45.エレナ、連行される
その日の講義がすべて終わり、エレナたち四人は帰り支度を済ませてエントランスへ向かっていた。
昼間の喧騒もようやく落ち着き始め、廊下を行き交う生徒たちの姿もまばらになっている。差し込む夕日が廊下を赤く染める中、エレナは鞄を肩に掛け直し、一日を終えた解放感に表情を緩めながら歩みを進めていた。
――その時
「お嬢!」
廊下に響き渡る野太い呼び声に、エレナの足がぴたりと止まる。
振り返ると、騎士科の男子生徒が三人、肩を揺らしながらこちらへ向かって駆けてくるところだった。どの顔にも見覚えがある。ノワール辺境伯領出身の顔ぶれだ。
「……何?」
エレナの声が一瞬で露骨に低くなる。警戒心を全開にするエレナに対し、先頭の男子生徒が荒い息を整えながら、悪びれる様子もなくニッと笑う。
「めっちゃ探しましたよ!」
「領地にも関わる大事な件なんです!」
「お嬢にしか頼めないんですよ。ちょっと付き合ってください!」
間髪入れずに三人でたたみかけてくる、その必死さと妙な威勢の良さに、嫌な予感しかしない。
「嫌。その言い方する時、大体ろくなことないでしょ」
エレナの返答は即答だった。
しかし、騎士科の三人組もここで引き下がる気はさらさらないらしい。妙に愛想の良い笑顔を浮かべながら、ぬるりと距離を詰めてくる。気づけば右、左、そして背後と、エレナの周りは完全に囲まれていた。
「……何で私囲まれてんの?」
「まあまあ、そう言わずに!」
「ちょ、待っ――」
言答無用で左右から腕を取られ、強引に足を進められる。背後の一人も逃げ道を完全に塞ぐポジションを維持しており、力ずくで抗う間もなく連行体制が完成してしまった。
「だから嫌だって言ってるでしょ! 離しなさいよ!」
「まあまあ!」
「すぐ終わりますから!」
「絶対嘘!」
「じゃ、ちょっと借りますね!」
三人に囲まれたまま、バタバタと遠ざかっていくエレナに残された三人は、ぽかんとした顔でその背中を見送っていた。
「……行っちゃった」
「また強引に連れていかれたわね」
リリアナがぽつりと呟くと、イザベラが困ったように苦笑した。シャルロットも小さくため息をつくが、相手はノワール辺境伯領の者たちだ。少々強引ではあっても、危険なことに巻き込まれるわけではないだろう。
遠ざかる背中を見つめながら、リリアナが両手を口元に添えて声を張り上げた。
「エレナ、行ってらっしゃーい!」
直後、連れ去られていくエレナの必死に抗う声が、校舎の奥から遠く響いてくるのだった。
◇ ◇ ◇
その日の夜ーー
夕食を終えたヴェイロン公爵家の王都タウンハウスには、穏やかで落ち着いた時間が流れていた。
談話室では、シャルロットが1人掛けの椅子で静かに本を読み、イザベラはテーブルで温かい紅茶を楽しんでいる。リリアナはソファにゆったりと深腰を掛け、寛いだ様子で天井を仰いでいた。
すでに遅い時間になってるのにエレナはまだ戻ってきていない。
「意外と遅いね……」
リリアナが壁の時計を見上げながら呟く。
「領地の話なら、少し長引いてるのかもしれないわね」
シャルロットもイザベラも焦る様子はない。以前にも騎士科の訓練に参加していたことがあり、今回も似たような話しなのだろうと、三人ともどこか楽観視していたのだ。
だが――玄関の方から重い扉が開く音が聞こえた瞬間、その場の空気が変わった。
続いて響いてきたのは、引きずるような重い足音だった。
やがて談話室の扉がゆっくりと開き、三人は一斉にそちらへ視線を向けると言葉を失った。
「……ただいま」
そこに立っていたエレナは、朝出かけていった姿とはおよそかけ離れた惨状で、髪は邪魔にならないよう後ろで適当にまとめられたまま、あちこちから毛束が跳ねている。普段ならきちんと着こなしている制服は全体が土埃にまみれ、袖口や膝のあたりには派手な擦り傷や擦れた跡まで残っていた。靴に至っては泥と砂でドロドロだ。
何より、その表情から一切の生気が抜け落ちていた。
「……何があったの?」
シャルロットが静かに本を閉じる。
エレナはそれに答える体力すら残っていない様子で、フラフラと歩むと、そのまま吸い寄せられるようにソファへ倒れ込んだ。
「エレナ?」
近寄ったリリアナが顔を覗き込むが、返事はない。
「生きてる……?」
「……一応」
掠れた、蚊の泣くような声が返ってきた。
イザベラが眉をひそめ、土埃のついた服を見つめる。
「本当に、一体何をしてきたの?」
エレナはしばらく死んだ魚のような目で天井を見つめていたが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。
「連れていかれた訓練場……人がめちゃくちゃいたの……」
「人?」
「騎士科の生徒がいっぱい……辺境伯側と他領側で模擬戦するって話になってて……」
三人が揃って絶句する。
「……それで?」
シャルロットが恐る恐る先を促すとエレナが首だけをゆっくりと動かし、恨めしげな視線を向ける。
「人数が足りないからって……私、そのまま突っ込まれた」
「「「……」」」
「……その制服のままやらされたの?」
イザベラが絶句したように尋ねると、エレナは弱々しく頷いた。
「そう……そのまま……どのくらいやらされたかも分かんない。途中から時間の感覚がなくなって……」
疲弊しきった声と表情に、リリアナが口元を押さえて必死に笑いを堪え始める。
シャルロットは額に手を当て、深く息を吐いた。
「“領地に関わること”って、その模擬戦のことだったのね……」
「“エレナにしか頼めないこと”は?」
「ただの人数合わせ……完全に騙された……最初から私を狩り出す気満々だったみたい……」
絞り出すようなエレナの呟きには、底知れない恨みが込められていた。
「じゃなければ、あんな風に囲んで連れて行かないものね」
イザベラが妙に納得したように頷く。
「ご、ごめん……でも、『ちょっと付き合ってほしい』の規模じゃないよねそれ!」
耐えきれなくなったリリアナが噴き出す。
「もう絶対信じない……」
エレナの疲労困憊ぶりに、シャルロットもイザベラもついに笑いを堪えきれなくなった。
エレナはぐったりとソファの背もたれに頭を預け、天を仰ぐ。結び直す気力すら残っていない髪がハラリと落ちた。
「お風呂入れる……?」
「無理……動けない……」
「そのまま寝たら駄目よ。ほら、立ち上がりなさい」
「じゃあ運んで……」
「自分で歩きなさい」
リリアナが気遣うように声をかけたものの、シャルロットにピシャリと言い捨てられ、エレナは数秒の抵抗ののち、諦めたように重い体を起こした。
一歩踏み出し、痛みに顔を歪めて立ち止まる。
「……明日、絶対筋肉痛になる……あいつら……もう嫌だ……」
力なく吐き出すエレナを見て、リリアナが再びお腹を抱えて吹き出した。
その後、夕食を取る気力すら残っていなかったエレナは、どうにか湯浴みだけを済ませると、重い足取りで自室へ戻った。
髪を乾かす気力すらなく寝台へ辿り着くなり倒れ込み、そのまま朝まで一度も目を覚ますことはなかったのだった。




