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71.閑話:公爵家の執務室


アレクシスから正式にノワール領行きの許可が下りたと聞いたその日の夜、ルシアンは夕食を終えた後、父ヴィルヘルムの執務室を訪れていた。


「父上。少しお時間をいただけますか?」

「構わん。どうした?」

「長期休暇中、殿下の護衛としてノワール辺境伯領へ同行することになりました」


執務机で書類に目を通していたヴィルヘルムは顔を上げるとともに手を止めた。


「……ノワール領?」

「はい。殿下が正式な視察として赴く許可を得たそうです」

「殿下の視察であれば、私に許可を求める必要はないだろう」

「許可をいただきに来たわけではありません。長期休暇中、しばらく王都を離れることになりますので、その報告です」

「そうか」


ヴィルヘルムは手にしていた書類を机へ置き何か考えるように僅かに目を細めた。


「しかし、何故ノワール領へ行くことになった?」

「先日、王太子殿下の護衛としてヴェイロン公爵家のタウンハウスを訪れた際、ロイド殿と顔を合わせる機会があり、その時に長期休暇中ノワール領へ来ないかと誘いを――」

「……待て。今、ヴェイロン公爵家のタウンハウスと言ったな?」

「はい」

「何故、お前が王太子殿下と共にヴェイロン公爵家へ行っている?」


突然話を遮った父に、ルシアンは、アカデミーでエレナたち四人と知り合い交流するようになったこと。以前エレナとシャルロットが模擬戦をしているところを見かけ、その流れで休日に改めて手合わせをすることになり招かれたこと。そして、訪れて初めてそこがヴェイロン公爵家のタウンハウスであり、四人が共に暮らしていることを知ったと、一通り説明した。


「随分と親しくなったものだな」

「そうでしょうか」

「そうだろう」


ヴィルヘルムが呆れたように呟くと、ルシアンは僅かに目を瞬かせた。


「それで、その場にロイドがいたのか?」

「後からカイル殿と共に訪ねてきました」

「……なるほど。それでロイドからノワール領へ誘われたと」


そこでようやく、父は理解したのか先ほどの話へ戻る。


「父上は、ロイド殿のことをよくご存じなのですか?」

「……まあな。ロイド自身も昔から知っている。あの家とは長い付き合いだ」

「あの家とは?」

「現ノワール辺境伯のグレンとは、学園の頃から顔を合わせている」

「……親しいのですか?」

「親しい、というほど穏やかな付き合いでもないがな」


何気なく尋ねた言葉に、ヴィルヘルムは僅かに視線を逸らした。普段ほとんど感情を表に出さない父には珍しく、あからさまに苦々しい顔をしている。


「……名前で呼ぶほど親しいのでは?」

「だから、親しいというほど穏やかな付き合いではないと言っている」


余計に分からなくなった。


「殿下のほかに、誰がノワール領へ向かう?」

「先行でカイとセドリックが。後から殿下と私が向かいます」

「……他に同行する者はいるのか?」

「同行ではないですが、エレナ嬢以外の三人も、それぞれ領地へ戻った後にノワール領へ向かう予定です」

「……あいつらの娘まで揃うのか」


ぽつりと漏らしたヴィルヘルムは、また何とも言えない表情を浮かべた。どう見ても何かある。


「グレンとヴェイロン、それにリュシェールとベルモンドは昔から付き合いがある。あの四人が揃うと、昔から碌なことにならん」

「……そうなのですか?」

「ああ……。昔、王立騎士団との合同訓練にグレンが来たことがある。その時、辺境で使っているという発破用の火薬壺を持ってきた」


苦々しい顔をして話す父の言葉を、ルシアンは黙って続きを待った。


「ただし、普通の火薬壺ではなかった。大型化して、遠くへ飛ばせるように改造されていた」

「……飛ばす?」

「ああ」


ヴィルヘルムの表情が更に険しくなる。


「王都では誰も見たことのない代物だった。グレンは『発破用の火薬壺を少し改造しただけだ』と言っていたがな。それで、あいつは訓練場の壁に穴を開けた」

「……事故ですか?」

「試した結果だ」

「……」

「しかも後から聞けば、あれを作るのにヴェイロン、リュシェール、ベルモンドまで関わっていた。資材を用意した者、構造を考えた者、運用方法を提案した者。それぞれ役割まであったらしい」


ヴィルヘルムが苦々しく思い出しながら、深い溜息を吐く。

あまりの出来事に声もでないルシアンだったが何となく、先ほどの「あいつらの娘まで揃うのか」という言葉の意味が分かった気がした。


「だから、行くならくれぐれも気をつけろ。誰かが『面白そうだ』と言い出したら、絶対に話に乗るな。ロイドもカイルも、あの男によく似ている」

「エレナ嬢もですか?」

「お前の方がよく知っているだろう」


ルシアンは少しだけ考えた。

これまでのエレナの言動を思い返す。

木に登り、軍略盤では講義を忘れ、騎士科の訓練にも嬉々として参加していた。


「……否定はできません」

「だろう」


ヴィルヘルムは小さく息を吐いた。


「ただし、あの家でクラリス夫人だけは別だ。グレンもロイドもカイルも、夫人の言うことはきちんと聞く。おそらくエレナ嬢もな」

「父上も、クラリス夫人とは昔からの付き合いが?」

「グレンと付き合いがあれば当然顔を合わせる」


言い方こそ淡々としているが、先ほどまでとは明らかに声音が違った。


「非常に立派な方だ。あの家が今まで大きく道を外さずに済んでいるのは、夫人の存在が大きい。ノワール領へ行くなら、夫人にはくれぐれも失礼のないようにしろ。それから、夫人に何か言われたら素直に従え」

「承知しました」

「それと『面白そうだ』には絶対乗るな」

「先ほども聞きました」

「大事なことだから二度言った」


真顔で繰り返す父に、ルシアンは小さく眉を上げた。


「……父上は、何度ほど話に乗ったのですか?」


一瞬、沈黙が落ちた。

ヴィルヘルムの表情が再びゆっくりと険しくなる。


「聞くなと言ったはずだ」

「……承知しました」


それ以上聞くのはやめた。ただ、普段ほとんど昔話をしない父がここまで念を押す以上、ノワール家との間に相当な思い出があることだけは確かだった。


「では、失礼します」


ルシアンが執務室を後にすると残されたヴィルヘルムは、しばらくその扉を見つめた後、うんざりしたように眉間を押さえた。


「……グレンのところへ行くのか」


ぽつりと溢れた呟きは、重い溜息と共に静かな部屋へと溶けていった。


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