38.長期休暇の約束
ルシアンのしみじみとした一言に、エレナの抗議が応接室いっぱいに響き渡った。
ひとしきり笑いが収まると、先ほどまでの騒がしさが嘘のように、十人は再びゆったりとお茶を囲み始める。
話題の中心は、すっかりロイドとカイルである。
王立学園時代の逸話を聞かされた男性陣、とくにカイは先ほどから明らかに落ち着きがない。
視線は何度となくロイドへ向き、何か言いたそうにしては、一度飲み込んでいる。
「カイ殿、さっきから兄貴のことめちゃくちゃ見てますけど」
その様子に気づいたカイルの一言に、カイがわずかに姿勢を正した。
「……すみません。同じ騎士科出身なので、どうしても気になってしまって」
カイルに突っ込まれたカイは誤魔化さずに認め、改めてロイドに向き直った。
「ロイド殿。突然で恐縮ですが、もし機会があれば……一度、手合わせをお願いしてもよろしいでしょうか」
普段エレナたちの前で見せる雰囲気からは想像もつかないほど真剣な申し出に、ロイドは少し意外そうに目を細めた。
「俺と?」
「はい。王立学園にいた頃から、何度も逸話を耳にしていましたので」
「逸話ねえ」
ロイドはどこか困ったように笑い、その隣でカイルがすかさず口を挟んだ。
「いいじゃん兄貴。若い騎士からご指名だぞ」
「お前は黙ってろ」
「なんでだよ!」
また始まりそうになった兄弟の軽口を余所に、ロイドは少し考えるようにカイを見ると、あっさり頷いた。
「構わないぞ」
「ありがとうございます!」
目が一気に輝いたカイのあまりにも素直な反応に、エレナが目を丸くした。
「カイ様ってそんな顔するんだ」
「何だその言い方」
「いや、いつももっと怖いじゃん」
「うるさい」
眉を寄せるカイを余所に、ロイドはふと何かを思いついたように口を開いた。
「そんなに興味があるなら、長期休暇にでもみんなで辺境へ来ればいい」
「……え?」
今度はエレナが止まった。
ロイドは特に大した提案でもないような顔で続ける。
「うちの訓練場なら広い。王都みたいに人目を気にする必要もないし、好きなだけ剣を振れるぞ」
「行きます」
間髪入れず答えたカイのあまりの即答ぶりに、今度はロイドまでわずかに目を見開く。
「……早いな」
「機会があるなら逃したくありません」
カイは真剣だった。
冗談でも社交辞令でもない。ただ純粋に、憧れていた騎士と手合わせできる機会を逃すつもりがないだけらしい。
「カイ様、即決なんだ……」
リリアナが呆れ半分、感心半分で呟く横で、イザベラも小さく笑う。
一方、アレクシスはすぐには答えず少し考えるように視線を落とし、やがてロイドへ向き直る。
「私も興味はある。ただ、私の場合は簡単に王都を離れるわけにはいかないからな」
「王太子ですものね」
シャルロットが静かに頷く。
長期休暇だからといって、王太子としての仕事まで全てなくなるわけではない。
「予定を確認してからまた返事をしても構わないだろうか?」
「もちろん」
ロイドも当然のように答える。
その横で、ルシアンもすぐには返事をしなかった。
「カイが辺境へ行くなら、その間は俺が殿下の護衛側に残る必要があるので、改めて返事をさせてください」
ルシアンは一度カイを見たあと、静かに答える。
王立騎士団に所属するカイと、王太子の側にいるルシアン、二人が同時に長く王都を離れるわけにはいかない。
「私も殿下の予定次第ですね。長期休暇中の公務予定を確認してみないことには」
少なくとも今の段階では、ルシアンもセドリックも気軽に返事をできる話ではなかった。
「まあ、今すぐ決めなくてもいいでしょう。休暇までまだ時間ありますし」
「そうだな。来られる奴だけ来ればいい」
カイルとロイドも同意する。
「兄様、そういう軽い感じで王太子を辺境に誘う?」
「来たいなら来ればいいだろ」
「そうだけど!」
「何か問題あるのか?」
「……そういうんじゃないけど」
あまりにも大雑把な兄の理屈に、エレナは反論を諦めてため息をついた。
その姿を見てアレクシスが肩を揺らす。
「随分気軽に誘われるものだな」
「辺境ではそんなものです」
「兄貴だけだと思うけどね」
「お前も似たようなものだろ」
「俺はもうちょい考える」
「嘘つけ」
「失礼だな」
ロイドがさらりと返すのに対し、カイルからの横槍に再び兄弟の言い合いが始まり、応接室にはまた笑い声が広がった。
ーーノワール領の話
ーー王都と辺境の違い
ーー騎士団の訓練場の広さ
それからもしばらく話は尽きなかった。途中、エレナが何度か「余計なこと言わなくていい!」と兄たちを止めたが、そのたびに新しい黒歴史が一つ増えただけだった。
自由奔放な兄たちに振り回されつつも、どこか誇らしそうなエレナの姿を、周りは皆温かい目で見守っている。
そして――ふと、セドリックが窓の外へ目を向けた。
「……そろそろ、お時間を考えた方がよさそうですね」
その一言で、全員が一瞬静かになり、アレクシスが時計へ目を向けた。
「もうこんな時間か」
エレナもつられて確認すると、思っていた以上に時間が経っていた。
兄二人の突然の来訪に、手紙騒動、応接室への逆戻り。
そこから始まった王立学園時代の武勇伝。
気づけば、本来予定していた模擬戦を始めるには微妙な時間になっている。
「今から始めるとなると、終わる頃にはかなり遅くなりますね」
シャルロットが静かに息を吐くと、エレナは考える素振りすら見せずに即答した。
「……だよね。じゃあ今日はやめとこ!」
「……やめるのか?」
あまりに迷いのない判断に、アレクシスが思わず目を丸くする。
「だって今から始めたら絶対長引くじゃん」
「それはそうだが」
「また今度でいいでしょ」
妙に晴れやかな顔をしているエレナをルシアンがじっと見る。
「……嬉しそうだな」
「気のせい」
「そうは見えないが」
「気のせいです」
即答したエレナに、リリアナが耐えきれず吹き出す。
「結局何もしないんだ」
「言わないで!」
イザベラまで口元を押さえて笑っている。
男性陣もつられるように笑い出し、先ほどまで模擬戦をする気満々だった空気は完全に消え去った。
そんな中、ロイドだけが何でもないことのようにお茶を飲みながら言う。
「まあ、続きは辺境でやればいいだろ」
カイが即座に頷いた。
「ぜひ」
「カイ様、もう来る気満々じゃん……」
エレナが遠い目をし、アレクシスは苦笑しながら腕を組んだ。
「まずは予定確認ですね」
セドリックは穏やかに笑い、エレナは深く息を吐いた。
今日、王都のタウンハウスで軽く模擬戦をするだけだったはずなのに、兄たちが突然現れ、王立学園の伝説が発覚し、気づけば長期休暇の辺境訪問まで話が広がっている。
「……今日、結局何しに集まったんだっけ?」
エレナがぽつりと呟く。
「お茶しに来たんじゃない?」
「違う!!」
カイルが楽しそうに笑い、エレナの声が今日何度目か分からないほど大きく応接室に響き渡った。




