61.略奪系ヒロインにされた
*ちょっと長めです
エレナたち四人が廊下を歩いていると、少し先を歩く男子生徒の姿にリリアナが気づいた。
「ベラ、この前の人!」
「あ、本当ね」
事情が分からず首を傾げるエレナとシャルロットをよそに、リリアナはさっそく声をかける。
「この前はお菓子ありがとう! すごく美味しかったよ」
「ベルモンド嬢?いえ、喜んでいただけたなら良かったです」
エレナに「知り合い?」と聞かれ、イザベラが説明を足した。先日二人で購買へ行った際、新発売の限定菓子が最後の一つしか残っておらず譲り合っていたところ、偶然居合わせたこの男子生徒が自身の分を譲ってくれたのだという。
「へえ、あのときのお菓子って彼からだったんだ」
「そうなの。エレナとシャルにも持っていったやつだよ」
言いながら、リリアナは手元の紙袋を覗き込んだ。
「あ、ちょうどよかった! これ、よかったらどうぞ」
「え?」
「さっき買ったお菓子。この前のお礼に」
「いえ、そんなお気遣いをいただかなくても……」
「でも、もらいっぱなしなのも気になっちゃって。これすごく美味しかったから!」
「……では、ありがたくいただきます」
男子生徒が恐縮しながら包みを受け取った、まさにその時だった。
「……何をなさっているんですか?」
背後からの鋭い声に全員が振り返ると、一人の令嬢が険しい表情で歩み寄ってくる。
「どうしたんだ?」
「どうした、ではありません。今、その方から何を受け取ったのです?」
「菓子だが」
「見れば分かります!」
令嬢は男子生徒を一度睨むと、そのままリリアナへ向き直った。
「ベルモンド様。人の婚約者に何をなさっているのですか?」
「……はい?」
身に覚えのない詰問に、リリアナは目を丸くして男子生徒を見つめた。
「婚約者?」
「ああ」
「いらっしゃったんですか!?」
そのあまりに素直な反応が火に油を注いだのか、令嬢の声が一層強くなる。
「ご存じなかった、と?」
「ええ、存じませんでした。こちらの方とは以前一度お会いしただけですので」
「それなのに贈り物を?」
「以前お菓子をいただいたお礼です。偶然お会いしたので、持っていたものをお渡ししただけで……」
「婚約者のいる男性に、そのようなことをなさるのはどうかと思いますわ」
「ですから、婚約されていること自体、いま初めて知りました」
「知らなければ何をなさっても構わないとおっしゃるのですか?」
「そうは申しておりません!」
堂々巡りの追及に、リリアナの言葉にも少しずつトゲが混じり始める。見かねたイザベラが間に割って入った。
「先日のお菓子については私もその場におりました。こちらの生徒さんが私たちの様子を見て、ご親切に譲ってくださったのです。リリからねだったわけではありません」
「その通りだ。私から声をかけたんだ。ベルモンド嬢から求められたことなど一度もない」
当事者二人が説明しても、令嬢は一歩も引かない。
「ですが、受け取ったのでしょう? ご厚意だからと、婚約者のいる男性から物をもらうこと自体が問題なのです」
「……厚意でいただいたものへのお返しまで問題視されるのですか?」
今度はシャルロットが静かに言葉を返す。
「何かをしていただいた方に後日お礼をするのは、社交上ごく自然な振る舞いです。お相手の婚約の有無にかかわらず、礼を尽くすのはおかしなことではありません」
「今回だけなら、そうかもしれませんわね」
冷ややかな一言で、その場の空気ががらりと変わった。
「ベルモンド様については以前から耳にしておりますわ。婚約者やその候補がいる男性へ次々に近づいていると。男性から物を受け取り、自分からも贈り物をし、困れば男を頼る。指摘されれば『そんなつもりではなかった』『知らなかった』と言い逃れなさる……」
リリアナは絶句し、眉をひそめた。
「……それ、私のこと言ってます?」
「違うとおっしゃるのですか?」
「違います!」
「ですが特徴は一致しておりますわ。男性から声をかけられることも多いようですし、そのたびに随分と親しげに応じていらっしゃるとか。社交慣れされているというか……男性に気を持たせる術に長けていらっしゃること」
「声をかけていただいたから普通にお話ししているだけです! それは女性相手でも同じですし、話しかけられること自体を私に言われても困ります!」
思わず声を荒らげるリリアナに、エレナも助け船を出す。
「リリは誰にでも自分から距離を詰めるタイプじゃないよ。相手が気さくなら同じトーンで返してるだけ。男の人だからって態度変えてないし」
「それはお友達だから、そう庇いたくなるだけではありませんか?」
「じゃあ、他の人に聞いてみなよ!」
売り言葉に買い言葉のエレナに応じるように、周囲で見物していた令嬢の一人が口を開いた。
「あの……ですが私も、ベルモンド様が男性と随分親しげに話されているのを何度かお見かけしましたわ。食堂や廊下でも……それに先日は、騎士科の方々と一緒でしたでしょう?」
「騎士科……あ、旗取りの時ですか?」
「訓練場で大勢の男性に囲まれていたと聞いております。かなり楽しそうになさっていたとも」
「あれは人数が足りないから呼ばれただけで……遊んでたんだから楽しいのは当たり前じゃないですか!」
思わず地が出てしまい、リリアナは慌てて咳払いをし改める。
「……失礼。ですが、人数合わせで参加した競技を楽しんでいたことまで『男性を誘惑している証拠』にされるのは納得いきません!」
「あれ、最初に頼まれたの私だから」
エレナが呆れたように補足する。
「ノワール領の騎士科生徒に人数が足りないって拝み倒されて、リリも一緒に付き合ってくれただけ。途中からルーとカイカイまで捕まってたし」
「……ルーと、カイカイ?」
「ヴァルトシュタイン様とレーヴェン様のことです」
ポカンとする相手にシャルロットが静かに告げると、令嬢の目の色が変わった。
「お二人まで……!? ですがレーヴェン様とは普段から随分と親しげですよね。愛称で呼び合い、困ればすぐに頼る……そのような思わせぶりな接し方が誤解を招くのではありませんか?」
「カイ様とは入学してからの友人です。私だけが一方的に馴れ馴れしくしているわけではありません!」
「先日も男性の後ろに隠れていたと噂になっておりますわ」
「あれは捕まりたくない先生が来たから、私たち四人全員で近くにいた人の後ろに隠れただけです! 私一人だけの話じゃありません!」
ひとつ説明すれば、また別の歪められた噂が飛んでくる。
「それに、いつも男性を見上げるようにして話すとも聞いております。そうやって大きな目で相手を見上げ、困ったような顔をすれば……男性はさぞ庇護欲をそそられるのでしょうね」
リリアナは目の前の令嬢をじっと見つめる。
「……あなたも私より背が高いので、こうして話していれば見上げることになりますけど」
「そういう意味ではありません!」
「じゃあどういう意味なんですか!」
「リリは私と背がほぼ同じなんだから、誰と話すときだって見上げるでしょ。シャルとベラにだってそうだし」
エレナのツッコミに、令嬢はなおも食い下がってくる。
「ですが、あのように困ったような表情をなさって――」
「今ほんとに困ってるからでしょ!」
押し問答が続く中、人だかりの中から別の女子生徒が前へ出た。
「あの、少しよろしいでしょうか。私、ベルモンド様とは何度かご一緒しておりますが、男性にだけ態度を変えているというのは違うと思います」
「ですが――」
「私にも同じですよ。こちらから話しかければ親身に応対してくださいますし、以前困っていた時には助けていただきました。逆に、ベルモンド様から頼られたことだってございます」
隣の令嬢も頷き続ける。
「私もですわ。ベルモンド様から積極的に距離を詰められたというより、気さくさに惹かれて私の方からお話しするようになりました」
「女性同士なのですから、それは当然でしょう!」
「では……女性と親しくしている事実は無視して、男性と話している場面だけを数えていらっしゃるのですか?」
不都合な指摘に、婚約者令嬢の声が怒りで上擦った。
「問題は男性との接し方です!」
「だから、それが女性相手でも全く同じだと申し上げているのです!」
「ベルモンド様は男性から物をいただくことも多いと聞いております!」
「女性からいただくこともありますよ!」
「そのたびにお礼を!?」
「もちろんです! 男だろうが女だろうが、何かしてもらったらお礼をするのは当たり前でしょう!?」
ついにリリアナの淑女の仮面が完全に剥がれ落ちた。
「知らない人や親しくない人に婚約者がいるかどうかなんて、全員分把握してるわけないじゃない! 婚約してようがしてまいが、親切にされたらちゃんとお返しするのが普通でしょ!?」
「リリ、落ち着いて」
「だって何を言っても全部『男を誘惑してる』に結びつけるんだもん!」
「実際に私の婚約者へお菓子を渡していたではありませんか!」
「だからそれはこの前のお礼!」
「私が先に差し上げたんだ!ベルモンド嬢から求められたわけでも、二人きりで会っていたわけでもない! 今日だって本当に偶然だ!」
「なぜあなたまでこの方を庇うのですか!?」
「庇っているんじゃない、事実を言っているだけだ!」
「私がこれだけ不快だと言っているのに!?」
「だからこそ、ベルモンド嬢一人を悪者にして責めるのは違うと言っているんだ!」
「ほら! そうやって男に庇わせる!」
「私は何も頼んでませんけど!?」
男の生徒が再び声を張り上げるとさらにヒートアップしていき、完全に会話は噛み合わず、泥沼の堂々巡りになる。
「でも、以前から似たような噂はありましたわ」
「レーヴェン様と親しいのも事実ですし……」
「男性に声をかけられやすいのも本当なのでしょう?」
ギャラリーの令嬢たちからも疑念の声が飛ぶが、リリアナ側の味方も引き下がらない。
「ベルモンド様が話しやすいから、こちらから声をかけているだけです!」
「私も最初にお話しした時は私からでしたわ!」
「男性だけに寄っていっているわけではありません!」
「ですが……!」
婚約者令嬢は退かず、リリアナを鋭く指さした。
「男性から物をもらい、親しげに話し、困れば頼り、指摘されれば知らなかったと言い逃れ、最後は男性自身に庇わせる……あなたのその行いは、今巷で囁かれている『略奪系ヒロイン』そのものです!!」
ぴたりと、全員の動きが止まった。
「……りゃくだつけい、ひろいん?」
「何それ?」
ぽかんとするリリアナの一方で、シャルロットとイザベラがハッと顔を見合わせた。
「あ……以前話した、婚約者のいる男性に無自覚に近づく令嬢の悪評のことね」
「あの噂のことか!」
ようやく話がつながったリリアナは、目を丸くして叫んだ。
「ちょっと待って! じゃあ、あの怪文書みたいな噂の張本人って、私のこと言ってたの!?」
「少なくとも、私はそう確信しておりますわ!」
「全然違うでしょ!!」
「でも、行動だけを切り取れば――」
「行動だけ切り取るからおかしくなるんでしょうが!」
それまで冷静だったイザベラも、珍しく声を荒らげた。
「お菓子を受け取ったのは事実ですが、リリがねだり取ったわけではありません! 返礼したのも事実ですが、偶然出会ったからです! 騎士科にいたのも人数合わせ! 事情をすべて削ぎ落としたら、誰だって悪人に見えるでしょう!?」
「それでも、これだけ多くの方が同じように感じているのであれば――」
「噂を真に受けた人同士で同じ話を膨らませてたら、尾ヒレがつくのは当たり前でしょ!」
エレナに至って完全に遠慮なんてものはない。
「実際に見たって人も、先生から隠れたとか旗取りとか、全部ちゃんとした理由があるやつじゃん!」
「ですが男性との距離感が――」
「女の子相手でも同じ距離だって何回言わせるんだよ!」
廊下はもはや収拾のつかない大混乱と化していた。
その乱戦の渦中に、通りすがりにしては重すぎる低い声が響き渡る。
「……何の騒ぎだ」
人だかりが割れ、そこからアレクシス、ルシアン、カイ、セドリックの四人が姿を現した。
「カイカイー!」
リリアナは救援を求めるようにすがる思いで駆け寄り、反射的にカイの袖をぎゅっと掴んだ。
「聞いて! 私、略奪系ヒロインなんだって!」
「……は? 何だそれ」
その瞬間、婚約者令嬢とギャラリーの一人が同時に指をさした。
「それです!」「今まさにそれですわ!」
「え!?」
リリアナは自分の手元を見る。
「これ!?」
「なぜ当然のようにレーヴェン様の袖を掴むのですか!」
「カイカイだから!」
「それが問題だと言っているのです!」
「何がー!?」
「……誰か順番に説明しろ」
カイは袖を引っ張られたまま溜め息をつき、短く言い捨てた横で、セドリックが静かに状況を見定めると、落ち着いた口調で交わされていたやり取りを整理し始めた。シャルロットたちから事情を聞き出し、アレクシスも周囲のギャラリーから証言をすくい上げていく。その間も婚約者令嬢は、いかにリリアナの振る舞いが男惑わしであるかを熱弁していた。
カイが最初に問い詰めたのは、渦中の男子生徒だった。
「最初に菓子を渡したのはお前か」
「はい。以前、ベルモンド嬢たちが一つしか買えなかったと話されてるのを聞いて、自分の分をお譲りしました」
「頼まれたか?」
「いいえ。私の一方的な親切です」
「婚約者がいることは伝えていたのか」
「言っていません。聞かれてもいません」
「今日会う約束は?」
「していません。完全に偶然です」
淡々と事実を確認し、次にリリアナへ視線を向ける。
「お前、こいつに婚約者がいるって知ってたのか」
「知らない!」
「菓子を要求したか?」
「してない!」
「今日会う約束は?」
「してないってば!」
「なら、今回の件はそれで終わりだろ」
一瞬で切って捨てられた婚約者令嬢が、慌てて前に出た。
「ですが今回だけではありません! ベルモンド様は普段から男性に――」
「男にばかり近づいてる?」
「そうです!」
「こいつが?」
「ちょっ!私の扱い雑すぎない?!」
リリアナが横から突っ込むのを無視して、カイは言い放った。
「少なくとも俺が見てる限り、こいつが男だけ選んで近づいてるところなんて見たことがない」
「ですが、レーヴェン様とは随分と親しげではありませんか!」
「俺とはただの友人だ。俺も同じように接してる」
リリアナが未だに握りしめていた袖を、くいっと持ち上げてみせる。
「これも?」
「……それは離せ」
「あ、ごめん」
すかさず周囲から声が飛ぶ。
「ですが、ベルモンド様は男性を見上げるように話されて――」
「お前、身長何センチだ?」
「ひゃく、百六十八ですけど……」
「リリアナ、お前は何センチだ?」
「百五十六」
「俺は百九十一だ。お前だって今、俺を見上げてる。さらに低いリリアナが、俺やお前を見上げずにどうやって話すんだ?」
静まり返る廊下。誰も反論できない。
エレナが追い打ちをかける。
「私とだって身長ほぼ同じだから、シャルにもベラにも普通に見上げてるよ。貴女と話してる時だってずっと見上げてたし」
「困ったような顔をして男性の庇護を――」
「今ほんとに困ってるだけだろ」
ルシアンのボソッとした呟きに、エレナも「だよね」と深く頷いた。
「何言っても全部『男を誘惑してる』に変換されてたんだから、そりゃ困り顔にもなるって」
セドリックが静かに頷き、筋道を立てて言葉を継いだ。
「……女性側からも、リリアナ嬢は普段から分け隔てなく接しているという証言が多数出ていますね。挨拶されれば返し、親切にされれば男女問わず礼を尽くす。現在挙がっている話の中に、特定の婚約者持ちの男性へ『意図的に近づいた』という客観的事実は一つも存在しません」
シャルロットも落ち着いた声で続ける。
「噂になった行動そのものが全て嘘というわけではありませんわ。ただ、文脈がすり替えられていただけです。男性から物を受け取ったのは事実ですが、求めたわけではない。贈り物をしたのも事実ですが、単なる返礼です。騎士科にいたのも人数合わせ。カイ様を頼るのも、信頼できる友人だから」
イザベラが優しく微笑んだ。
「リリは相手が気さくに接してくれれば、同じように笑顔を返すだけなのです。男性だからと特別な態度をとっているわけではありませんわ」
周囲の女子生徒たちも頷き合う。
事実がひとつずつ元の形に並べ直され、歪められていた噂のからくりが暴かれていく。人だかりのざわめきが急速に引いていった。
婚約者令嬢はしばらく唇を噛み締めていたが、やがて意を決したようにリリアナに向き直った。
「……大変、失礼いたしました」
絞り出すような一言を皮切りに、周りにいた令嬢たちからもぽつぽつと謝罪の言葉が漏れ始める。
「噂を真に受けてしまって……申し訳ありません」
「私も、自分で確認したわけでもないのに……」
婚約者令嬢は、改めてリリアナへ深々と頭を下げた。
「噂と今日の出来事を自分の中で勝手につなげてしまいました。日頃から不安に思っていたこともあり……一方的に決めつけてお責めしたこと、心よりお詫び申し上げます」
「……ううん、分かってもらえたなら大丈夫です」
リリアナも、それ以上追及するつもりはなかった。
男子生徒は婚約者から「後でじっくり話し合いたいと思います」と冷ややかに告げられ、二人並んでその場をあとにした。集まっていた生徒たちもゾロゾロと散っていき、静けさを取り戻した廊下で、リリアナがポツリと呟く。
「……略奪系ヒロインなんて、そんな物々しい名前がついてたんだ」
「気にするのそこ!?」
エレナの即座のツッコミが入る。
「だって噂は聞いてたけど、そんな悪役みたいな呼ばれ方してるなんて知らなかったもん!」
「今一番どうでもいいところでしょ」
シャルロットに呆れられ、リリアナは隣のカイを見上げた。
「……ねえカイカイ。私って、そんなに男の人に媚びてるように見えたことある?」
「ない」
「即答」
「お前、俺に容赦なく文句言うだろ」
「言うけどさあ」
「旗取りで目を血走らせて追い回してくるやつが、男に媚びてるように見えるわけないだろ」
「まだ根に持ってるの!?」
必死なリリアナの横で、エレナがケラケラと笑った。
「まあよかったじゃん。冤罪も晴れて『略奪系ヒロイン』疑惑も無事解決!」
「全然よくないよー! 私、本当に何もしてないのにー!」
廊下に響き渡るリリアナの悲鳴のような叫び声を最後に、長かった騒ぎはようやく幕を閉じたのだった。




