7.壁の一人に捕獲された日
*さりげなくカイが壁になる話し
放課後、人気の少ない西棟の廊下。
歩いていたカイは、柱の陰から聞こえる妙な物音に足を止めた。ガサガサ、コソコソという雑音に混じり、小声でやり取りする二人分の声が響いている。
「それ傾いてる」
「え、どっち?」
「右。もう少し上」
柱の陰にいたのは、最近知り合ったばかりのエレナとリリアナだった。エレナは明るくさっぱりとした印象で、リリアナは可憐で大人しそうな令嬢――少なくとも、最初はそう見えていた。
二人と知り合って日は浅いが、カイはすでに一つ察している。この二人が揃って企むことに、まともな試しはない。
足音を立てずに近づくと、柱と柱の間に不自然な紐が張られ、そこに小さな布袋が固定されようとしていた。
「……何をしている」
肩を跳ねさせて振り返った二人は、カイの姿を確認した瞬間そのまま固まった。
「何も?」
「うん、何もしてないよ?」
何事もなかったかのように笑顔を浮かべる二人だが、視線は泳ぎ、足先は外側を向いている。
「柱に紐を結んでいたな」
視線で会話を交わした二人が左右へ散ろうとした瞬間、カイは両腕を伸ばし、それぞれの制服の肩口を掴んだ。
「うわっ」
「きゃっ」
前へ進もうとした足だけが空しく床を滑る。
「逃げるな」
「逃げてないよ! 急用を思い出しただけ!」
「二人同時に?」
噛み合わない言い訳を無視し、カイは床の布袋へ視線を落とした。
「これは何だ」
「……ちょっとした悪戯」
エレナが観念して白状した袋の中身は、大量の細かな色紙だった。決められた場所を通ると頭上から落ちてくる単純な罠だ。
「誰に仕掛けるつもりだった」
「……シャルロットとイザベラ」
幼なじみの二人を驚かせたかったのだという。深い理由はなさそうだったが、アカデミーの廊下でやることではない。
「片付けろ」
反抗することなく仕掛けを外す二人を見張り、カイは淡々と言い放った。
「アレクシスたちがいる部屋に連れて行く」
二人の顔から笑顔が消えた。
「嫌」
「怒られることをした自覚はあるのか」
黙り込む二人を連れて歩き出したが、隙を見ては散ろうとし、角の直前で合図を合わせては捕まる。王立騎士団に籍を置くカイ相手では勝負にならないが、二人は懲りずに逃走を企て続けた。
「……まだやるのか」
「何のこと?」
「分かりません」
しらばっくれつつ足先を別々の方向へ向ける二人を見て、カイは短く息を吐いた。
次の瞬間、エレナとリリアナの身体がふわりと浮いた。
何が起きたか理解するより先に、二人はそれぞれカイの左右の小脇へ荷物のように抱え込まれていた。
「降ろして! 歩くから!」
「もう信用しない」
「恥ずかしいんだけど」
「逃げるからだ」
抵抗も虚しく、二人は諦めて力を抜いた。
◇ ◇ ◇
数分後、王族用の控室の扉が開いた。中にいたルシアン、アレクシス、セドリックは、両脇に令嬢を抱えて入ってきたカイを見て絶句した。
「……何だ、それは」
「捕まえた」
「人を獲物みたいに言わないで!」
「それより降ろしてください!」
笑いを噛み殺すセドリックと、片手で額を押さえるアレクシス。ルシアンに問い詰められたカイは、西棟で罠を仕掛けていたこと、何度も逃げようとした経緯を淡々と説明した。
「思いついたからやっただけ」
「面白そうだったし」
神妙な顔でそう呟く二人だったが、床へ下ろされるとすぐさまカイから距離を取ろうとする。
「逃げるな」
「まだ何もしてない!」
結局、二人はソファへ促され、お行儀よく並んで座らされた。そこでリリアナが小声で囁く。
「エレナ、今日は分が悪いよ」
「リリ共犯だからね。言い出したの自分じゃん」
「それ言わない約束!」
静まり返る部屋。四人の視線が一斉に集まり、可憐な見た目で主犯だったリリアナは完璧な淑女の笑顔を浮かべて見せたが、もはや誰にも通用しなかった。
一応「もうしない」と反省してみせた二人だったが、カイの観察眼は誤魔化せない。
「嘘だな。目が笑っている」
「……本当です」
さらに、二人がほんの一瞬だけ扉へ向けた視線も見逃さず、カイは無言で扉の前に立ちふさがった。
「……まだ何もしてないのに」
「信用がない。今日だけで十分だ」
完璧に行動を読まれ、エレナは不満げに黙り込んだ。リリアナがそっと袖を引く。
「エレナ……たぶんカイ様には勝てない」
「……私も今そう思った」
その日、エレナとリリアナは、騎士から逃げ切る難しさと、逃げすぎると歩かせてもらえなくなることを知った。
そしてカイもまた、一見たおやかな令嬢であっても、幼なじみを驚かせるためなら廊下に罠を仕掛け、捕まれば何度でも逃走を試みるのだと知ったのだった。




