22.知らない顔がまたひとつ
午後の講義を終えたセドリックは、図書館へ向かっていた。
次の講義までは少し時間がある。急ぎの用事があるわけではないが、以前から探していた資料を確認しておこうと思っただけだった。
王立アカデミーには多くの学生がいる。
講義も違えば利用する校舎も違い、あの日以来、あの四人とは会っていなかった。
別段、気にしていたわけではない。
ただ――図書館へ続く回廊を歩きながら、ふと脳裏に浮かんだのは前回の出来事だった。
エレナとリリアナに追いかけられ、シャルロットと共に全力で逃げ回っていたイザベラ。普段の静かな姿からは想像もつかないほど必死に走り、捕まった後には悪戯が成功したことを心底楽しそうに笑っていた。
あんなふうに笑う人だったのか。それが、妙に記憶に残っている。
(……随分と、楽しそうだったな)
胸の中でそんな言葉が浮かんだのとほぼ同時に、セドリックは図書館の扉を押した。
数歩進んだところで、足を止める。
窓際の本棚の前で、見覚えのある淡い銀髪が手元の本と棚を交互に見つめていた。
静かで、落ち着いていて、少し近寄りがたいほど整った雰囲気をまとっている。先日の彼女と同一人物とは思えない姿に、偶然の巡り合わせを感じざるを得なかった。
視線に気づいたのか、イザベラがこちらを振り返り、驚いたように目を瞬かせる。
「……セドリック様」
「こんにちは、イザベラ嬢」
短い挨拶。それだけだったが、二つの姿のギャップに可笑しさが込み上げ、セドリックの口元がわずかに緩む。
「……何か?」
「いえ。先日のことを思い出しまして」
「……忘れ、」
「無理ですね。特に最後、随分楽しそうに笑っておられましたから」
「……見ていたのですか」
「あの場にいましたからね」
イザベラは思い出したように気まずそうに視線を落とした。
「……あまり淑女らしくありませんでした。あのような姿、本来はお見せするものではありませんのに」
「私はそれほど気になりませんでしたが」
「……私は気になります」
呆れたように小さく息をつくイザベラ。けれど、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。
セドリックはそれを見て、またあの無邪気な笑顔を思い出していた。あの姿を見られたのは、きっと破格の幸運だったのだと気づく。
その時、横から声がした。
「イザベラ嬢ですよね? 以前の講義の資料について聞きたいことがあって――」
見知らぬ上級生の男子学生だった。
声を出そうとして言葉に詰まるイザベラ。そして、彼女はほんの半歩ほど、自然とセドリックの側へと寄ってきた。
セドリックは一瞬だけ目を瞬かせ、自然に会話へと割り込んだ。
「その資料でしたら、私も同じ講義を受けています。どの部分でしょう?」
数分後、疑問が解決した男子学生は礼を言って去っていった。その背中が十分離れたところで、セドリックは隣を見る。
「……イザベラ嬢。もしかして、人見知りですか?」
びくり、と肩が揺れた。
「……慣れている人なら、平気なのです。エレナたちは昔から一緒ですので」
少し不満そうに「……むしろ、散々見られています」と付け加える姿に、セドリックは思わず笑みをこぼす。
「エレナ嬢たちは面白がりそうですね」
「面白がります。シャルロットは止めてくれますが……最後には一緒になって笑います」
「目に浮かぶようです」
ふっとイザベラの雰囲気が柔らかくなった。さっきまで知らない学生を前に身を固くしていた人とは思えない。
「では、私の前ではもう大丈夫なのですね」
イザベラは一瞬動きを止めた。
「……そうですね。セドリック様は、話しやすいので」
深い意味もない様子で頷くイザベラ。だが、その一言はセドリックの耳に妙に残った。
「……そうですか。でしたら光栄です」
「大げさです」
呆れたようなその表情も、初めて見るものだった。
身内以外には決して見せないという、無邪気に笑っていた姿。自分を頼るように少し寄ってきた姿。そして、こうして柔らかく会話を交わす姿。
ひとつ知るたび、またひとつ、知らなかった一面が現れる。
静かで落ち着いた令嬢――最初はただそれだけだと思っていた。
(……もう少し、見ていたいな)
その感情が何を意味するのか。この時のセドリックは、まだ深く考えないようにしていた。




