23.騒がしいだけじゃない
その日の講義を終えたルシアンは、西棟へ向かうため本館の回廊を歩いていた。人の流れが途切れ始めた午後の校舎は、午前中よりもいくらか静かだった。
回廊の壁際に置かれた長椅子に、顔色の悪い一年生の令嬢が座っている。その前にしゃがみ込み、覗き込むようにして寄り添っていたのは、エレナだった。普段ならシャルロットやリリアナたちと賑やかに過ごしていることが多い彼女だが、今はただ、目の前の令嬢に優しく気を配っている。
「医務室行こう」
エレナは自分の鞄に加え、令嬢の鞄もためらいなく持ち上げると、ふらつく相手の体を優しく支えた。
「具合悪い時くらい、人に迷惑かければいいんだよ。今は自分の心配して」
その落ち着いた話し方は柔らかく、相手を安心させるような優しさがあった。普段のよく通るハキハキとした口調とは異なり、不思議と耳に残る。令嬢が安心したように小さく微笑むと、エレナも静かに笑みを返した。
回廊を歩いていたルシアンは、ふと足を止めた。遠目に見えるその光景に視線を向ける。廊下を塞ぐ自分たちを「城壁」と呼び、模擬戦で素手の取っ組み合いを始めるような普段の姿からは、想像もつかない場面だった。
ふいにエレナがこちらに気づく。
「ルシアン様」
呼びかけられ、ルシアンはそのまま二人の方へ歩み寄った。
「何をしている」
「この子、具合悪いみたいで。医務室に連れていくところです」
納得したように小さく頷いたルシアンは、エレナの手元へ目を向けた。エレナの両手は自分と令嬢の鞄で塞がり、さらに相手の体まで支えている。
「その荷物、俺が持つ」
「え? いいんですか?」
「ああ」
「じゃあお願いします。助かります」
ルシアンが令嬢の鞄を引き取ると、エレナは素直に頭を下げた。
三人で医務室へ向かう道中、エレナは歩調を緩め、隣の令嬢に何度も視線を配っていた。「無理なら止まるよ」と静かに声をかける様子に、ルシアンは後ろから無意識に意識を向けていた。
医務室で令嬢を休ませ、教員への連絡も引き受けたエレナは、安堵したように息をついた。「ちゃんと休んで」と告げる横顔には、相手を心底思いやる温かさがあった。
医務室を出たところで、ルシアンは預かっていた鞄をエレナに手渡した。
「知り合いか?」
「さっきの子? ほとんど話したことないよ」
「そうなのか」
てっきり親しい相手かと思っていたルシアンに、エレナは当然のように言う。
「廊下でふらついてたから。放っておけないでしょ」
「……意外だなと思っただけだ」
「何がですか?」
少し不機嫌そうに眉を寄せるエレナに、ルシアンは静かに返す。
「お前がああいう風に、誰かを気遣って動くのがだ」
「私を何だと思ってるの?」
「騒がしくて、遠慮がない奴だ」
「ひどくない!?」
思わず声を張り上げたエレナだったが、すぐに医務室の前であることを思い出して口元に手のひらを当てた。
「……静かにしないと」
「今ので説得力がなくなったな」
「ルシアン様が失礼なこと言うからでしょっ!」
小声で抗議しつつも、どこか照れくさそうに息を吐く。
「私、ちゃんと静かにもできますから。……先生のところ行ってきます。荷物、ありがとうございました」
背を向けかけたエレナは、ふと振り返って付け加えた。
「あと、別に珍しいことしてないからね。困ってたら助けるでしょ、普通」
去っていく彼女の背中を、ルシアンはしばらく見送っていた。誰かに褒められたいわけでもなく、ただ目の前の困っている人に手を貸す。その自然体な振る舞いには、一切の飾りがなかった。
不安を和らげるように微笑んでいた顔、そして落ち着いた優しい語り口。
騒がしくて遠慮がない印象自体が変わったわけではない。ただ、自分が知らなかった一面が確実にそこにあった。
「……意外だな」
何がそれほど引っかかったのか、自分でもはっきりとは分からない。けれど、これまで知らなかった彼女の一粒を拾い集めたことが、なぜか少しだけ心地よかった。




