20.城壁ではなく要塞だった
エレナとリリアナの騒動から数日後ーー
午後の講義を終えたシャルロットは、本館から東棟へ続く回廊を歩いていた。
いつもと変わらない放課後――のはずだったのだが、最近になって「シャルロットには現在婚約者がいない」という噂が学生たちの間に広まり始めていた。
別に隠していたわけではない。公爵令嬢である以上、いずれ家同士の話で決まる可能性は十分にあるが、現時点では決まっていない。ただそれだけのことだったのだが――
「シャルロット嬢」
背後から声を掛けられ足を止めると、同じアカデミーに通う伯爵家の次男が歩み寄ってきた。
「ごきげんよう」
いつもの淑女の笑みを浮かべる。
しかし「少しお時間を」と言われた直後から、事態は厄介な方向へと転がり始めた。一人増え、二人増え、気付けばシャルロットの周囲には、一斉に茶会や休日の誘いを口にする数人の令息が集まっている。
「申し訳ありません、休日はすでに予定がございますの」
一人ずつ穏やかに断るものの、話が終わらない。相手を露骨に邪険にせず声を荒らげない完璧な淑女だからこそ、複数人に押し切られると八方ふさがりになる。
「シャルロット嬢はどのような男性がお好みなのですか?」
困惑を笑みの下に隠しきれなくなりかけた、その時だった。
人垣の向こうから歩いてくるアレクシスの姿が見えた。目が合う。ほんの一瞬、シャルロットは困ったように眉尻を下げた。ただそれだけだったが、アレクシスは逃さなかった。
「シャルロット嬢。少しいいか、話がある」
よく通る声で割り込んできたアレクシスに、令息たちは退かざるを得ない。「悪いが、借りる」と彼らに告げ、アレクシスは自然な動作でシャルロットを連れ出した。
角を一つ曲がり、追手が来ないことを確認してシャルロットは小さく息を吐いた。
「……助かりました。ありがとうございます、殿下」
「お前であそこまで困っているのは珍しいな」
「恥ずかしながら……どうお断りしたものかと、少々困り果てておりましたの」
「……何だったんだ、あれは」
「どうやら、私に婚約者がいないと知られたようでして」
アレクシスは足を止め、驚いたように目を見張った。
「……婚約者が、いない?」
「ええ。いませんけれど」
「……そうだったのか」
シャルロットほどの家柄ならとうに決まっていると思い込んでいたアレクシスは、思いがけない事実に一瞬沈黙しつつも、それ以上は追及せず再び歩き出した。
「婚約者がいないと分かった途端、群がってきたわけか。面倒だな」
「殿下がすでに複数の婚約者候補がいらっしゃるにもかかわらず、日頃から大勢の令嬢方に囲まれておられるお気持ちが、少しだけ分かった気がいたします」
「少しだけか」
「私は毎日ではありませんので」
◇ ◇ ◇
ーーそれから数日後
エレナたちとは別の講義を終えたシャルロットは、裏庭での合流を目指して一人で西棟の回廊を歩いていた。
角を曲がろうとした瞬間、向こうから先日見かけた令息たちが探すように歩いてくるのが見える。
――まずいわね。
シャルロットは素早く踵を返し、来た道を戻ろうとした。
すると、まさにその引き返そうとした方向に、何やら真剣に打ち合わせをしながら歩いてくるアレクシスたちの姿がある。
四人を見つけたシャルロットは、瞬時に思考を巡らせた。
後ろの令息たちに追いつかれる前に――
声も掛けず、素振りも見せず、何食わぬ顔で歩み寄ると、すっと四人の背後へと滑り込む。
異変に気づいた四人は、シャルロットの視線の先――回廊の向こうからやってくる令息たちを視認し、即座に状況を理解した。ルシアンとカイがわずかに幅を広げ、セドリックとアレクシスが自然に隙間を埋める。
四人の背中が隙間なく並び、シャルロットの姿は完全に遮断された。
(……まるで要塞ね)
不謹慎な感想を抱きつつ息を潜めていると、やってきた令息たちが四人の前で足を止めた。
「殿下、こちらでシャルロット嬢をお見かけしませんでしたか?」
「いや、見ていない」
アレクシスが淡々と答え、ルシアンやカイも静かに首を振る。セドリックも「僕たちもずっとここにいますが、お見かけしていませんね」と穏やかに微笑んだ。
諦めた令息たちの足音が東棟の方へと遠ざかっていく。
数秒の静寂の後、アレクシスが背後に声をかけた。
「……もう行ったぞ」
そっと顔を出して安全を確認したシャルロットは、すっと前へ出て優雅に一礼した。
「一言の断りもなく皆様を陰に隠れるようにお使いしてしまい、大変失礼いたしました。……ですが、おかげで助かりました。本当にありがとうございます」
申し訳なさそうに、けれど誠心誠意感謝を述べるシャルロットに、四人は思わず顔を見合わせた。
「いや、無礼などとは思っていないが……お前が咄嗟に私たちの後ろへ滑り込んでくるとは思わなかった」
アレクシスが少々意外そうに言葉を漏らすと、ルシアンも静かに肯く。
「確かに驚いたな。だが、あれほど迷いのない動きなら誰も気づくまい」
「……怪我や困りごとがないなら、それでいい」
カイも短く呟き、事なきを得たことに安堵したように息を吐いた。セドリックが楽しそうに笑みを深める。
「ええ、シャルロット嬢が私たちを頼ってくださったのなら光栄なことです。今回は上手く隠れられましたが、また同じように困ったことがあれば、いつでも僕たちを頼ってくださいね」
「セドリックの言う通りだ。断りづらい相手や対処に困る状況なら、遠慮なく私たちを使えばいい」
アレクシスの言葉に、シャルロットは胸を撫でおろしながら、ふわりと微笑んだ。
「温かいお心遣いに感謝いたします。……そのように仰っていただけて、本当に心強いですわ」
◇ ◇ ◇
その後、無事に裏庭へ到着し、待っていたエレナたちと合流したシャルロットは先程おこった話しをした。
事の顛末を聞かされたエレナとリリアナは、身を乗り出して抗議の声をあげた。
「ちょっと待って! 何も言わずに後ろに隠れたのに、誰も怒らないどころか『いつでも頼れ』って言われたの!?」
「ええ」
「絶対待遇が違う! 私たちがこの前同じことした時は速攻で引き渡されたのに!」
「カイ様なんて露骨に嫌そうな顔して差し出したじゃない!」
憤慨する二人に、シャルロットはさらりと言い放った。
「それは日頃の行いではないかしら」
「ほら! イザベラも何か言って!」
「……私も、日頃の行いだと思う」
静かに正論を突きつけられ、エレナとリリアナはぐうの音も出なくなる。しかし、納得のいかない二人は「次会ったら城壁利用時の待遇改善を要求する!」と息巻いていた。
騒がしい友人を呆れつつも見守りながら、シャルロットは先ほどの出来事を思い返す。
言葉を交わさずとも意図を察し、当たり前のように自分を庇ってくれた四人の背中。
ほんの少しだけ、あの頑丈な城壁を頼もしいと思ってしまったことは、目の前の二人には絶対に秘密にしておこうと心に決めたのだった。




