43.騎士科の噂
ヴェイロン公爵家の王都タウンハウス。その一角にある談話室には、いつもの四人が集まっていた。
大きな窓から差し込む西日が、淡い色合いの室内を柔らかく照らしている。
シャルロットはソファで本を眺め、イザベラはその向かいで静かに紅茶を飲む。エレナは窓際の椅子に深く腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。そしてリリアナは、テーブルの上の焼き菓子へ嬉しそうに手を伸ばす。学院から帰った後の、いつもの静かな放課後だった。
クッキーを一枚食べ終えたリリアナが、ふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば、最近変な話を聞いたんだけど」
その唐突な一言に、シャルロットが本から視線を上げた。
「変な話?」
「うん。学院の騎士科で、ちょっと話題になってる女子生徒がいるんだって」
イザベラがカップを置き、エレナも視線をリリアナへ向ける。
アカデミーの騎士科は、他科と異なり男子生徒しか所属していない。一般科の女生徒が用もなく出入りするような場所ではなかった。
「この前のお茶会で聞いたんだけど――」
リリアナの脳裏に、数日前の光景が蘇る。
◇ ◇ ◇
午後のサロンには招待された令嬢たちが集まり、紅茶と菓子を手に談笑していた。
家同士の付き合いや交友を深めるため、こうした催しにはリリアナもベルモンド伯爵家の令嬢として顔を出している。話題が講義や流行の服飾へと移る中、一人の令嬢が声をひそめた。
「皆様、騎士科の訓練場の噂をご存じ?」
「訓練場ですか?」
「ええ。最近、一般科の女子生徒が頻繁に出入りしているらしいのですわ。それも、男子生徒と随分親しく会話したり、訓練にまで参加しているとか」
周囲に小さな小さなどよめきが広がる。
「それって、今巷で流行っている“自サバ女”というものではありませんこと?」
「あの方々ですわね。男性といる方が気兼ねなくて楽だと、わざわざ仰るような……」
重ねられるクスクスという笑い声。だが、一人の令嬢が疑問を口にした。
「でも、その方が実際にそう仰ったのですか?」
「……そこまでは存じませんけれど。ですが、一般の令嬢が訓練場に通い詰めるなんて、不自然ではありませんこと?」
具体的な名前が出ないまま、話題はすぐに別のものへと移っていった。リリアナ自身も『自サバ女なんて言葉が流行っているんだ』と、そちらばかりが印象に残っていたのだった。
◇ ◇ ◇
「……っていう話」
回想を終えて紅茶を一口含んだリリアナに、シャルロットが首をかしげる。
「一般科の女生徒が訓練場にね……確かに珍しいわ」
「“頻繁に通って訓練に参加する一般科の女子生徒”なんて、物好きな人もいるんだね」
エレナは想像しただけで嫌そうに顔をしかめた。その露骨な反応に、リリアナが吹き出す。
「エレナ、すごい顔になってるよ」
「だって、一般科なのにわざわざ厳しい訓練をしに行くなんて、地獄でしかないでしょ。走ったり体を動かすのは好きだけど、好き好んでそんなところ通いたくないよ」
「まあ……否定はできないけれど」
シャルロットが苦笑しながら本を閉じ、イザベラも頷く。
エレナが体を動かすのを好む一方で、無意味な努力や過酷な訓練を嫌う性格なのは三人もよく知っていた。幼少期からノワール辺境伯領で剣術や体術を叩き込まれてきたのは必要に迫られてのことであり、自分から進んで通い詰めるようなタイプではない。
「だから、毎日のように行ってるなら普通にすごいと思う」
当然のように言い放ち、菓子を摘まむエレナ。リリアナは可笑しそうに頬杖をついた。
「でも、“自サバ女”っていうのはどうなんだろ。本人がそう言ったわけでもないんでしょ?」
「そうね、だいぶ話が飛躍している気がするわ」
「騎士科の方と話しているだけでそこまで言われるなんて、少し気の毒ね」
イザベラの言葉にシャルロットも頷き、リリアナも同意する。
「だよね。噂なんて当てにならないし」
「そんなもんでしょ。最初の目撃談と広まった話が全然違うなんて、よくあることだし」
他人事のように冷めた様子のエレナに、シャルロットが苦笑した。
「他人事だと思って、妙に冷静ね」
「だって知らない人の話だし」
興味を失ったエレナは、二つ目の菓子へ手を伸ばした。その手元を見たリリアナが、すかさず身を乗り出す。
「あ、それ最後のクッキー!」
「早い者勝ち」
「待って、半分ちょうだい!」
「嫌」
腕にしがみつくリリアナと、菓子を遠ざけるエレナ。
「二人とも、お行儀が悪いわよ」
「エレナが全部食べるから!」
「最後の一個だけ」
「その一個が大事なの!」
呆れるシャルロットと、口元を押さえて笑うイザベラ。
その後は週末の予定へと話題が変わり、謎の女子生徒の話はそれきりになった。
四人にとっては、名前も知らない誰かの少し奇妙な噂話。
それ以上でも、それ以下でもない。
だから誰も気づかなかった。
その噂の渦中にいる女子生徒が、いま目の前で素知らぬ顔をしてお菓子を奪い合っていることにも。
そしてその噂が、すでに事実とは大きくかけ離れた形で広まり始めていることにも。




