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4.壁、再びーーー

*エレナ視点です

ーー数日後


午前の講義を終えた私は、シャルロットと並んで本館へ続く廊下を歩いていた。

次の講義は西棟の第三講義室。

今いる場所からは、地味に遠い。


「遠い……」


思わず口から漏れる。


「さっきからそればかり言ってる」


シャルロットが呆れたように笑った。


だって、遠いものは遠い。

もっと近い講義室にしてくれてもいいと思う。


私もシャルロットも、貴族令嬢として幼い頃から礼儀作法を叩き込まれてきた。

社交の場に出れば、それなりにきちんと振る舞える。

特にシャルロットなんて、外では誰が見ても完璧な淑女だ。

なので、こんなことを人前で延々とぼやいたりはしない。


特に決めているわけではないが、私たちは履修している講義や行動の癖が似ていて、気づけば私とシャルロット、リリアナとイザベラというふうに、自然と二人ずつに分かれることが多かった。


「もう帰りたい……」


「まだ午後の講義があるでしょう」


「行きたくない」


「子どもみたいなこと言わないの」


いつものように文句を言い、いつものように嗜められていた――そのときだった。


廊下の先から、甲高い歓声が響いた。

一人や二人ではない。

明らかに大勢の令嬢が騒いでいる。


私たちの足が、同時に止まり数秒の沈黙ーーそれだけで十分だった。


「……行く?」


「……少しだけよ」


考えていることは同じだったらしい。


さっきまで次の講義室が遠いとぼやいていたことなど、ひとまず忘れ完全に野次馬気分で、私たちは声のする方へ向かった。


廊下の角からそっと覗き込むと、十人近い令嬢が集まっていた。

その中心には、二人の青年。


一人は銀髪で整った顔立ちをしているけれど、ほとんど表情がない。

目つきも鋭く、ずいぶん冷たい印象だった。

令嬢たちが次々に話しかけても、返事は必要最低限、愛想を振りまく気など、まったくなさそうだ。


もう一人は金髪でこちらも落ち着いていて、騒がしい周囲から妙に浮いて見える。

姿勢には隙がなく、受け答えも簡潔だった。


ーーそして何より二人とも、大きい


以前見かけたときとは違い、今回はきちんと廊下の端に寄っている。

それでも周囲の令嬢たちより頭一つどころではなく、明らかに飛び抜けていた。


「……なんだ。この間の壁じゃん。」


姿を確認した瞬間、口から出た。


――ゴスッ!


直後、シャルロットの肘が脇腹に入る。


「いった――」


抗議しようとしたその瞬間、銀髪の青年と目が合った。

その隣にいた金髪の青年も、こちらに気づく。


……まずい。


次の瞬間、私とシャルロットは揃って踵を返していた。


「待て」


後ろから低い声が飛んでくるが聞こえない。

何も聞こえていない。


令嬢が廊下を全力疾走なんてできないので、限りなく全力に近い早足で歩く。


「あなたが壁なんて言うからでしょ」


「だって事実じゃん」


「今それ言う?」


小声で言い合いながら角を曲がった瞬間、二人揃って足を止めた。

目の前に、銀髪の青年がいたからだ。


「……え?」


さっきまで後ろにいたはずなのに…いつの間に…


どうやら私たちが進む方向を読んで、別の通路から先回りしたらしい。


「止まれと言った」


怒鳴っているわけでもないのに、妙に逆らいづらい

低い声。しかも近くで見ると、さらに大きかった。


私は反射的に背筋を伸ばし、口元に柔らかな笑みを浮かべる。


「……何かございましたでしょうか?」


完璧ーー今の私は、どこから見ても普通の貴族令嬢だ。


「さっきまでと違うな」


「何のことでしょう?」


…知らない。私は何も知らない。


「エレナ」


……?!…シャル…今、私の名前を呼ばないで!!


「エレナ、か」


終わった……


余計なことを、と訴えたところで、シャルロットは涼しい顔をしている。


そこへ金髪の青年も追いついてきた。


「ルシアン」


短く名前を呼ばれ、銀髪の青年――ルシアンがそちらへ顔を向ける。

ーーたったそれだけ

けれど、二人の間では何か通じているようだった。


「なぜ逃げた?」


「理由はありません」


金髪の青年に尋ねられた私は即答したものの一瞬、沈黙が落ちる。



「『この間の壁』」


……どうやら聞こえてたようだ。


笑顔が固まった。

さらにルシアンから、なぜ自分たちを壁と呼ぶのかと聞かれた瞬間、数日前の出来事が脳裏によみがる。


裏庭、壁、城壁…まさか……


シャルロットが恐る恐る口を開く。


「……聞いていらしたのですか?」


「聞いていた」


答えたのは金髪の青年だった。


「……どこからでしょう」


「二階」


「いつから……」


「最初からだ」


帰りたい。

今すぐ帰りたい。

最悪だ。

ほぼ全部聞かれてる。


頭を抱えたくなった、そのとき後ろから、また甲高い声が近づいてきた。

さっき二人を囲んでいた令嬢たちだ。

けれど、不思議なことに姿は見えない。


いや…見えないのではない。二人に隠れているのだ。


二人とも背が高いうえに肩幅もある。

私とシャルロットが囲まれると見事なくらい隠れる。


私は令嬢の声がした方を眺めた。


なるほど。やっぱり……


「……ほら。壁じゃん」


――ゴスッ!


「痛い!」


さっきより強い!


ルシアンが一度背後を確認し、こちらへ向き直り、わずかな沈黙のあと呟いた。


「……そういう意味か」


その言葉の思わず目を丸くする。


「もしかして、ずっと考えてた?」


「違う」


「でも今――」


「エレナ?」


シャルロットに名前を呼ばれた瞬間、私はすっと姿勢を正した。


「大変失礼いたしました。」


完璧だ!さっきまでの私はいない。


「……今さらだな」


知らない。私は最初からこうだった。

横でシャルロットが小さく息を吐いたが、気にしないことにする。


そのときーー


「アレクシス殿下!」


金髪の後ろから令嬢の声が響いた。


――殿下?


今、そう言った?


私たちは揃って固まってしまった。


アレクシス・フォン・レオンハルト


その名前をこの国で知らない者などいない。この国の王太子ーー


「王太子殿下とは存じ上げず、大変失礼いたしました」


先に立ち直ったのはシャルロットだった。

深く礼を取るのを見て、私も慌てて続く。


「大変失礼いたしました。殿下」


「シャルロット・ヴェイロンと申します」


「エレナ・ノワールと申します」


二人揃って、優雅に一礼する。


礼は完璧だったと思う。

でも、私の頭の中はそれどころではない


――壁、王太子だった


私、王太子を壁って言ったの?


……?!?!まずい!!!不敬だとか言われたらどうしよう?!?!


そう思った瞬間、もう一つの名前まで繋がった。


ルシアン・ヴァルトシュタイン


公爵家の嫡男

王太子アレクシスの側近

そして社交界では、『氷の貴公子』なんて呼ばれている人物


名前だけなら何度も聞いたことがある。


「……ルシアン・ヴァルトシュタイン様?」


「ああ」


ーーそれだけで十分だった


アレクシス殿下は特に怒っている様子もなく、静かにこちらを見ていた。


「知らなかったのか?」


「“お名前は”存じ上げておりました」


シャルロットが答える。

私も黙って頷く。


殿下の目元が、ほんの少し和らいだ――気がした。

ルシアン様も先ほどまでより、わずかに雰囲気が柔らかくなったように見える。


……たぶん


周囲にいた令嬢たちは、いつの間にか加わっていた私たちを怪訝そうに見ている。


「では、私たちはこれで失礼いたします」


シャルロットが令嬢達の視線に気づき何事もなかったかのように一礼した。もちろん私も便乗する。


よし。

帰ろう。


そう思って踵を返した、そのとき


「一つ聞きたいことがある」


低い声に呼び止められた。


「……何でしょう?」


「城壁と言ったのは、お前か?」


殿下とルシアン様の視線が私に向いている。

嫌な予感しかしない……

シャルロットに視線で助けを求めても知らん顔だ。


「……リリが」


――ゴスッ!


「うっ……」


数秒前まで目も合わせてくれなかったくせにリリアナの名前を出した瞬間、シャルロットはそれはもう見事な淑女の笑顔でこちらを向いた。

ただし、目が全然笑っていない。


――友人を売るな。


そう言われている気がする。


「……私です」


危うくリリアナに罪をなすりつけるところだった。

いや……さっきシャルロットも私の名前を出したよね?

自分も私を売ったくせに……解せぬ……


アレクシス殿下の表情は大きく変わっていないが、目元がさっきより緩んでいる。


……楽しんでない?


「リリとは?」


「……友人です」


殿下の質問には、シャルロットが無難に答えてくれた。

ーー助かった


これ以上余計なことを言ったら、肘鉄だけでは済まされない。シャルロットは怒るとかなり怖い。

私は命が惜しいのだ。


殿下はそれ以上聞かなかった。

ほっとしたところで、ルシアン様へ向き直る。


「でも、悪口じゃないよ」


わずかに眉が動いたがそれ以外、相変わらず表情はほとんどない。


「壁なのに?」


「事実の描写じゃん」


「エレナ」


「だって本当に壁だったし」


シャルロットの視線が痛い……

でも、もうここまで来たら開き直るしかない。

さっきまで作っていた令嬢らしい口調も、もういい。


するとアレクシス殿下の口元が、ほんの少し持ち上がった。

今度は気のせいじゃない。


笑ってる

絶対に楽しんでる


「では、今度こそ失礼いたします」


シャルロットが少し強引に話を切り上げてくれたので私もすぐに一礼し今度こそ本当に、その場を離れた。


◇ ◇ ◇


廊下を一つ曲がったところで、ようやく息を吐く。


「……王太子だったんだけど」


「そうね」


「公爵家の嫡男だったんだけど」


「そうね」


いや…そうね、じゃない……


シャルロットは平然としているけれど、私は頭を抱えたくなった。


「どうしよう……壁って言った……」


「裏庭でも言ってたでしょう」


「だって知らなかったんだもん」


「知っていたら言わなかった?」


「…………」


開きかけた口を、一度閉じ少し考えてみる。


でも相手が誰であっても、廊下を塞いでいたら邪魔だと思った気がする。


「……多分、言った」


「でしょうね」


即答された。ひどい。でも否定できない。


「咄嗟にリリの名前出しちゃった……」


「本当にやめなさい。咄嗟で友人を差し出さないで」


「え? シャルも最初、私を売ったじゃん!でも、城壁って最初に言ったのリリじゃなかったっけ?」


「話を広げたのはあなたでしょ!」


「シャルも笑ってたじゃん! 共犯みたいなもんでしょ」


「私は壁とは言っていないわ! 一緒にしないで!」


さっきまで王太子殿下と公爵家の嫡男を前にしていたことなんて、もう関係ない。

二人になった途端、いつもの調子だ。


ーーさすがに、もう聞こえてはいないだろう


そう思うことにした。


◇ ◇ ◇


帰宅後、私とシャルロットは今日あったことをリリアナとイザベラに話した。


「ちょっと!笑いすぎじゃない?!」


話し終わる頃には、二人とも大爆笑していた。抗議してみたものの、リリアナはお腹を抱えて笑っている。


そんな姿を前にすると、ほんの少しだけ後ろめたくなった。


――危うく売るところだったんだよな


もちろん本人には言わない。絶対に言わない。


「でもさぁ、あと二人いるんだよね」


テーブルに肘をつくと、三人の意識がこちらに向いた。


あの日、廊下を塞いでいたのは四人だった。

今日会ったのは、そのうち二人。

王太子アレクシス殿下。

そして、ルシアン・ヴァルトシュタイン様。


ということは、まだ二人いる。


「残りの壁って、誰なんだろ」


その一言に、シャルロットが呆れたようにため息をついた。


その数日後ーー


今度はリリアナとイザベラが、残る二人の『壁』と思いがけない形で顔を合わせることになるーー

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