41.助けただけなのにあだ名をつけられ怒られた
その日、アカデミーの中庭の端で、エレナとリリアナは一本の木を見上げていた。
木の幹には先ほどまで使っていた梯子が立てかけられている。けれど枝はその先からさらに高い位置に伸びており、梯子のいちばん上に立っても手は届かなかった。直接木に登って取ろうとも試みたものの、足をかけようとした枝がギシッと嫌な音を立てたため、途中で断念せざるを得なかったのだ。
最初に引っかかったのは、リリアナの髪飾りだった。風で飛ばされたそれを落とそうとしてエレナが小さなポーチを投げた結果――髪飾りはそのままに、ポーチまで追加で引っかかってしまったのだ。
「……どうする?」
「取るしかないでしょ」
二人が腕を組んでいると、離れた通路を歩くルシアンとカイの姿が目に入った。途端に二人の顔が明るくなる。
「ルシアン様ー!」
「カイ様ー!」
声は届いていたはずだが、二人は一瞬チラリとこちらを見たあと、嫌な予感を察して何事もなかったかのように足を早めた。
「ちょっと! 無視しないでー!」
「本当に困ってるの!」
その叫びにぴたりと足が止まる。数秒の沈黙の後、ルシアンが深く息を吐き、二人は明らかに乗り気ではない足取りで戻ってきた。
「……で、何をした」
カイが呆れ顔で木の上を見上げる。枝には髪飾りとポーチ。
「大事な物を取るために、別の物を投げたのか?」
ルシアンの問いに、エレナは「その時は行けると思ったの」と口を尖らせる。
「梯子も木登りもダメだったの……お願い、肩車して!」
「嫌だ」「断る」
息の合った即答だった。冷たい態度に二人が不満を漏らすと、ルシアンたちは「帰るぞ」と踵を返す。
このまま行かれては困る――焦った二人は、去ろうとするルシアンとカイの背中に後ろから思い切り抱きついて引き止めた。
「…………」
予期せぬ背中への衝撃と体温に、ルシアンとカイは思わず絶句し、ピタリと動きを止める。
本人たちは必死なだけで無自覚だが、背後から躊躇なく抱きつかれては堪らない。
「……行かないから、まず離れろ」
「……手伝うから、離れてくれ」
二人が渋々腕を解くと、ルシアンとカイは揃って深々と息を吐いた。
「で、どうするんだ?」
「持ち上げれば届くだろ」
カイの提案に二人は即座に食いついた。放置すれば何を言い出すか分からないため、男二人は諦めて腹を括った。
「ルシアン様、カイ様、ありがとう!」
「……敬称を付けて呼ぶわりに扱いが雑すぎるだろ。敬ってるのか貶してるのか分からん」
ルシアンが呆れ顔で吐き捨てると、カイも疲れたように頷いた。
「同感だ。今更敬称なんて要らない、好きに呼べ」
「え、いいの!?」と目を輝かせたエレナが、さっそくルシアンを見つめる。
「じゃあ…!ルシアンは……ルー!」
「……勝手にしろ」
隣でリリアナもカイをじっと見る。
「カイはそのままじゃあだ名にならないから……カイカイ!」
「一番嫌だ」
疲れ果てた男ふたりの表情に満足したエレナとリリアナを、ルシアンとカイはそれぞれの腰を支えて高く持ち上げた。
「もう少し上!」「動くな」
「あとちょっと!」「上で暴れるな」
無事にポーチと髪飾りを回収し、地面に下ろされた二人。「取れたー!」と嬉しそうに声を上げる。
その時――
「……あなたたち、何をしているの?」
背後から静かな声が響いた。
振り向くと、シャルロットとイザベラが立っていた。四人の動きが凍りつく。
エレナとリリアナは反射的に男二人の背後へ隠れたが、シャルロットの笑顔は逃がしてくれなかった。
「二人とも、出てきなさい。……説明してもらえるかしら?」
二人からの説明を聞き終えたシャルロットは、静かな笑顔のまま二人を窘めた。
「仮にも貴族令嬢が男性に持ち上げさせたりするなんて、どういう発想なの? それに物を落とすために別の物を投げるなんて……」
一通り叱った後、鋭い視線がルシアンとカイへ向く。
「で、お二人は、どうして成り行きで未婚の令嬢を持ち上げるまで協力なさったんです?」
「……俺たちは最初断った」
「断ったのに手伝ったんですよね? カイ様?」
「……悪かった」
笑顔で逃げ道を塞ぐシャルロットに、カイはあっさり降伏した。
隣ではイザベラがルシアンを詰め立てている。
「ルシアン様もです! エレナが無茶をするのはいつものことですけど、止めるべき立場の方が付き合ってどうするんですか! そもそも――」
「……お前、そんなに一気に喋るのか」
「今そこですか!?」
普段は寡黙なイザベラのマシンガントークに、ルシアンは本気で困惑していた。
「……何の騒ぎだ?」
そこへ、シャルロットの声を聞きつけ様子を見に来たアレクシスとセドリックが現れた。
イザベラから「ふたりを持ち上げて手伝ったことや、あだ名を決めた」という経緯を聞いた瞬間、アレクシスの口元が耐えきれずに震え出す。
「……っ、は……悪い、ルー……カイカイ……っ」
「おい、笑うな」
「笑わずにいられるかこんなの……!」
普段は完璧な王太子が肩を揺らして吹き出し、平静を保とうとしていたセドリックまでもが「カイカイは……」と口元を押さえて震え始めた。
「呼びやすいじゃんね?カイカイ」
「呼ぶな」
「ルーもいい感じだよ?」
「お前も黙れ」
ルシアンとカイは心底疲れ果てた様子で額を押さえた。
ただ木に引っかかった物を取るだけだったはずなのに。気づけば、どこまでも騒がしい放課後になっていた。




