63.渡り廊下にて
図書室へ向かう途中、セドリックは廊下の先から歩いてくるイザベラに気づいた。
「セドリック様」
「イザベラ嬢。これから図書室ですか?」
「はい、少し調べたいものがありまして」
「私もです。ご一緒しましょう」
行き先が同じだと分かり、ふたりは自然と並んで歩き出す。
「そういえば、先日のお茶会ではありがとうございました。セドリック様が何かと話を繋いでくださって……本当に助かりました」
「いえ、私は大したことはしていませんよ。お役に立てたなら良かったです」
出会ったばかりの頃なら、イザベラの方からこうして話題を振ってくること自体が珍しかった。何か尋ねても少し考えてから答え、会話が途切れても自分から続けようとはしなかったものだ。それが今では、勉強で分からないところがあれば尋ねに来るし、困った時には素直に頼ってくれる。
自分に慣れてくれたのだと思えば、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「そういえば、ルーチェは元気だそうですね」
「ええ。先日ルシアンから聞きましたが、かなり懐いているようです」
「……ルシアン様にですか? 少し意外です」
「私も最初はそう思いました。ですが、名前は結局エレナ嬢がつけたものをそのまま使っているようですね」
「カイ様のところも、ビーツという名になったと聞きましたわ。リリがとても喜んでいました」
「あちらは、名前をつけた本人の方の喜びようが目に見えるようですね」
「ふふ、確かに」
他愛のない会話を交わしながら、本館から図書室へ続く渡り廊下へ差しかかる。
片側が中庭に面したその廊下には、大きな木が何本か並んで立っていた。
そのうちの一本の枝が、不意に揺れる。
――ぼとり
「っ……!」
短い悲鳴と同時に、イザベラのすぐ足元へ細長い影が落ちてきた。
蛇だとわかった瞬間、イザベラは反射的にセドリックの胸元へ飛び込んでいた。
「……イザベラ嬢?」
予期せぬ衝撃に、今度はセドリックが硬直する。
イザベラは顔を伏せたまま、両手でセドリックの上着を必死に掴んでいた。
「……蛇、ですか?苦手なのですか?」
「……はい……無理です」
絞り出すような声は、いつもの穏やかな響きとはまるで違う。
やがて蛇が中庭の植え込みへ去っていくのを確認し、セドリックはそっと声をかけた。
「もういませんよ」
「……本当ですか?」
恐る恐る顔を上げたイザベラは、自分がセドリックにしがみついたままだと気づいた瞬間、さっと顔を赤くし慌てて飛びのいた。
「申し訳ありません! 驚いてしまって……っ」
「大丈夫ですよ。……そういえば以前も、玩具の蛇に随分と驚かれていましたね」
「……覚えていらしたのですか」
「ええ。あの後、エレナ嬢たちを凄まじい勢いで追いかけていましたから」
「……ふたりが面白がって何度もからかってくるからです。当然です」
あの時は腹を立てているのだと思っていたが、どうやら本当に怖かったらしい。
気まずそうに視線を落としたイザベラは、ぽつりと呟いた。
「……昔から駄目なんです。弟が、捕まえた蛇や蛙を笑いながら近くまで持ってきて追いかけてくるもので……」
幼いイザベラを蛇を持って追いかけ回す弟の姿が目に浮かび、セドリックの口元が緩む。
「……今、笑いましたか?」
「いいえ、笑っていません」
「……そういうことにしておきます」
納得いかない様子で唇を尖らせつつも、イザベラは渡り廊下の木々をまだどこか気にしている様子だった。セドリックは何も言わず、さりげなく自分が中庭側に位置を変えて歩く。
階段を上がりきったところで、セドリックは上着の袖が僅かに引っ張られていることに気づいた。
見下ろすと、イザベラが小さく袖口を摘んでいる。本人は無意識のようなのでセドリックはそのまま何も言わず、図書室へと歩を進める。
目的の棚の前に行き、イザベラが手を伸ばしたところで――ようやく自分の指先に気づいた。
「……あ」
「……ずっと掴んでいらっしゃいましたね」
「言ってください……っ! だからって、どうして黙って……」
「とても怖がっていらしたので」
耳まで赤くしたイザベラは、慌てて手を離した。
「本当にすみません……あ」
「どうかしましたか?」
「……何を探しに来たのか、忘れてしまいました」
「完全に蛇に持っていかれましたね」
「……セドリック様。今日は少し意地悪ではありませんか?」
「そうでしょうか」
じっと睨むような視線を向けたあと、イザベラは小さく息を吐いて目的の棚を探し始めた。
その背中を見送りながら、セドリックはこれまでの出来事を思い出していた。
猫を可愛がっていた時にも普段とは違う顔を見た。あの時も愛らしいと思ったが、驚いて胸元へ飛び込んできた時の思いがけない近さも、袖口を小さく掴んでいた指先も、思い出すと妙に意識してしまう。
「セドリック様?」
前を行くイザベラが振り返る。
「この資料なのですが、少し見ていただけますか?」
「ええ、今行きます」
以前なら、こんなふうに当たり前のように頼ってくれることもなかった。その変化が嬉しいと思っている自分には、もうとっくに気づいている。
図書室の中では、イザベラはいつもの落ち着いた様子に戻っていたが、セドリックの方はそう簡単には戻れそうになかった。




