55.猫の名付け
子猫たちの引き取り先が決まってから数日が経ったある日、講義を終えたエレナたち四人が廊下を歩いていると、少し先の方が賑わっていることに気づいた。視線の先には見慣れた四人――アレクシスを中心にルシアン、カイ、セドリック。周囲を数人の令嬢たちに取り囲まれているが、男性陣の反応は相変わらずで、対応しているのはアレクシスとセドリックだけだ。ルシアンとカイはほとんど口を開いていない。
「相変わらず人気だね」
エレナの呟きに三人が同意し、通り過ぎようとした時、セドリックが声をかけてきた。
「皆さん、お帰りですか?」
「ええ、今日はこれで終わりですので」
シャルロットが答えると、令嬢たちは挨拶を終え少しずつその場を離れていった。
エレナは人垣がなくなった彼らを楽しそうに見回す。
「遠くから見たら相変わらず城壁みたいだったよ」
「好きで囲まれてるわけじゃない」
ルシアンが即答する横で、「お前は毎回よく話すことがあるものだな」とアレクシスがため息をつきながらセドリックに言うと、「殿下たちが話さない分も含まれていますので」と穏やかに返されていた。
「そういえば…」
イザベラがふと思い出したように猫のことを尋ねると、三人から「問題ない」「元気だ」と返ってくる。あの日五匹すべてを連れて帰ろうとしていた本人だけに、やはり気になっていたらしい。
「よかった…。うちの二匹も元気です。名前もレオとラテに決まって、ラテはシャルの膝で寝てばかりなんですよ」
「本を読んでいると、いつも来るんです」
イザベラが安心した表情を浮かべる横で、シャルロットは呆れつつも嬉しさは隠せていない。
「イザベラ嬢に一番懐いているのだと思っていました」
セドリックが意外そうに言うと、「ベラはお母さんで、シャルは休憩所だからね」とエレナが軽口をたたき、シャルロットに睨まれていた。
「そっちの子たちは名前決めたの?」
リリアナの問いに、セドリックが「うちはシュシュになりました」と答えた。
名付けたのは妹らしく、猫を随分気に入り大層可愛がっているらしい。呼べば来るし読書中には膝に乗るほど懐いているという。彼に妹がいたことを知らなかったエレナたちは驚きを見せる。
「じゃあ、ルーとカイカイのところは?」
リリアナの問いにルシアンとカイは「まだだ」と答えた。呼ぶ時は「おい」だと聞き、エレナたちは呆れ顔になった。
「流石に名前ぐらいはつけなよ…」
「なくても問題ない」
無関心な二人の様子に更に呆れる。名前が無いのも可哀想だとなりエレナとリリアナが名付け親になることにした。
「ルーのところは女の子だったよね。ルーチェはどう?」
「……それでいい」
「じゃあ決まりね!」
あっさり決まったルシアンの横で、リリアナは腕を組み真剣な顔で考え込んでいた。
「カイカイのところは男の子だよね。うーん……じゃあ、ビーツ!」
「何故野菜なんだ」
「カイカイの目が赤いし、言いやすいから!」
満面の笑みで言われ、カイは苦い顔をする。イザベラには好評で、リリアナは満足気だ。カイは反論を諦め、「考えておく」とだけ答えてその場を濁した。
「ルシアン様とカイ様は兄弟はいらっしゃるんですか?」
シャルロットの素朴な疑問に「いない」と返すとリリアナが嬉しそうに告げた。
「カイカイ、弟ができたね!よかったね!」
◇ ◇ ◇
帰宅したカイが自室へ入ると、すぐに小さな鈴の音が聞こえてくる。
数日前から住み始めた子猫がベッドの下から顔を覗かせ、カイの姿を確認すると迷うことなく近寄って足元にじゃれついてきた。しゃがんで背中を撫でると嫌がる様子もなくその場で撫でろと主張してくる。初日は慣れない場所を警戒していたが、今では完全に自分の家だと認識しているらしい。
抱き上げると、くりくりとした目がじっとこちらを見上げていた。
「……ビーツ」
何気なく口から出た名前に、子猫が小さく鳴くとカイの手が止まった。名前を決めた覚えも一度しか呼んでいない自覚もあるため、反応したのはただの偶然だろう。問題なのは自分の行動だった。
名付けの話の時は「何故野菜なんだ」と思い、リリアナにも「考えておく」としか答えていない。自分で別の名前を考えればいい話なのに、最初に口をついたのは彼女がつけた名前だった。
『カイカイ、弟できてよかったね!』
リリアナの言葉を思い出し、腕の中の子猫を見る。弟と言われても当然実感はないし、そもそも猫だ。それなのに、不思議と嫌な気はしなかった。
最初は意味が分からなかった「カイカイ」という呼び方も、今では呼ばれれば普通に振り向くようになった。腕を掴んで引っぱられた時も、振りほどけたはずなのにそのままついていった。猫を引き取ってほしいと言われた時もそうだ。最近こんなことが多いような気がする――
どれも大したことではないが、以前の自分なら一人の令嬢にここまで好き勝手されることを許していただろうか。他の令嬢に同じことをされても、平然としていられるとは思えない。
リリアナだから――
そこまで考えて、カイは僅かに眉を寄せた。屈託なく笑う顔や、遠慮なく自分を呼ぶ声が浮かぶ。近頃は彼女を見つけると、無意識に視線を向けていることにも気づいていた。頼られることも近くにいられることも、決して嫌ではない。むしろ――
カイは黙ったまま腕の中の子猫に視線を落とした。子猫は何も知らず、パチリと瞬きをし、小さく鳴いた。
しばらくその顔を見つめたあと、諦めたように息を吐く。
「……ビーツ」
もう一度呼ぶと、今度もビーツは可愛らしく鳴いて応えた。




