26.今回は何もしていない
「エレナがぶつかったんじゃありません!」
リリアナの声が放課後の廊下に響いた。
隣でエレナがぶつかった肩を軽く押さえている。
放課後の裏庭へ向かう途中、廊下で令息二人が言い争っていた。邪魔にならないよう端を通り抜けようとしたところ、一人が勢いよく後ずさり、避けきれなかったエレナと肩がぶつかったのだ。その反動で令息の抱えていた紙束が床へ散らばった。
そして今、エレナは前を見ずに歩いていたせいだと彼から責められている。
「資料を落とさせたのは申し訳ありません。ですが私達は端を通っていましたし、あなたが後ろへ――」
「君がぶつかってきたんだろう」
「違います!」
説明を遮られたエレナを庇うように、リリアナが一歩前に出た。
「急に下がったのはあなたです! 隣で見ていました!」
「友人ならそう言うだろう」
「見てたから言ってるんです!」
リリアナは詰め寄ろうとしたが、エレナがそっと腕を引いて制した。
令息は床の資料を拾いながら、なおも不満げに吐き捨てる。
「自分の不注意くらい認めたらどうだ」
「肩がぶつかったのは事実ですが、私からぶつかりに行ったわけではありません」
「ほら、認めたじゃないか」
「……都合のいいところだけ聞かないでください」
エレナの声が低くなり、周りには野次馬が集まり始めていた。
令息が言い返そうとしたそのとき、人垣が左右に分かれた。
「何があった」
現れたのはアレクシスとカイだった。
カイは散らばった資料と令息、そして二人の様子を一瞥し、短く息をつく。
「……またお前たちか」
「今回は違います! エレナがぶつかられたんです!」
「リリアナ、待ちなさい」
食ってかかるリリアナの袖を、エレナが引いて宥める。
アレクシスは令息からも簡単に話を聞くと、集まった学生たちを見回した。
「言い合いを続けても人が増えるだけだ。まず資料を拾って廊下を空けてくれ」
静かな指示に周囲の学生や令息たちが動き出す。アレクシスは二人に向き直った。
「場所を移して話を聞く。来てくれ」
「ここで説明できます」
「私もです」
即答して動かない二人を、アレクシスは見つめた。
「人が集まるから場所を移すだけだ」
「なら、誰もいなくなるまでここで待ちます」
引き下がる様子のない二人にアレクシスが諦めて歩き出すと、追ってこない様子を見たカイが振り返る。
「……来ないのか」
「ここで話せますから」
「分かった。歩かないなら連れていく」
カイは戻るなり二人の腕を取り、強引に引いて歩き出した。
「ちょっと! 私たち何も悪くないのに!」
「それを聞くために連れていくんだ」
二人は踏ん張って抵抗したが、カイは足を緩めない。
不満げな二人を引き連れるカイの姿に、先を行くアレクシスが小さく息をついた。
こうして二人は、男性陣の溜まり場へ連行されることとなった。
◇ ◇ ◇
扉が開くと、室内にいたルシアンとセドリックが顔を上げた。
「……何をした」
ルシアンの問いに、二人は揃って「何もしてない!」と即答する。
事情を聞くべくカイがようやく腕を離すと、アレクシスが二人に椅子を勧めた。二人は顔を見合わせ、渋々腰を下ろす。
エレナとリリアナは、事の経緯を順を追って説明した。
令息たちが言い争っていたこと。端を通ろうとしたが相手が急に下がってきたこと。
話を聞き終えたアレクシスがカイに視線を向ける。
「お前はどこから見ていた?」
「……紙が落ちる直前だ。ぶつかった瞬間は見えていない」
「なら、二人が原因だと決めるのは早いな」
カイは少し沈黙した後、二人に直視を向けた。
「……最初の言い方は悪かった。疑ってすまない」
「騒ぎになっていましたから、仕方ありません」
素直に受け入れるエレナに対し、リリアナはまだ納得がいかない様子でカイを睨む。
「次は最初からちゃんと話を聞いてくださいね」
「……ああ、分かった」
そのとき扉が叩かれ、廊下で言い争っていたもう一人の学生が入ってきた。
「殿下、先ほどの件ですが……友人が下がってエレナ嬢にぶつかったのを僕が見ていました。伝えるのが遅くなってすみません」
彼は頭を下げて去っていった。
扉が閉まると、リリアナが勢いよくカイへ振り向く。
「ほら! エレナは悪くなかったじゃん!」
「分かった、もう疑っていない。だから謝っただろう」
「それはそれです!」
きっぱりと言い切るリリアナに、エレナは思わず笑った。
「リリ、私のために怒ってくれてありがとう」
「……べ、別に、当たり前のことだもん」
気まずそうに目を逸らすリリアナを見て、セドリックがくすりと笑う。ルシアンは開いていた本をパタンと閉じた。
「話は済んだな」
「落ち着くまでここにいろ。また廊下で呼び止められると面倒だ」
アレクシスの指示に二人は渋々座り直した。
男性陣は各自の作業に戻り、室内には紙をめくる静かな音だけが響き始める。
誰も話さない空間で、二人は顔を寄せ合い、声を潜めた。
「……ねえ、めっちゃ静かじゃない?」
「うん。私も今、まったく同じこと思ってた」




