100.公爵との面談
夕食を終えたアレクシスは、約束していた時間にヴェイロン公爵の執務室を訪れていた。
「夜分に時間を取らせてしまって申し訳ない」
「とんでもございません。こちらこそ、なかなか時間が取れず申し訳ございませんでした」
勧められた席に腰を下ろすと、公爵も向かいに座る。茶の用意を終えた使用人が退出し、室内は二人だけになり、僅かながら緊張した空気が漂った。
「それで殿下。私にお話があるとのことでしたが」
「少し個人的な話になるのだが」
王太子として貴族と交渉する機会なら、これまで何度となくあった。相手の立場がどうであろうと、必要以上に緊張することはない。だが、今回ばかりは事情が違う。軽く握っていた手に汗が滲んでいるのがわかる。
「もちろんです。いかがされましたか?」
「……シャルロット嬢のことだ」
「シャルロットですか?」
「私は、彼女に好意を抱いている」
緊張でほんの少し声が震えそうになるのをなんとか抑え、アレクシスの告げた言葉に、公爵は少し驚いた様子を見せた。
「……なるほど。そういうお話でしたか」
「突然このような話をして、驚かせてしまってすまない」
「いえ、少々意外ではありましたが……殿下が娘を気にかけてくださっていることは、到着時から感じておりましたので。ただ、こうして直接お話をいただけるとは思っておりませんでした」
公爵は茶を一口飲むと、改めてアレクシスに向き直った。
「それで、殿下はシャルロットとの将来をどのようにお考えなのでしょうか」
「……将来的には婚約を望んでいる。ただ、今すぐという話ではない。まずは、彼女に振り向いてもらえるよう努力するつもりだ。そのうえで、公爵には先に私の意向を伝えておきたいと思った」
話し終えると、公爵はしばらく考えていたが、やがて口を開いた。
「殿下のお考えはよく分かりました。まず、娘をそのように思っていただけることは、父親として嬉しく思います。ですが、婚約となれば話は別です。殿下もご承知のとおり、王家と公爵家の双方に関わることになりますから」
アレクシスが頷くのを見て、公爵は言葉を続ける。
「実は、以前王太子殿下の婚約者候補を募られた際、シャルロットの名前も挙がっておりました」
「……そうだったのか」
「ただ、私の判断で立候補は見送らせていただきました」
「……理由を伺っても?」
「もちろん。当時、王家はすでにヴァルトシュタイン公爵家と十分な繋がりをお持ちでしたからね。わざわざ我が家と重なる形で婚姻を結ぶ必要性が薄かったのです。それと、私個人の判断です。家同士の婚姻が持つ意味は十分理解しております。ただ、それだけを理由にシャルロットの将来を決める必要もないだろうと」
公爵の言葉にアレクシスは頷いた。
「ですから、殿下。お気持ちは誠にありがたいですが、最後はあの子自身の気持ち次第、ということになります」
公爵はそこで話を終えるかと思われたが、ふと気になったように視線をむけた。
「……ところで殿下。一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「何だろうか」
「シャルロットには、まだお気持ちを伝えていらっしゃらないのですよね?」
「ああ」
「それなのに、先に私のところへ?」
公爵の問いにアレクシスは一瞬返答に詰まった。
王太子として、そして一人の男として試されている感覚に襲われる。
「……いずれは公爵にも話す必要がある。それに、先に理解を得ておきたかったというのもある」
どこか言葉を濁したアレクシスの返答に、公爵はふと目元を和らげた。
(なるほど)
本来ならば娘本人を射止めて来るのが筋であるはずなのに、あえて自分のもとへ直接話をしに来たということは、なかなか苦戦しているらしい。
内心愉快でたまらなかった。完璧と名高いあの王太子が、娘を相手に頭を悩ませ、父親の元へ根回しに走っているのだ。
「なるほど、よくわかりました。殿下のご意向、確かに承りました。あの子を振り向かせるためのご努力、父親として楽しみにしておりますよ」
(……察されているな)
目の前に座る公爵の穏やかな笑顔の裏では、自分の下心も現状も完全に透けて見えているらしい。
「……手厳しいな」
「おや、滅相もございません。ただの父親の呟きでございます」
すました顔で茶を口にする公爵を前に、アレクシスは腹を括るしかなかった。
◇ ◇ ◇
ひとまず大事な話が終わり、話の話題は滞在中のことやノワール領へと移っていく。
「そういえば殿下。ノワール領では随分と楽しまれたそうですね」
「ああ。非常に有意義な視察だった。王都では見られないものも多かったからな」
「それは何よりです。グレンも喜んでいたでしょう」
「……ああ。特に武器庫の案内では、随分と張り切っていた」
その言葉に、公爵は嬉しそうに頷いた。
「ああ、あいつは昔からそういう男ですからね!」
「武器庫で、発破用の火薬壺を改造したものを見せてもらった」
「……おお!」
公爵がふと目を輝かせ、身を乗り出した。
「殿下、あれをご覧になったのですか!」
「実際に使用するところも見せてもらった」
「そうでしたか!いやあ、懐かしい!」
先ほどまでとは違う、少年のような笑みが公爵の顔に浮かぶ。
「グレンのやつ、まだあれを使っているんですね!」
「……以前からあるものなのか?」
「ええ! 随分と昔になりますが、あいつが持ち込んできたものを、皆であれこれ手を加えたことがありましてね」
「……皆で?」
「はい。グレンと私、それからリュシェールとベルモンドです」
アレクシスが思わず聞き返すと、随分聞き覚えのある顔ぶれだった。
「……四人で、あれを?」
「ええ。最初はグレンが面白いものを持ってきたというだけだったのですが、話しているうちに、もっと改良できるんじゃないかということになりましてね。私が資材や職人を手配し、リュシェールやベルモンドも好き勝手に知恵を出したんです」
目の前にいるのは、王国西部を治める有能な公爵である。領地経営にも政治にも優れ、今回の視察でもその手腕を十分に見せてもらった。
その人物が、グレンと一緒になって発破壺の改造に協力していたという。
「……そうだったのか」
「いやあ、あの頃は本当に楽しかった!」
公爵はとうとう声を上げて笑い始めた。
「まさか壁に穴を開けるとは思っていませんでした!連絡を受けた時は我々も驚きました!」
「……連絡?」
「グレンが訓練場を吹き飛ばしたと知らせが入って、我々もすぐさま王都へ呼び出されたんですよ。原因を調べたら、我々が面白半分で手を加えたあの発破壺だったものですから!」
「…………」
アレクシスは言葉を失った。
自分たちが悪ノリで知恵や資材を出した試作品のせいで、王立騎士団の壁が壊れた。
それを、品格ある振る舞いを見せる公爵が、若き日の不祥事を少年のように楽しげに語るとは思いもしなかった。
「……それは、事故だったのだろうか」
「いえ、試した結果ですね!」
「…………」
即答すぎて、何と返せばいいのか分からない。
「……後始末はどうしたのだ」
「もちろん、全員で連帯責任です! 流石に壁を壊したままにはできませんし、たっぷりと絞られながら綺麗に修繕させられましたよ。ははははっ!」
公爵は笑いすぎたのか、目元を拭っている。
アレクシスは改めて公爵を見た。
(……なるほど)
ノワール領でグレンやロイドたちが楽しそうにしていた姿が思い出される。
シャルロットたちが幼い頃から親しくしている四家の父親たち。そのうちの一人が、今、目の前で当時を思い出して腹を抱えて笑っている。
「……公爵…随分と楽しそうだな」
「何しろ、あの頃は皆で随分と無茶をしましたからね!」
昔を振り返るその表情には、当時の反省などまるで残っていなかった。
「……シャルロット嬢は、この話を知っているのだろうか」
「さあ、どうでしょう? グレンが話していれば、エレナ経由で聞いているかもしれませんね」
そう答えた公爵は、ふと思いついたように笑った。
「もっとも、シャルロットに知られたら、叱られてしまいそうですが!」
「……だろうな」
アレクシスも思わず笑ってしまった。
娘の将来については真剣に考え、領地のこととなれば誰よりも頼りになる。その一方で、古くからの友人たちと一緒になって、とんでもないことをやらかしている。
どうやらヴェイロン公爵という人物は、思っていた以上に多面的な人間らしい。
◇ ◇ ◇
気づけば、随分と時間が経っていた。
「いやあ、つい話し込んでしまいましたね。殿下、明日は朝が早いのですから、そろそろお休みになられた方がよろしいでしょう」
アレクシスは頷き、席を立つ。
「今夜は時間を取っていただき感謝する」
「こちらこそ。大切なお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
公爵も立ち上がると、改めて一礼した。
「シャルロットのことは、殿下のお気持ちとして確かに承りました。今後のことは、あの子自身の気持ちも大切にしながら考えていきたいと思っております」
「ああ。私もそのつもりだ」
扉へ向かいかけたところで、公爵が声をかけてきた。
「殿下。シャルロットのこと、どうぞよろしくお願いいたします」
「……ああ」
執務室を出ると、廊下には夜の静けさが戻っていた。
昨晩からずっと気にかかっていた面談は、ひとまず終わった。
婚約について何かが決まったわけではない。それでも、シャルロットの父親に自分の意向を伝えることはできた。
あとは、本人にどう振り向いてもらうか。
(……さて、どうしたものかな)
今朝、庭で会ったシャルロットの顔がふと浮かぶ。眠そうにしていた自分を心配し、休むよう勧めてくれた彼女。
アレクシスはしばらく考えていたが、やがて自室へ向かって歩き始めた。
まずは、無事に王都へ戻ることからだ。何しろ、今回の休暇は思っていた以上に色々なことがありすぎた。
そして何より、ヴェイロン公爵の意外な一面を知ってしまった今、少し気になることがある。
(……彼女たちの父親が四人揃ったら、一体どうなるんだ?)
考えてみたものの、あまり想像したくはなかった。




