60.壁の活用方法
講義を終えたエレナたち四人は、次の予定までにできた空き時間を利用して中庭へ向かっていた。
「今日どうする? 食堂行く?」
リリアナの問いにエレナが頷こうとしたその時、廊下の先から歩いてくる人物に気づき、エレナはぴたりと足を止める。
「……まずい」
エレナの視線を追った三人も前方を見ると、書類を抱えて歩いてくる国際地理を担当している教師の姿があった。
「戻ろ」と踵を返そうとするリリアナを、「待って、今戻ったら余計目立つ」とシャルロットが制する。
「でも、このまま行ったらエレナ捕まるよ?」
「分かってる……けど、どうしよう」
近くに隠れられそうな場所はなく、今から教室へ入るのも不自然だ。エレナが焦って周囲を見回していると、反対側から歩いてくる四人の姿が目に入った。
ーーアレクシス、ルシアン、カイ、セドリック
「……いた」
エレナは迷わず彼らの方へ向かい、止める間もなくルシアンの背後へ滑り込む。
「ルー、ちょっと動かないで。壁になって」
「は?……壁?」
ルシアンが振り返ろうとするのを強引に押し留め、その意図を察したリリアナも、すかさずカイの袖を掴んで背後に隠れた。
「カイカイも動かないで! 先生来るから!」
「お前、何をした」
「何もしてないってば!」
残されたシャルロットとイザベラも顔を見合わせ、近づいてくる教師から身を隠すように、それぞれアレクシスとセドリックの後ろへ回る。
「殿下、申し訳ありません。少しお借りします」
「……なぜだ?」
結局、背の高い男性四人が並び、その陰に女性四人が隠れるという不自然な陣形が完成した。
教師はアレクシスたちに気づくと足を緩め、軽く会釈をしてそのまま通り過ぎていく。足音が十分に遠ざかったのを確認し、四人はぞろぞろと背後から這い出してきた。
「助かったー」「ありがとうございました」と何事もなかったように立ち去ろうとする四人だったが、当然そのまま逃げられるはずもない。
「待て」
アレクシスの低い声が引き止める。
「説明してから行け。なぜ教師から逃げている」
「……捕まったら面倒だから?」
「理由になっていない」
呆れる男性陣を前に、見かねたイザベラが助け舟を出した。
「実はエレナ、先ほどの先生から研究論文を書いてほしいと頼まれているんです」
「……エレナが?」
アレクシスが思わず聞き返すのも無理はない。セドリックやカイも意外そうにエレナを見ている。
「国際地理と聞いて驚かれるのも無理はありませんが、彼女はその二つに関して、上級生向けの内容でも難なく解いてしまうのですよ」
シャルロットの言葉を、イザベラも頷いて補足する。
「先生からも、卒業学年と比べても十分通用すると評価されているほどです」
「何でそんなに疑うの」と唇を尖らせるエレナの横で、リリアナが笑う。
「本当だよ。国際地理だけはエレナと比べられたくないもん。そこだけおかしいんだから」
「おかしいって何」
言い返そうとするエレナに、ルシアンが疑問を投げかけた。
「そこまで評価されているなら、書けばいいだろう」
「最初は卒業単位を認定してくれるって言うから、そのつもりだったの。でも……話を聞いてるうちに、学内発表やら学会参加やら、休暇中の現地調査まで付いてくるって言い出したから断ったの」
「……そこか」
「何のための休暇なのさ」
きっぱり言い切るエレナに、ルシアンは黙り込んだ。単位は普通の講義で取ればいいし、せっかくの休みに研究などしたくない――それが彼女の言い分だった。断られても諦めきれない教師が、顔を合わせるたびに説得してくるため逃げ回っているのだという。確かにわざわざ休暇まで使って発表やら学会参加は面倒だ。
「……それで、なぜ他の三人も逃げるんだ?」
アレクシスの問いに、シャルロットとイザベラが苦笑いを浮かべる。
「エレナが断るなら私達はどうかと声をかけられましたの。適任者がすぐ隣にいるのに、代わりを引き受ける理由もありませんから」
そしてカイの視線を受けたリリアナは、気まずそうに目を逸らした。
「……私は、会うと『三人を見習え』って言われるから」
「見習えばいいだろう」
「無理! 私だって単位が取れるくらいにはできてるもん!」
反論するリリアナを見て、ルシアンは呆れたように息を吐いた。
「……それで、俺たちを壁にしたのか」
「うん。ちょうど四人いたし、背も高いし」
「人を身長で選ぶな」
アレクシスの言葉にもどこ吹く風で、四人はそれぞれ「助かりました」「ルーもありがとね」とお礼を言い残し、笑いながら中庭へと歩き去っていった。
残された四人は、彼女たちの背中をしばらく見送っていた。
「……意外だな」
アレクシスの呟きに、カイが短く同意する。
普段の彼女からは想像もつかない評価だが、シャルロットたちが嘘をつく理由もない。
セドリックは面白そうに小さく笑う。
「まだ、知らないことは多そうですね」




