56.小さな疑問と復習
長期休暇が近づき、講義の内容も一区切りを迎え始めた頃――午後の講義を終えたシャルロットとイザベラは、二人並んで廊下を歩いていた。
「やっぱり、最後のところだけ分からないわ」
シャルロットがノートを見返すと、隣から覗き込んだイザベラも小さく頷く。
「ええ。あの条件が加わったあたりから少し……。先生もすぐに退出されてしまったし」
「休暇に入る前にすっきりさせておきたかったのだけど…」
二人で考えても答えは出ない。それなら二年生に聞いてみようと王族控室へ足を向けかけたとき、背後から声をかけられた。
振り返ると、同じ一般科の令嬢が歩み寄ってくるところだった。挨拶を交わす程度の相手だ。
「お二人とも、もうお終わりですの?」
「ええ。今日はこれで」
世間話を交わすうちに、令嬢はふと声を潜めた。
「そういえば、最近の噂をご存じ?」
「噂、ですか?」
「ええ…。一年生のご令嬢の中に、婚約者のいらっしゃる殿方とばかり親しくされる方がいるそうですの。天真爛漫な性格で、相手の都合をあまり気にされないとか……」
先日のエレナの一件が頭をよぎり、シャルロットは少し身を構えた。事実と異なる噂の恐ろしさは身に染みているのだ。
「それだけでは何とも言えませんけれど……」
「そうですね…」
イザベラが曖昧に返して打ち切ろうとしたが、令嬢は思い出したように微笑んだ。
「そういえば、お友達のベルモンド様も天真爛漫な方ですわね? いつも明るくてお可愛らしいと思っておりますの。……それにヴェイロン様たちも、最近は殿方とお名前で呼び合うほど親しくされているようですし、少し気になって」
唐突にリリアナの名前を出され、さらに自分たちの距離感まで引き合いに出され、二人は顔を見合わせた。何が言いたいのか意図を測りかねていると、聞き慣れた声が届いた。
「シャルロット嬢?」
廊下の向こうからアレクシスとセドリックが歩いてくる。
「殿下、セドリック様。ちょうど伺おうとしてたんです!」
「僕たちに何か?」
「今日の講義で分からないところがあって、お聞きしたくて…」
セドリックの問いにイザベラがノートを示すと、それまで話していた令嬢が「では、私はこれで」と一礼し、早足に去っていった。
「……結局、何のお話だったのかしら」
「さあ……」
去っていく後ろ姿を見送り首を傾げる二人に、アレクシスが尋ねた。
「何か話していたのか?」
「一年生の噂話から、なぜかリリアナや私たちの話になって……よく分からなくて」
「……そうか」
不審そうに眉を寄せたアレクシスだったが、セドリックが「それで、分からない場所というのは?」と話を戻した。
シャルロットがノートを開き、条件計算の詰まっている箇所を示す。アレクシスが覗き込んだ。
「ここは式をそのまま使うんじゃない。途中で一度分けるんだ」
「分ける?」
その場で立ち話が始まり、隣ではイザベラもセドリックに質問を始めていた。しばらくして、アレクシスが周囲を見回す。
「……ここで全部聞くつもりか? 控室へ行くぞ」
言われて初めて廊下の真ん中で話し込んでいたことに気づき、四人は改めて王族控室へと向かった。
◇ ◇ ◇
「なるほど……途中で分ければいいんですね」
控室で改めて解説を受け、アレクシスの助言通りに解き直すと、計算がすんなり通った。嬉しくなって忘れないうちに注釈を書き足す。向かいではイザベラもセドリックの説明に深く頷いていた。以前図書室で教わった解き方を応用できたらしく、嬉しそうだ。
「できました。見ていただけますか?」
シャルロットが差し出したノートを受け取り、アレクシスがざっと目を通す。
「問題ない」
「よかった。これで安心して休みに入れます」
「そんなに気になっていたのか。私なら休みに入ったら忘れる」
「殿下……」
あきれるシャルロットをよそに、向かいでも「分かりました、ありがとうございます!」とイザベラの弾んだ声が上がった。
目的を果たした二人はお礼を言って控室を後にした帰り道で、イザベラがふと思い出したように呟いた。
「さっきの方……どうしてリリや私たちの名前を出したのかしら」
「噂の話と繋げようとしていたみたいだけど、意図が分からないわね」
「何かいけないことでもしたかしら」
二人で少し考え込んだものの、これ以上考えても答えは出そうにない。シャルロットは小さく息を吐いた。
「まあ、何かあるならそのうち分かるでしょう」
「そうね。それより、教わった解き方を忘れないうちに、帰ったら復習しておこうかしら」
「私もそうするわ」
令嬢の言葉の真意はうやむやなまま、二人の会話はあっさりと講義へ戻っていった。




