17.高貴な盾(壁)
※イザベラ視点からの男性陣です。
数日前の出来事の余韻が残る中、その日の講義を終えた私は、一人で本館へ続く廊下を歩いていた。
シャルロットは先生に呼ばれており、エレナとリリアナは先に裏庭へ向かっている。私もあとで合流するつもりだった。
途中、少し先で二人の学生が立ち話をしているのが見えた。男子生徒と、困ったように視線を逸らす小柄な令嬢。
「ですが、その日は少し予定が……」
「少しくらいいいだろう? 長い時間じゃない」
男子生徒は悪びれる様子もなく詰め寄り、令嬢は強く断れず怯えていた。
身に覚えがありすぎる……
自分ならかなり困るシチュエーションだ。断り切れずにズルズル会話を引き伸ばしてしまう気持ちが、よく分かる。
他人の会話に割って入る恐怖に迷ったものの、令嬢がさらに一歩下がり、相手が距離を詰めた瞬間、私は小さく息を吸って歩み出た。
「……あの。……こちらへ」
声をかけたことに早くも後悔したものの、令嬢は一瞬目を瞬かせ、すぐに私の隣へやってきた。
安堵の息を吐く小さな声に深く頷き、この場を離れようとしたときだった。
「ちょっと待ってくれ。まだ話は終わっていないんだが」
追ってきた男子学生に肩を強張らせながらも、私は前に出た。
「……本人が、困っているので」
「別に困らせてないよ。ちょっと話してただけだ」
相手は引かない。自分一人なら逃げられても、この子を置いていくわけにはいかない。どうしようかと追い詰められたその時、廊下の向こうからアレクシス殿下が歩いてくるのが見えた。
ーー殿下
普段の私なら人見知りもあって、自分から近寄るのすら遠慮してしまうお方だ。
けれど、後ろで怯える令嬢の様子に、背に腹は代えられなかった。
「……こちらへ」
令嬢の手を引き、私は心の中で悲鳴を上げながら殿下の方へ向かった。
「イザベラ嬢?」
「……殿下……少しだけ、失礼します」
王太子を盾にするという恐れ多い暴挙に心臓を潰されそうになりながらも、声の震えを必死に抑え、令嬢ごと殿下の背後へ回り込んで身を隠した。
追いついてきた男子学生が挨拶を述べる。
「殿下、ごきげんよう。そちらの令嬢と、まだ話の途中でして」
殿下の視線が、私、怯えて小さく首を横に振る令嬢、そして男子学生へと順番に動く。
状況を察した殿下が男子生徒に告げた。
「彼女は話したくないようだが。本人が嫌がっているなら、今日はもういいだろう」
静かながらも圧倒的な圧に、男子学生は戸惑いつつも「失礼いたしました」と逃げるように立ち去っていった。背中が見えなくなると、私たちはようやく安堵の息を吐いた。
女子学生はお礼を言って去り、残されたのは私と殿下だけになる。
「……あの」
「イザベラ嬢」
先に呼ばれた……
「はい」
「……見事な立ち回りだな」
無表情で静かな声だった。やはり、最初からすべて察せられていたらしい。
「……護衛のつもりだったのですが」
「私には、完全に壁として使われたように思えたが?」
冷や汗が流れる。視線を逸らし、小さく呟いた。
「……両方です」
殿下は表情一つ変えず、いつもの淡々とした調子のまま言った。
「役に立ったなら構わない。だが次からは、一言くらい説明してくれ」
「……努力します」
「努力なのか?」
呆れたように吐き出された殿下の問いかけに、私は緊張が解け、ごく小さく息を吐いた。
「……できるだけ」
「そうか」
殿下はただ短く答えただけだったが、その声に咎めるような気配はなかった。
◇ ◇ ◇
裏庭へ歩を進めながら、私はふと立ち止まる。
ルシアン様、カイ様、セドリック様、そして殿下。
自分が逃げるため、実害を防ぐため——理由は違えど、王太子を含む男性四人全員を壁として利用したことになる。
「……忘れよう」
絶対にエレナたちには言えない。面白がられるか怒られるかのどちらかだ。心にそう誓い、私は歩みを早めた。
◇ ◇ ◇
ーーその日の夕方
アレクシスはいつものように、ルシアン、カイ、セドリックと過ごしていた。
ふと昼間の出来事を思い出し、アレクシスは口を開いた。
「そういえば、今日私もイザベラ嬢に壁として使われた」
一瞬の沈黙のあと、セドリックが「ついにあなたまで」と楽しそうに笑い、カイは真顔で「これで全員だな」と呟いた。
尋ねるルシアンに、アレクシスは昼間の出来事をかいつまんで説明した。
廊下で困っていた令嬢を庇い、追ってきた男子生徒から隠れるため、イザベラが必死の様子で突然自分を壁にしにきたこと。そして背後の様子から察して男子生徒を追い払ったこと。
「なるほど、イザベラ嬢らしいですね」とセドリックが頷く。
「人前に出るのも割り込むのも苦手でしょうが、困っている人を見捨てられない方ですから」
「しかし、本当に壁として使われるようになったな」
カイの言葉にアレクシスも否定はできなかった。元々は廊下を塞ぐ彼らを彼女たちがそう呼んでいただけだったのに、今や本当に人を隠す壁になっている。
「次は誰でしょうね。エレナ嬢か、リリアナ嬢かーー」
セドリックの言葉にアレクシスがルシアンとカイを見ると、二人とも黙り込んだ。
「否定しないんだな」
アレクシスが言うと、「否定できる材料がない」とルシアンが息を吐き、カイも「むしろやりそうだ」と同意する。何かから逃げる勢いで背後に回り込む二人の姿が、容易に目に浮かんだ。
「だが、シャルロット嬢はさすがにないだろう」
彼女に限ってそれはないだろうとアレクシスが口にすると、セドリックが意味ありげに微笑んだ。
「どうでしょうね」
ルシアンとカイは無言のまま。セドリックの楽しそうな表情を見ながら、アレクシスは胸の中で妙な予感が確信に変わっていくのを感じていた。




