62.変顔したら追いかけられた
エレナとシャルロットが本館へ続く廊下を歩いていると、少し先から聞き覚えのある声が響いてきた。
「……また囲まれてる」
足を止めたエレナにつられて、シャルロットも止まる。
廊下の端には十人近い令嬢が集まり、その中心にアレクシスとルシアンがいた。王太子であるアレクシスは声をかけてくる令嬢たちへ普段通り卒なく応じているが、その隣に立つルシアンは必要な返事をするだけで、愛想を振りまく気など微塵もなさそうだ。
以前と違って二人ともきちんと廊下の端に寄っているが、それでも周囲の令嬢より頭一つ以上高い二人が並べば人の流れを遮るには十分な存在感がある。
「流石、壁として優秀」
「まだ壁って言ってるの?」
二人は少し離れた場所からその様子を眺めた。
「……でも、ルシアン様って本当に愛想ないわよね」
「シャル、それ本人に聞こえるって」
「毎回あれだけ囲まれているんだから、殿下を少しくらい見習えばいいのに」
――ゴスッ。
「痛っ!?」
今度はエレナの肘がシャルロットの脇腹に入った。
「余計なこと言わないの! 私だって流石に学習してるんだから!」
「まさかあなたに止められる日が来るとは思わなかったわ」
「今まで何回シャルにどつかれたと思ってるの。私だって学ぶよ」
そう言ったところまではよかった。
再び二人を見る。
令嬢たちへ穏やかに応じるアレクシスの横で、ルシアンはやはりほとんど表情が変わらない。
「……でも確かに、ルーが笑ってるところって見たことないかも」
「エレナ?」
「殿下は外だと普通に笑うじゃん。でもルーっていつ見てもあの顔だよね」
「ついさっき学習したって言ってなかった?」
「シャル、ルーが笑ってるところ見たことある?」
「……ないけど」
「見てみたくない?」
「そりゃ少しは……って、エレナ?」
エレナはルシアンから見える位置へ少し身体をずらした。
「よし!ルー笑わせてみよう!」
「ちょっと!そこまではやめなさい!」
「シャルも見てみたいって言ったじゃん」
「だからって何をするつもりなのよ?!」
答える代わりに、エレナは両手で自分の頬を挟んだ。そのままむぎゅっと押し潰し、ルシアンの方を向く。
「ちょっと!」
当然、ルシアンは笑わない。
ならばと今度は頬を横へ引っ張る。
「エレナ、やめなさいって言ってるでしょう!」
――ゴスッ。
「痛っ!」
数分前とは真逆に、今度はシャルロットの肘がエレナへ入った。
「ついさっき学習してるって言ったよね? 何にも学習してないじゃない!」
「最初シャルが余計なこと言ったんでしょ!」
「途中からあなたの方が酷かったでしょう!」
「でも笑ってるルー見てみたいじゃん」
「それは……そうだけど」
「ほら!」
言い合っている間に、当然ながら向こうにも気づかれている。
アレクシスもこちらを見ているし、ルシアンに至っては完全にエレナへ顔を向けている。
「……見てる」
「誰のせいよ」
「笑ってないね」
「当たり前でしょう」
それでも懲りずにもう一度頬を潰そうとしたところで、ルシアンが周囲の令嬢に何か短く告げ、そのままこちらへ歩き出した。
アレクシスまで令嬢たちから離れている。
「……来る」
「だから言ったでしょ」
「逃げる?」
「逃げるわよ」
どちらが先ともなく、二人揃って踵を返した。
令嬢が廊下を全力疾走するわけにもいかず、限りなく全力に近い早足で進む。昔とまったく同じである。
「だからやめなって言ったじゃん!」
「最初に止めたあなたが途中から一番調子に乗ってたでしょう!」
「シャルも見たいって言った!」
「変顔しろとは言ってないわよ!」
後ろから聞こえる足音を確かめるために一度だけ振り返ったエレナが、すぐに前へ向き直った。
「……ルー普通に歩いてない?」
「本当ね」
「何で距離縮まってるの!?」
「歩幅が違いすぎるのよ!」
二人はかなりの速さで逃げているのに、ルシアンは走ってすらいない。ただ普通に歩いているだけなのに、じわじわと距離が縮まっていく。
そこでシャルロットも後ろを確認し、すぐにエレナの腕を引いた。
「ちょっと待って。殿下まで来てるんだけど!?」
「え!?」
エレナがもう一度振り返る。
ルシアンの少し後ろを、アレクシスまで普通に歩いてついてきていた。こちらも走っていない。
「殿下も追ってくるとは思わなかった!」
「私もよ!」
「でも殿下のこと褒めてたじゃん!」
「比較対象にされて喜ぶと思う!?」
「巻き込んだのシャルじゃん!」
「途中から一番楽しんでたのはあなたでしょう!」
二人して好き勝手言っておきながら、追われるとは思っていなかったらしい。
「とりあえず曲がろ!」
エレナが横の通路へ入り、シャルロットも続く。
「これ前もこんな感じじゃなかった?」
「思い出してる場合じゃないでしょ!」
さらに角を一つ曲がったところで、二人は揃って足を止めた。目の前にルシアンが立っていたからだ。
「……え?」
さっきまで確かに後ろにいたはずだ。
どうやら途中で別の通路へ入り、進行方向を読んで先回りしたらしい。
「また先回り!?」
「同じ方向に逃げるからだ」
「普通こっち来ると思わないじゃん!」
「前も同じことして捕まってただろ」
「……覚えてたの?」
ルシアンが短く答えたその後ろから、少し遅れてアレクシスも追いついてくる。
こちらも息一つ乱れていない。
「なぜ逃げる」
「ルーがめちゃくちゃ怖い顔でこっち来るから」
「お前が変な顔で煽るからだ」
「煽ってない! 笑わせようとしただけじゃん!」
「そうは見えなかった」
「見え方の問題でしょ!」
「……なるほど」
何がなるほどなのか分からず、エレナが首を傾げた次の瞬間、ルシアンの両手が伸びてくる。
「むぐっ!?」
両頬を左右から挟まれ、そのままむぎゅっと押し潰された。
「ちょっ、ルー! なにふるの!」
まともに喋れないままルシアンの手首を掴むが、当然びくともしない。
自分で潰したくせに、至近距離で出来上がったエレナの顔は想像以上だったらしい。
ルシアンの口元がほんの少し緩んだ。
「……! 今笑った!?」
「笑ってない」
「笑った! 絶対笑った! ていうか手離せ!!」
「ちょっ……エレナ、その顔……っ!」
「笑うなシャル!!」
シャルロットはエレナの顔をみた瞬間耐えきれなくなった。一度笑い始めたシャルロットは止まらない。
普段なら外で声を上げて笑うことなどほとんどないのに、潰されたエレナの顔を見て完全に崩れている。
そして、その隣ではアレクシスまで普通に笑っていた。
「殿下まで笑ってるじゃん!」
「いや……その顔は無理だろ」
「何が無理なの! ルー早く手離せ!」
ようやく解放されたエレナは、両頬を押さえながら三人を見る。
「酷くない? 私、ルーを笑わせようとしただけなのに」
「成功したじゃない」
「私の顔潰されて笑われる予定じゃなかった!」
シャルロットがまた笑う。
「そもそも何でルシアン様を笑わせようなんて思ったのよ」
「シャルも見たいって言ったじゃん」
「少しは見てみたいとは言ったけど、あんなことしろとは言ってないわよ」
「結局笑ってたくせに」
「それはあなたの顔がおかしかったからよ」
「そこまで言う!?」
また言い合いが始まったので、落ち着いたのを見計らってアレクシスがシャルロットへ声をかけた。
「随分珍しいものを見たな」
「何がですか?」
「お前が先に余計なことを言って、エレナに殴られていた」
シャルロットは一瞬黙ったものの何事もなかったように姿勢を正す。
「何のことでしょうか、殿下」
「さっきまでと違うな」
その言葉にエレナが反応した。
「それ昔、私も言われた!」
「エレナ!」
「痛っ!」
またシャルロットの肘が入る。
「ほら! 結局また私がどつかれてるじゃん!」
「あなたが余計なこと言うからでしょ!」
「今日最初に余計なこと言ったのシャルだからね!」
「あなたは途中からそれ以上だったでしょう!」
ルシアンが短く口を挟む。
「……何も変わってないな」
「誰のこと?」
「お前たちだ」
エレナとシャルロットは同時にルシアンを見る。
結局、最初に出会った頃からやっていることは大して変わっていない。
違うのは、昔は名前すら知らず、目が合っただけで逃げ出していた相手と、今は追いかけ回された挙げ句にこうして普通に言い返していることくらいだった。
「もう行くよ、シャル」
「そうね。これ以上いたら本当に次の講義に遅れるわ」
二人は何事もなかったように歩き出す。
「エレナ」
「何?」
「今度また変な顔を向けたら同じことするからな」
「やらないよ!もう笑うって分かったし!」
「笑ってない」
「まだ言う!?」
エレナの声が廊下に響き、その横ではシャルロットがまだ少し笑っていた。
外ではいつも整った振る舞いを崩さず、自分の前でも淑女そのもの。それなのに幼なじみの前では遠慮なく言い合い、先ほどまで声を上げて笑っていた。
アレクシスは少し離れていく二人の背中を見送る。
普段のシャルロットからは想像しづらい姿だったが、不思議と違和感はなかった。
むしろ――
エレナと長年親友をやっていることが、妙に納得できた。




