18. 匿ってくれない壁
*前半はエレナ視点です
ーー翌日、私は今リリアナと一緒に廊下を逃げていた。
「エレナ、待って!」
「待ったら捕まる!」
「でも私、もう疲れた!」
だったら止まればいいのに、止められるはずがない。
「二人とも、待って」
後ろから届いた静かな声に、私とリリアナは同時に振り返る。
少し離れたところを、イザベラが歩いてきていた。走っていないし、怒鳴ってもいない。なのに、怖い。
「……来てる」
「逃げるよ!」
再び走り出す。
普段怒るのはシャルロットだ。もちろんシャルロットもかなり怖いが、滅多に怒らないイザベラが本気になったときの方が、どこか底知れない恐怖がある。
そもそもの始まりは、ほんの少し前。
講義の合間に見つけた備品庫で、奥の箱を動かそうとして隣の山を崩してしまったのだ。音を聞きつけてやってきたイザベラと一緒に片付け、怪我も破損もなく一件落着……したはずだった。
問題は、備品庫を出たあとのこと。
「さっきの」リリアナが制服のポケットを軽く叩く。
備品庫の隅にあった、布製の蛇のおもちゃ。本物には見えないけれど、不意を突けば驚くかもしれない。
リリアナと目が合い、お互いにやりと笑う。ここでやめておけばよかったのに、一度始まってしまった悪ノリはもう誰にも止められなかった。
「ベラ」
「……なに?」
振り返ったイザベラへ、私は隠していた布の蛇を勢いよく差し出した。
「これ何だと思う?」
その瞬間、イザベラの肩が大きく跳ねた。
声を失い、目を見開いて二歩ほど後退する。そのまま胸元に手を当て、数秒間完全にフリーズした。
「……びっくりした」
ぽつりと呟いた声は、いつもの落ち着きがなくてどこか頼りない。
珍しすぎるその反応に、私とリリアナは耐えきれなくなった。
「イザベラ、そんなに驚くんだ!」
「一瞬固まってたよね!ちょっと可愛かった!」
イザベラから笑顔が消え、静かな圧力が立ち込める。
「……二人とも。人を驚かせて笑って、まだ何か言うことある?」
ここは素直に謝る場面だ。そう分かっていたのに。
「ごめ――」私が最後まで言い切る前に、リリアナが口を開いた。
「でも本当に可愛かったよ?」
――なんで今それ言うの。
思わず横を見たけれど、イザベラの反応があまりにも珍しくて可愛かったのは紛れもない事実だった。私は言葉を飲み込んだまま、思わずぶんぶんと勢いよく頷いてしまった。
その瞬間、イザベラが小さく息を吐いた。
「……エレナ、リリアナ」
冷ややかな声とともに一歩踏込んできたイザベラから、私たちは脱兎のごとく逃げ出したのだった。
◇ ◇ ◇
「エレナ、あそこ!」
「あれだ!」
廊下の先にいたルシアンとカイを見つけ、私たちは勢いを増す。露骨に嫌そうな顔をする二人の背後へ、滑り込むように隠れた。
「ルシアン様、匿って!」
「断る」
「カイ様、お願い!」
「嫌だ。お前たちがそんな顔をしている時は、ろくなことがない」
即答で切り捨てられる。頼りになる防波堤になってくれると思ったのに、二人とも驚くほど非協力的だ。
追いついてきたイザベラが静かに言った。
「二人とも、出てきなさい。」
「ここで話せない?」
「いいから、出てきなさい。」
逃げ場はない。けれど、ここで捕まるわけにはいかない。
私とリリアナは目線だけで会話を成立させる。
そのとき、ルシアン様とカイが一歩横へズレた。私たちが丸見えになる。
「ちょっと!」「カイ様!」
「俺たちを巻き込むな。自業自得だ」
冷酷な二人を尻目に、イザベラが「戻ろう?」と微笑んだ。
次の瞬間――
「逃げるよ!」「うん!」
私たちは再び蹴り出した。後ろから呆れた声や制止する声が飛んでくるが、知ったことではない。
「次どうする!?」
「とりあえず離れる!」
角を曲がり、一心不乱に廊下を駆け抜ける。すると前方に、さらなる人影が見えた。アレクシス殿下とセドリック様だ。
「リリ!」
「うん?」
「……見えた?」
「バッチリ!」
私たちは迷わず加速した。
◇ ◇ ◇
「……逃げたな」
カイが呆れたように呟き、ルシアンも去っていく背中に視線を送る。
「すみません、巻き込んでしまって」
イザベラの謝罪に、カイは「いつものことだ」と首を振った。
ルシアンが事の経緯を尋ねる。
「何をした」
「……備品庫の片付けのあと、おもちゃで急に驚かされました。私が驚いたのを見て笑って……」
静まり返る廊下。カイが額を押さえ、ルシアンが小さく息を吐く。
「馬鹿なのか」
「たぶん」
カイの即答に、イザベラも否定はしなかった。
「探します」と歩き出すイザベラに、二人もごく自然に肩を並べる。放っておけばまた被害が広がるのは目に見えていたからだ。
三人で追跡を開始する。
ただこの時点では、三人は知らなかった。
逃げた私たちが、すでに次なる巻き込み相手を見つけていることを。




