか、未だによく分からなかった。
一方、少し離れたところではカイがノワール兵を相手に剣を交えている。
「カイ殿!今日もいい動きだな!」
「ありがとうございます!」
「よし、次は俺が相手だ!」
「お願いします!」
到着初日からすっかり訓練場に馴染んでいて、ロイドとの手合わせもすでに終えておりそれ以来、カイルやグレンも交えて随分と充実した日々を送っているようだった。こちらの苦労など知る由もない。
「セドリック殿、今日も少し体力づくりをしてから剣を持つか!」
「……はい」
何となく断りづらいまま返事をしてしまう自分にも、そろそろ問題があるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
もっとも、セドリックもただ訓練に参加するためだけにノワール領へ来たわけではない。
アレクシスに先立って領内の状況を確認し、王都へ報告を送るという役目がある。そのため、滞在中は屋敷で話を聞くだけでなく、実際に領内の施設や街道の様子も確認するつもりだった。
ある日、セドリックはそのことをグレンへ相談してみた。
「辺境伯閣下、本日は領内の視察をさせていただきたいのですが」
「おお!もちろん構わんぞ!どの辺りを見たいんだ?」
「まずは街道や周辺の施設を確認できればと思っています。案内していただける方がいらっしゃれば助かるのですが」
「なるほど。なら俺が案内しよう!」
「……閣下が、ですか?」
「ああ!ちょうど見ておきたい場所もあるしな。ところでセドリック殿、騎乗はできるか?」
「ええ、一応は……」
「そうか!なら話が早い!」
何が早いのだろう。
そう思った時には、グレンは近くにいたロイドとカイルへ声をかけていた。
「おい、セドリック殿が領内を見て回りたいそうだ!」
「視察ですか?それなら俺も行きますよ」
「じゃあ俺も!」
「よし!馬の準備だな!」
「……あの、閣下?」
「何だ?馬の方がいいだろう!この辺りは馬で回った方が便利だからな!」
確かに、それは間違っていない。
街道から外れた場所や軍の施設など、馬車より騎馬の方が移動しやすい場所もあるだろう。ただ、セドリックが想定していた視察は、馬に乗って三人の武人について回るようなものではない。
「セドリック殿、乗る馬はこっちで用意しておきますよ!」
「装備もあるから大丈夫!」
「今日は少し遠いところまで案内してやろう!」
あれよあれよという間に話がまとまり、気づけばセドリックはいつもの訓練服に着替えさせられていた。
「……セドリック様?」
馬の準備が進められているところへ、ちょうど通りかかったエレナが声をかけてきた。
「何してるの?」
「領内の視察をお願いしたところ、辺境伯閣下が直々に案内してくださるそうでして……」
「……父上が?」
「ええ。ロイド殿とカイル殿もご一緒してくださるそうです」
エレナは、馬の準備をしている三人を見る。
「あー……」
「どうしました?」
「いや、何でもないけど……馬車じゃないんだ?」
「そのつもりだったのですが、騎馬の方が便利だそうで」
エレナは少し考えてから、セドリックに尋ねる。
「セドリック様、乗馬は得意?」
「普通には乗れますよ」
「……普通かぁ」
何やら不穏なことを言っている気がする……
「おい!エレナ、何してる!一緒に行くか?」
「あ、父上」
「セドリック殿の準備ができたら出発する!」
「私は行かない。気をつけて行ってきてね」
「ああ!」
「……セドリック様、くれぐれも頑張ってね」
「……ありがとうございます?」
なぜ応援されたのか、その理由を理解したのは、出発してしばらくしてからだった。
◇ ◇ ◇
「セドリック殿!大丈夫か!」
前方からグレンの声が飛んできた。
「……はい!何とか!」
すでに何度目かも分からない問いかけに、セドリックは馬上から答えた。
最初こそ整備された街道を進んでいた一行だったが、途中から脇道へ入り、起伏の多い道を抜け、今は山沿いの道を進んでいる。
グレンとロイド、カイルは慣れた様子で馬を操り、道中で見かけた施設や周辺の地形について説明してくれていた。
説明そのものは非常に分かりやすく、軍事的な観点から見ても学ぶことが多い。
問題は、その移動方法だった。
「この先に見晴らしのいい場所があるんだ!そこまで行こう!」
「少し登りますけど、馬なら問題ないですよ!」
「セドリック殿もついて来られてるし、大丈夫だろ!」
……大問題である。
騎乗ができることと、軍人たちの移動についていけることは別だ。
セドリックも馬の扱いには慣れているつもりだったが、彼らは当然のように坂道や細い道を進み、少し開けた場所に出れば馬の速度を上げる。
それでも、こちらの様子を確認しながら進んでくれるあたり、決して無茶をさせているつもりはないのだろうが、その基準が違いすぎる。
「いやあ、セドリック殿もなかなか乗れるじゃないか!」
「これなら次はもう少し奥まで行けますね!」
「今度はカイ殿も連れてくるか!」
楽しそうに話す三人を見て、セドリックは何とも言えない気持ちになっていた。
当初の目的だった視察については、確かに成果があった。
街道の整備状況も確認できたし、軍の施設も案内してもらった。領地の防衛体制についても、直接グレンから話を聞くことができた。
報告書に記載する情報としては申し分ない。
ただし、ここまで身体を酷使する予定はなかった。
「セドリック殿!次はあちらの施設も案内しよう!」
「……はい!」
◇ ◇ ◇
その日の夕食後、客室へ戻ったセドリックは、机に向かい、椅子に腰掛けたまましばらく動けずにいた。
連日の訓練に加えて、今日の騎馬での視察である。身体のあちこちが痛い。
それでも、王都へ送る報告書をまとめなければならない。
深く息を吐くと、今日確認した内容を書き出していく。街道、軍の配置、施設の管理状況。どれもよく整備されており、ノワール辺境伯家が国境防衛を担っている理由がよく分かった。
領主としてのグレンは非常に優秀だった。ロイドとカイルも、仕事に関しては驚くほど的確で、部下からの信頼も厚い。
問題は、その優秀な三人が揃って何かを思いつくと、なぜか周囲まで巻き込まれることである。どういうわけかセドリックも、その巻き込まれる側に入ってしまっていた。
「……私は、視察に来たはずなんですけどね」
思わず独り言が漏れた。
カイは今日も訓練場で大いに身体を動かし、夕食の席でもロイドたちと楽しそうに剣術の話をしていた。
同じ日に到着したはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。
セドリックは報告書へ視線を戻した。
もっとも、こうして実際に領内を回り、ノワール家の人々と接することで分かったことも多い。彼らは決して考えなしに行動しているわけではなく、領地や軍のこととなれば誰よりも真剣だった。
ただ、それ以外の時間まで少々元気すぎるのである。
「……父上」
出発前に聞いた父の忠告を思い出す。
ノワール夫人にはくれぐれも失礼のないように。
今なら、なぜあれほど念を押されたのか少し分かる気がした。
クラリス夫人がいなければ、この家は一体どうなってしまうのだろう。
(……それを考えるのはやめておこう)
とりあえず、明日は午前中に報告書を仕上げて、午後は少し休ませてもらおう。
そう決めたところで、扉の向こうから聞き慣れた声がする。
「セドリック殿ー!明日の予定は決まってるかー!」
……どうやら、明日も休めそうにないらしい。
セドリックは机の上に置いた報告書を眺めながら、深いため息をついた。
――到着した時の快適に過ごせると思った自分を殴りたい。
先行視察は順調に進んでいたが、セドリックの長期休暇は、本人が思い描いていたものとは随分違う方向へ進み始めていた。




